SSブログ

限りなく透明に近いブルー [われらの時代]

11+P1xOpVcL._AA115_.jpg21E2MJF6GAL._AA115_.jpg【連載60】
村上龍の小説『限りなく透明に近いブルー』を読む。
60歳の定年を間近に控えて、初めてこの本を読んでみる気になったのは、このところ1970年代をふり返ってみたいという感興に誘われているからだ。
それにしてもこの本が1976年の芥川賞をとったときに読まなかったのはどうしてなのか。
たぶんもう青春という気分ではなかったのだろう。
三島由紀夫や大岡昇平、武田泰淳といった大所はけっこう読んでいた。
司馬遼太郎や池波正太郎も好きだった。
しかし、現代小説はあまり読まなかったところをみると、どうも根が文学好きではなかったらしい。
70年代をふり返る段になって、ようやく村上龍にたどりついた。
そして、龍はなかなかいいと思った。

川西政明が『昭和文学史』のなかで、こう書いている。
〈村上龍の原風景とはこんなものだ。小学校の授業中、窓からアメリカ兵とパンパン(街娼、売春婦)がキスしているのが見える。中学生で同級生だったおとなしい女の子が、高校生になると、アメリカ兵と腕を組んで歩いている。アメリカ兵とオンリー(特定の外国人の男だけと交渉をもつ売春婦)と混血児が闊歩(かっぽ)する占領軍の街。朝夕にアメリカ国家にあわせて星条旗がはためく街〉
村上龍が育ったのは、九州にあるそんな基地の街、佐世保だ。
そして高校を卒業して、横田基地のある街、福生(ふっさ)にやってくる。
そこで生まれたのが、この『ブルー』だ。
文庫本には、なかなか気の利いた惹句(じゃっく)が刷り込まれている。
〈福生の米軍基地に近い原色の街。いわゆるハウスを舞台に、日常的にくり返される麻薬とセックスの宴。陶酔を求めてうごめく若者、黒人、女たちの、もろくて哀しいきずな。スキャンダラスにみえる青春の、奥にひそむ深い亀裂を醒(さ)めた感性と詩的イメージとでみごとに描く鮮烈な文学〉


それまでの日本文学は「私」の告白が主流だった。
これに対し、村上龍の文学は、まるで映画のシーンを切り取るように展開され、「私」=「僕」もまたそのシーンに埋め込まれている。
この本は1970年10月から72年2月まで、18歳から20歳にかけての村上龍が福生で暮らしたときの日記らしきものをもとにしていると思われる。
この小説の主人公リュウが、ロックとヘロインとセックスの喧噪と陶酔のなかで、ひとり冷静な目を保っているようにみえるのは、かれが自分が主役を務める映画を撮っているような位置にいるからだ。
リュウのことを気遣ってくれるのは、元モデルのママ、リリーだ。
年は20代後半か。
リュウは自分のアパートとリリーのアパートを行ったり来たりしている。
リュウのところには、さまざまな若者がたむろしている。
オキナワとレイ子は沖縄からやってきて、福生に住み着いている。
「昔はいろいろあったんだけどさ、今はからっぽなんだよ」というオキナワは完全な麻薬中毒で、連日、酒を浴びるように飲んでいる。
レイ子はスナックをまかされているが、荒れて、自暴自棄になっている。
ヨシヤマは、ハーフのケイと仲良くしていたこともあるが、いまはケイに愛想をつかされている。
それでもケイに未練があり、「俺、カネためるからさ」といって、ケイに迫るが、「あたしはあんたといるともう自分がいやなのよ」と邪険にされ、やけくそになる。
モコは「アンアン」のモデルをやったこともあるが、万引常習犯で無軌道な生活をしている。
カズオはカメラがいのちで、いつもニコマートを抱えて写真をとっているが、かれもマリファナやニブロールにおぼれている。
毎日をあてどもなく生きるかれらが求めるのはセックスとドラッグ、ロックで高揚する一瞬だ。

リュウは基地の黒人たちから「パーティー」の斡旋を頼まれている。
そこで、高円寺のある部屋にレイ子やケイ、モコを連れていくと、乱交パーティーが始まる。
黒人の駐留兵たちはハシシのたきしめられた部屋で、日本人の女たちをもてあそぶ。
レイ子は混血のサブローの腹の上でくるくると回される。
モコは乱暴者のジャクソンからアナル・セックスを強要される。
ケイもまた黒人たちと次々セックスをする。
ベトナム戦争がつづくなか、だれもが絶望的な享楽にふけっているのだ。

リュウもまた絶望のなかを生きている。
リリーはいう。
「リュウ、あなた変な人よ、かわいそうな人だわ、目を閉じていても浮かんでくるいろんなことを見ようとしているんじゃないの。……リュウ、ねえ、赤ちゃんみたいに物を見ちゃだめよ」
リュウの頭のなかには、いつも映画のような風景が思い浮かぶ。
写真のなかの人間たちがしべったり歌ったりしているうちに、それが宮殿になったかと思うと、火山が爆発して、戦争が起こり、宮殿が廃墟になる。
そんなことを話しながら、リリーとリュウは福生の町をフォルクスワーゲンで爆走し、深夜の学校のプールに飛び込んだあと、米軍基地に突入しそうになる。
そういう無軌道な生活にも終わりが来る。
ある日、リュウはリリーに話しかける。
「こわいよ、死ぬほどこわいんだよ。俺帰りたいな、帰りたいんだ。どこかわからないけど帰りたいよ。いいにおいのする大きな木の下みたいな場所さ」
そこにたどりつくには大きな黒い鳥を殺さなければならない。
「俺は知ってたんだ。本当は昔から知ってたんだ。やっとわかったよ、鳥だったんだ。鳥を殺さなきゃ俺が殺されるよ」
こうしてリュウは絶望を運んでくる「黒い鳥」の影をみつける。
その正体を探ることを決意するところで小説は終わっている。
虚無の底にまぶしさをたたえた青春小説の傑作である。
それから三十数年。
村上龍ははたして「黒い鳥」のしっぽをつかんだだろうか。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0