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公人としての個人 [柳田国男の昭和]

《連載17》
「行政官として日本の農政の指導的地位にあった時期の石黒は、生産の基底を担う農民の側にたち、生産農民を抑圧する地主や商工資本に制約を加えることこそ、まさしく自分たちに課せられた任務である、という使命感に燃え、部下にも吏道の根本精神として、公僕精神と献身を要求した」と『柳田国男伝』でも石黒忠篤に対する評価は高い。
 石黒が小作問題を無視したというのはあたっていない。10年ほど前にかれが農務省の小作制度調査委員会に提出した「小作法試案」は小作の耕作権を確保しようとする法案のたたき台だった。だが、地主側の強い抵抗にあって、握りつぶされている。この試案が実現すれば、柳田国男の唱える「小作料の金納化」まではあと一歩で、それが自作農の創設へとつながっていくはずだった。
 国男の後輩にあたる石黒が、いま農林次官として、窮乏する農村の救済にあたろうとしている。とうぜん、応援したいという気持ちが強かっただろう。
 1933年(昭和8)2月15日、国男は日本青年館で開かれた全国産業組合懇談会で「農民生活と産業組合」と題する講演をおこない、産業組合〔農協の前身〕と自分のかかわりに触れながら、組合の担う役割を強調している。
 近代になって農村でも大家族が少なくなり、個人主義が盛んになってきたからこそ組合組織が必要になったと国男は述べている。かつては田植えのときにも屋根を葺(ふ)くときにも結(ゆい)という仕組みがあって、村人が協力してこれにこぞって加わっていた。
 ユイこそが産業組合の原型だという。

〈つまり日本にもし産業組合がだんだん栄えていくべき素質があったとしたならば、それは人知れずの間に、かえって文字のある人々が気の付かない間に、われわれの祖先が三百年間四百年間苦労して、結という制度を発達させておいたおかげである。……[ところが近年は]これが日本農民の道徳であることは心づかずにいたのである〉

 しかし、国男は産業組合がひとりの「英雄」に支配され、「集合的の大意思」のもとに隷属するようになってはいけないと主張する。それはあくまでも個人主義にもとづかなくてはいけない。

〈産業組合というものは元来個人主義の産物なんである。よい意味における個々の個人主義の産物であって、一人一人の組合員がみな、自分で自分の人格を尊重し、外からも自分を一人の人間として認め、めいめいがお互いに立派に相手を認めるところにおいて組合というものは成り立つ。あとの者はあれどもなきがごとしといったような気持ちで一人が前に出ていってつくる組合ではない……〉

 国男は「個々の構成分子の人格尊重」あるいは「自由なる意思」が尊重されなければ組合活動などというものは成り立たないと主張する。
 さらに地方自治は選挙と税金と予算さえあれば事足りるのではなく、村々の道徳と社会組織(ユイに代わる産業組合)が保たれてはじめて生き生きしたものとなるとして、青年たちの奮起を促すのである。

〈だからわれわれは、組合と称する最も個人主義を尊重するところの社会運動が、なおかつ代表主義というか、あるいは英雄崇拝主義というか古い方の主義にもとづいて今日の盛大を成したということを恥じて、本来の方針に立ち戻っていかなければならん〉

 これは本心からの発言だった。滅私奉公はもっとも嫌うところである。
 しかし、国男の個人主義というのは、個人のわがままを通すということではない。世間の動きにみずから判断を下せるように自己を高めることを指している。その意味で、りっぱな個人はりっぱな公民でもあった。
「どの国民を連れてきても日本の国のために政治ができるようにしなければならぬ」──それが普通教育の目的だと考えていた。
 講演では次のように述べている。

〈もし自分の考えているところが自分の心に何遍聞いても正しいものであるならば、これを何とかして全世界のものにする計画で進んでいかなければならぬ。もし全世界ではおおげさであり、あるいは全日本でもまだおおげさであるならば、少なくとも自分の郷党なり自分の友人、そういうものの間にだけでも正しいものにしていく必要がある。もっと違った言葉で言うならば、個々の人間の判断というものは利用されなければならぬ。何だか知らぬが一般の形勢がかくのごとくであるからして自分も従おうというようなことから、うっかり大勢の波に乗ってはいけない〉

 うむも言わせず国民を軍事態勢に組み込もうとする動きが広がろうとするなかで、農村の青年たちに語られたこの発言は大胆というしかない。
 それでも国男は公人としての個人こそが、もっとも尊重されなければならないと信じていたのである。

[連載全体のまとめはホームページ「海神歴史文学館」http://www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkimu/kuni00.html をご覧ください]


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