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さよなら、かりん [かりんの話]

ついにその日がやってきた。
3月24日午後7時、わが家の愛猫、かりんが息を引き取った。
2月初めからほとんど食欲がなく、牛乳と生ミルクくらいしか飲まなかった。
3日に1度くらい動物病院でリンゲルの点滴と肝臓の機能改善薬を打ってもらっていた。
注射を打った翌日は、かろうじて食欲が戻るのだが、長続きはしなかった。
この1週間ほどはじっとしたままで、ほとんど動かなくなっていた。
あぶないと思ったのは前日の日曜からだ。
いつものように朝5時に起きたらかりんは意識がほとんどなく、呼んでもこたえないほど衰弱していた。
目がうつろで、鼻も乾燥しきっている。
それまでは足も割合しっかりしていて、2階と1階を往復していた。
てっきり臨終が近いと思い、ヨーコさんを起こしに行こうとしたら、何と階段の降り口にかりんがたたずんでいた。
ソファのところから歩いてきたのだ。

この前ヨーコさんが「雲みたいに軽くなった」と言ったけれども、ほんとうに空気みたいな軽さだ。
時々おなかのところをぶるっと震わせる。
けいれんが始まっていた。
それでもかりんは歩きたがった。
ふらふらと居間を出て、洗面所でしばらくじっとしている。
そのあと風呂場に行くので、どうしたのかと思ったら、何とそこでおしっこをしたのだ。
床やじゅうたんを汚さないよう気を遣ったにちがいない。
9時半、くわじま動物病院に行き、点滴を打ってもらう。
体温を測ると34度しかない。
「ネコにとっては良くない兆候です」と先生は沈痛な面持ちで言い、「光と音に敏感になって、暗いところ冷たいところに行きたがりますが、できれば暖かくしてやったほうがいい」とアドバイスしてくれた。
午後、隣町に住む娘(次女)夫婦がやってくる。
足がふらついているのに、かりんは歩きたがる。
だっこして1階の寝室に連れて行くと、ベッドから降りて窓際に佇み、つづいてヨーコさんの書斎にやってくる。
夕方、次女が帰ってから、2階に上がり、ネコ用のサークルに入れて、ぼくの書斎で寝せてやる。
歩いて外に行きたがるが、足がふらついている。
そして、夜9時ごろ居間のソファに寝せてやった。
こうして最後の日を迎えたのだ。
この日、いつものように5時に起床すると、かりんはこたつのところにいた。
弱っているけれども、まだ生きている。
きょうはヨーコさんが夕方から集まりがあると聞いていたので、ぼくは会社を半日休むことにした。
虫の知らせだったのかもしれない。
2時半に帰宅すると、ヨーコさんはまだ家にいて、かりんはソファの上で寝ていた。
時々立ち上がろうとするが、弱っているので、さして動けるわけではない。
それでも上にかけた毛布を蹴飛ばしたりする。
からだが時々けいれんするが、苦しんでいる様子ではないのがせめてもの救いだ。
夜7時、ぼくは横のこたつで本を読んでいた。
ふとみると、かりんの目がうつろで口が開きかかっている。
知らないうちに死んでしまったのだと思った。
「かりん」と呼んでみる。
すると、頭をもたげ、赤ちゃんトラのように目を見開いて、「カッ」と声を出した。
まるで、父ちゃん、しっかり、とぼくに最後の「喝」をいれてくれたみたいだ。
それが最期になった。
寂々寥々。
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