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横の生き方 [かりんの話]

朝5時、久しぶりにニャーと鳴いて、ぼくを起こしにくる。
きのうはお医者さんに行って注射を打ってもらったあと、食欲が少しあったのだが、けさはあまり食べない。
かりかりをほんの少しとミルクだけ。
冷たい雨の降る寒い1日だった。
ふたりともきょうは仕事がある。
夕方戻ると、ヨーコさんが鳥のささみをほぐしてやっていた。
ふつうのかりかりを食べないので、ささみにしたという。
わりあいがつがつと食べるので、ひと安心する。(2月12日)

けさは5時になっても寝室にやってこなかった。
こういうことはめったにない。
心配になって2階の居間をのぞくと、ソファのひじかけの上で鳥みたいにじっと座っていた。
きのうささみを食べたからかと思ったりしたが、これは関係なさそう。
エサをやるが、まったく食べるそぶりも見せない。
牛乳だけは少し飲む。
書斎に連れていって、電気ストーブの前におくと、からだを横にし、前足と後ろ足をそれぞれからませるようにしながら、のびのびと気持ちよさそうな表情をする。

一説によるとネコの15歳は人間の90歳にあたるという。
このあいだ読んだ『なぜ、猫とつきあうのか』という本のなかで、吉本隆明さんがおもしろいことを話している。
〈種族としての猫というのは、犬と比べたら、横に生活している気がするんです。だから、そのうちでほんとになれている猫でも、たぶん人間とは別のつながりとか別の世界を持っていて、それは人間の世界とたてよこの違いがあります。ここの家で一生懸命飼ってよくなついているから、これはうちの猫だなんておもっていると、誤解を生ずるとおもいます。たとえば、ある時間帯はほかの家の方へ行ったり、ほかの家の猫と仲良くしててほかの家でかわいがられたり、というようなことをしているとおもった方がいいところがあります〉
ネコは横に生活している、というのがおもしろい。

たしかに人間の命令に従う犬とちがって、ネコは実に気ままである。
この気ままさをかわいいと思うかどうかが、ネコ好きとネコ嫌いの分かれ道なのかもしれない、と思ったりする。
ぼくの敬愛する江戸時代の町人思想家、山片蟠桃は大のネコ嫌いで、ネコというとすぐに『里見八犬伝』の馬琴みたいに妖描と決めつける悪癖をもっていた。
一般に儒者はネコ嫌いだったのではないか。

それはともかくとして、かりんがかわいそうだったのは、ずっと家猫で、外のネコと接触する機会がほとんどなかったことである。
ほとんどというのは、例外があって、たまに2階から隣の屋根でひなたぼっこする黒猫をじっとみたり、夏など網戸を通して、まだら猫がのそのそうちの庭を通るのを威嚇したりすることがあったからだ。
吉本さんちのネコのように、いかにも下町風の生き方ができなかったのが、かわいそうといえばかわいそうだった。
それでも15年長生きできたのは、外のネコに引っかかれたり、車にひかれたりするようなことがなかったからだ。
オス猫との接触もなかった。
すぐに去勢してしまったので、野生の部分も失われていた。
吉本さんのいう「横の生活」はあまりなく、ネコとしてはたして幸せだったのかと思わないわけではない。
それでもヨーコさんと長女、次女、ぼくとはそれぞれ横のつきあいをして、とぎれがちな家族のコミュニケーションをつなぐ役割をはたしてくれた。

横の生き方はぼくにもさまざまな示唆を与えてくれる。
これまで、ぼく自身、地位や名誉を求めたことも、なぜもっと人から評価されないのかと悔しい思いをしたこともある。
しかし、横の生き方を学べば、それはどうでもよくなってしまうのだ。
吉本さんの本を思いだしながら、そんなことを思った。
きょうは残業があり、9時すぎに帰宅した。
かりんがほとんど食べないとヨーコさんが心配している。(2月13日)


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コメント 2

かものはし

はじめまして。携帯から失礼します。
確かに猫って、飼うという感覚ではないですよね。
私はずっと縦つながりの犬派だったのですが
ここ数年は猫が気になります。

正しい表現か分かりませんが、どうかお大事に。。
by かものはし (2008-02-14 06:30) 

だいだらぼっち

お見舞いありがとうございます。
本人になりかわってお礼申し上げます。
by だいだらぼっち (2008-02-14 20:19) 

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