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石神問答 [柳田国男の昭和]

《連載18》
 朝日新聞から完全に離れ、自由の身になった柳田国男は、この年(1933年[昭和8])さまざまな研究会や各地の集会に呼ばれて、農村問題や方言、生活史、伝説、民俗学などをめぐって多くの講演をおこなっている。
 本も何冊か出版した。
 三省堂から『桃太郎の誕生』、岡書院から『地名の話その他』を出版したころ、ドイツではアドルフ・ヒトラーが首相の座についた。
『桃太郎の誕生』では、昔話の底に潜む神話の位相が〈発見〉されたともいえる。桃太郎は、まさしく〈小さ神〉の出現を示す物語だった。一寸法師や猿蟹合戦などの「五大おとぎ話」はそれぞれ独立した昔話ではなく、ひとつにつながっている。国男は桃太郎に続いて、はなたれ小僧や海神少童、瓜子姫、田螺(たにし)の長者、隣の寝太郎などを論じて、童話のように思われている昔話に、実は神社仏閣が生まれる以前の古信仰の痕跡が含まれていることを論証していった。
 岡書院発行の『地名の話その他』は1916年(大正5)と翌年に雑誌「奉公」に発表した「旅行の話」と26年(大正15)に雑誌「民族」に発表した「地名考説」などをまとめた単行本だった。のちに整理し直されて古今書院から『地名の研究』というタイトルで再発行されることになる。
 柳田を抜きにした民俗学会の創設以来ぎくしゃくしていた折口信夫との溝はすっかり埋まっていた。国男は折口の奉職する国学院大学で2月4日に開かれた「方言研究会」にも機嫌良く出席し、「何のために方言を集めるのか」と題して講演をおこなっている。
「方言をいくつ集めたといっても何にもならないことであって、何のためにしなければならぬかを考えねばならない」と断言する国男は、日本におけるフォークロア──民俗学という言い回しにはまだためらいを覚えている──の展開に自信をもつようになっていた。

〈文化史家や社会記述家が決まったことばかり教えるのを一切の目的としていたのに反して、われわれは別の手段で採集される社会事実を資料として、今日残っているものが、図らずも眼前にどうして今日にいたったかということを明らかにしなければならないのであります。……
 一切の人生事実は言葉をもって輪郭ができている。言語は自身の手段として必要である上に、言葉自身大切な社会事実であると思います。言語をして今日に至らしめたのは社会的原因であります〉

 国男はフォークロアと言語学、歴史学の相関関係を示し、方言の研究が言語の変遷、さらには社会生活の変遷を明らかにする重要な指標となると論じた。
 信州の雑誌「郷土」が、これまでの国男の功績を称えて、前年夏に「石特輯(とくしゅう)号」を発行し、その特装本をかれに献呈したことも、雑誌「民族」の旧同人との関係を修復する大きな要因となった。「石特輯号」には初期の著作『石神(しゃくじん)問答』をめぐる諸論考が集められていた。
『柳田国男伝』にはこう記されている。

〈全篇を「石」のテーマでまとめた誌上には、胡桃沢勘内(くるみざわ・かんない)、小池直太郎ら信州在住の郷土史家多数の寄稿、報告とともに、折口信夫、金田一京助、伊波普猷(いは・ふゆう)、中山太郎、早川孝太郎、佐々木喜善、宇野円空、橋浦泰雄ら旧「民族」の主要な同人が揃って名を連ね、柳田の学問草創の労苦をねぎらい、健康を寿(ことほ)ぐのにふさわしい趣を呈している。表紙中扉の「石」の字は折口の揮毫(きごう)であった〉

 この「特輯号」発刊を記念して、民俗学会は国男の単独講演を開催し、日本の民俗学が事実上、かれの指導下にあることを宣言する。国男が無視しつづけた雑誌「民俗学」は1933年(昭和8)2月号をもって廃刊となった。
こうして、柳田と折口とに分裂していた民俗学界は、柳田のもとに一本化され、紆余(うよ)曲折を経ながら1935年(昭和11)に「民間伝承の会」として動きだしていくのである。
 折口らが1910年(明治43)に発行された柳田の『石神問答』を高く評価したのは、これが単に『後狩詞記(のちのかりのことばのき)』(1909年刊)や『遠野物語』(1910年刊)とならぶ日本民俗学初発の書物だったからではない。
 石神とはシャグジとかサグジ、シャクジン、シュクジンなどと呼ばれる、男根のようなかたちをした石像物を指している。武蔵野一帯でもみられたこれらの遺物は、実は社(やしろ)ができる以前の古代(縄文期)に残された信仰のなごりだった。
 国男は山中共古(きょうこ)[山中笑(えむ)]などとの往復書簡から、その事実を発見するにいたる。山中は旧幕臣で、維新後、キリスト教牧師を務めるかたわら、各地の民俗を集め、『砂払(すなはらい)』という江戸小百科を出版したことでも知られていた。
 日本人の固有信仰の根源を探ろうとするこうした試みが、日本民俗学を現在の地平まで押し上げてきたことを折口らは自覚していた。雑誌「郷土」が「石特輯号」を発刊したのは、国男のそれまでの業績を称えるためである。
 余談ながら、その後の「石神」(シャグジあるいは宿神)研究の進展からみると、国男の研究は単に始まりでしかなかったことに気づかされる。たとえば中沢新一は2003年に日本人の信仰の根源を探る『精霊の王』を刊行しているが、これは『石神問答』を導入部とする論考なのである。
 中沢はこう書いている。

〈それからしばらくして、私は柳田国男の『石神問答』という本を読むことによって、[民俗学に凝っていた父親の書斎の片隅に置かれていた]この石の神の来歴について、多くのことを知るようになった。この石の神は、日本列島にまだ国家もなく神社もなく神々の体系すら存在しなかった時代の精神の息吹を伝える、「古層の神」の活動のいまに残されるわずかな痕跡を示すものだということを、その熱気にみちた本は伝えようとしていた〉

[連載全体のまとめはホームページ「海神歴史文学館」http://www011.upp.so-net.ne.jp/kaijinkimu/kuni00.html をご覧ください]


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