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究極の無欲 [かりんの話]

出社前、かりん(わが家のネコ)の頭をなでてやる。
このところミルクを少しなめるのが精一杯で、食欲はまったくない。
きのうの夕方、手のひらにのせたカリカリを10粒ほど食べてくれたので、ヨーコさんと大喜びしたほどだ。
そんな一喜一憂の日々がつづいている。
何も食べたくなく、ただ日だまりでうとうとしながら過ごせればいいというのは、究極の無欲だといってもよい。

2日前、通勤途上で読んだ村上春樹の短編「パン屋再襲撃」を思い出した。
10年前、主人公の「僕」は相棒といっしょにパン屋を襲撃したことがある。
18歳か19歳のことで、時代はおそらく1960年代後半だ。
猛烈な空腹感に襲われていた。
そのパン屋は、親父が毎朝一人でパンを焼いて、売り尽くしたらおしまいにするような小さな店だった。
その成功したとも失敗したともいえる思い出を「僕」は妻に話す。
たしかにふたりはパンの略奪に成功するが、はたしてそれが「略奪」だったかどうか疑問だったからだ。
〈パン屋の主人はクラシック音楽のマニアで、ちょうどそのとき店でワグナーの序曲集をかけていたんだ。そして彼は我々に、もしそのレコードを最後までじっと聴きとおしてくれるなら店の中のパンを好きなだけ持っていっていいという取引を申し出たんだ。僕と相棒はそれについて二人で話し合った。そしてこういう結論に達したんだ。音楽を聴くくらいまあいいじゃないかってね。それは純粋な意味における労働ではないし、誰を傷つけるわけでもないしね。それで我々は包丁とナイフをボストン・バッグにしまいこみ、椅子に座ってパン屋の主人と一緒に『タンホイザー』と『さまよえるオランダ人』の序曲を聴いた〉
こうして、襲撃犯の僕と相棒はパンの略奪に成功するのだが、どこかに不全感が残る。
それが、新しい相棒となった「妻」と10年後にパン屋を再襲撃する動機となるのだ。


だれが読んでも、へんな話と思うだろう。
いったい何がへんなのだろう。
そもそも腹が減ったからパン屋を襲撃しようというのがへんなのだ。
アルバイトでも何でもして少しはお金をかせぎ、それで好きなだけパンを買うというのがふつうだろう。
しかし、僕はお金をかせぐという面倒な回路を拒否して、欲望のままパンを手に入れたいと思う。
それほどおなかがすいていて、居ても立ってもいられず、脇目もふらずに、欲望がパンへと一直線に結びついたのである。
欲望は一直線に増幅する。
対象が他国であれ他企業であれ異性であれ物品であれ、これが人間のもつ欲望の性格を物語っている。
それは時に徹底した破壊へと行き着く。
その代わり、欲望は満たされたとたんに萎(な)えていく。
資本主義の根底をなす交易は、人間の欲望をコントロールするためにつくられた擬制だったともいえる。
その擬制を拒否したときに発生するのが「パン屋襲撃」なのである。
しかし、おもしろいのは、ハイティーンのぼくらが初めてパン屋を襲撃するときに、パン屋の主人がユニークな取引条件を提案したことだ。
自分の好きなワグナーを聴いてくれたら、パンを好きなだけ持っていっていい。
味のあるこのパン屋の親父が好きになりそうだ。
実際にこんなパン屋が存在するわけではないし、また銀行ならともかく、パンが目的でパン屋を襲撃しようと思う犯人がいるわけでもない。
あくまでも空想の話である。
それでも、ここには物語が成立している。
がまんしてワグナーを聴く代わりに好きなだけパンをあげるという。
それは資本主義社会以前の落語を思わせるような物語である。

ところが10年たって、パン屋を再襲撃しようというときには、いささか事情がちがってくる。
パンが食べたいというのは深夜突然ふたりを襲った欲望だったとはいえ、昔ながらのパン屋はすでになくなっていた。
しかし、すでに町は24時間営業の時代にはいっている。
そしてふたりの装備も包丁とナイフではなく、黒いスキーマスクと散弾銃。
だがトヨタ・カローラに乗って東京の街を走り回っても、深夜営業のパン屋は見つからず、仕方なくふたりはマクドナルドを襲うことにする。
「ようこそマクドナルドへ」とマニュアルどおり言ったあと、カウンターの女の子は散弾銃をもったふたりをみて、次の言葉が出なくなってしまう。
マニュアルに書いていなかったからだ。
店長が売上金を差し出すが、ふたりはそんなものに見向きもしない。
〈「ビッグマックを30個、テイクアウトで」と妻は言った。
「お金を余分にさしあげますから、どこか別の店で注文して食べてもらえませんか」と店長が言った。「帳簿の処理がすごく面倒になるんです。つまり――」
「言われたとおりにした方がいい」と僕はくりかえした〉
こんどこそ、ふたりの襲撃は完璧に成功する。
これもどこかへんな話である。
10年のうちに資本主義社会はますます成熟していた。
24時間便利にものを買える街が出現し、おカネさえ払えばどんな欲望でも満たせる時代がやってきた。
だが、ふたりが望むのはカネではなくパンだ。
パン屋からパンを略奪することだ。
それほどパンが食べたかったのだ。
ところが昔のようなパン屋がなかったから、マクドナルドで代替したのである。
へんなのはほんとうは高度資本主義社会のほうではないか。
「パン屋再襲撃」が問うのは、そうした問題である。
その逆転した世界のイメージを村上春樹は次のように描いている。
〈僕はまた海底火山に目をやった。海水はさっきよりずっと透明度を増していて、よく注意して見ないことには、そこに水が存在することさえ見落としてしまいそうなほどだった。まるでボートが何の支えもなくぽっかりと空中に浮かんでいるような感じだ〉
カネが欲望をコントロールしている。
ただし、ぼく自身が望むのは、かりんがパン屋を襲撃するくらいまで食欲を取り戻すことだ。


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