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柳田国男の会その他(1) [雑記]

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7月22日から4日間、夏休みをとった。
その間、還暦直前で運転できるようになった車で、火曜日には船橋から千葉に行き、金曜日には京葉道路から東金道、銚子連絡道をへて銚子の長崎鼻まで出かけた。
渋沢栄一を書いていたときに行ってみたかった暁鶏館で温泉にはいり、昼食をとるという機会にも恵まれたから、なかなかの休日だったといえる。
定年、退職に向けて上々のスタートである。
長崎鼻近くの集落で車をバックさせたときに、石があるのに気づかずバンパーを傷つけてしまったり、あせって車線変更をしようとしてひやりとしたり、駐車がうまくできなかったり、というようなできごとはあったものの、高速で銚子まで2時間半で行けたのだから、たいしたものだと自分をほめてやってもいいだろう。

きのう(26日、土曜日)は神奈川大学で「柳田国男の会」が開かれたので、顔を出してみた。
この会にはいったのは偶然で、インターネットをみていて会の存在を知り、去年12月に年会費として郵便局から3000円振り込んでみたのがきっかけだった。
ところがお金を振り込んだのに会からはうんともすんとも言ってこない。
ひょっとしたら振り込め詐欺? それにしては会費が安いと思っていたら、6月の終わりに突然、案内がきて、きのう14回目の研究大会が開かれたというわけだ。
神奈川大学の横浜キャンパスは横浜駅西口からバスで15分くらいのところにあり、歴史家の網野善彦氏がここで教えていたはずというぼんやりした記憶がよみがえった。
ここには渋沢敬三が創設した日本常民文化研究所(旧アチック・ミューゼアム)が移転されていることも知った。
だから、神奈川大学は日本の民俗学研究にとってなかなか由緒正しい場所なのである。
会が開かれる1号館804号室に行って驚いたのは、机がロの字型に並べてあって、参加者が25人くらいしかいないことだった。
それぞれ一家言ありそうな、いかにも柳田国男研究者という面々がそろっているのを見て、ぼくのような素人は何だか場違いなところにまぎれ込んでしまったという思いがして、躊躇しないわけにはいかなかった。
大学を6年間かかって、レポートを出して、ようやく卒業させてもらって以来、アカデミズムの世界とはまるで縁がなく、大学の先生と聞くだけで逃げ出したくなるという気分が、この年になっても抜けない。
ゼミもとらなかったから、研究会とやらもまるで縁がない。
それでも、何とか気分を平静に保って、隅っこに縮こまりながら、みなさんの発表を聞かせてもらうことにした。

司会は東京大学教授で会の事務局長の佐藤健二氏。
とても声がいい(顔も悪くない)。
神奈川大学日本常民文化研究所の佐野賢治所長のあいさつのあと、4人のひとが研究発表をし、15分の休憩をはさんで、常民研の活動紹介やら講演などがつづいた。
最初に研究を発表したのは名古屋大学の田澤晴子さんで、「柳田国男における『神道』観の成立」というテーマでなかなか高度な話をされた。
ぼくは青年期の柳田国男についてほとんど知らないので、国男が20歳前後の学生時代、キリスト教に引きつけられ、カナダ・メソジスト派の本郷中央会堂によく通い、福音主義の植村正久に教えを乞うた時期もあったが、次第にキリスト教から離れていったという話はおもしろかった(キリスト教に限らず、国男にとっての「西洋」というのは大テーマにちがいない)。
その後、国男は役人になって、産業組合の必要性を説いて各地を回るうちに、明治の日本にはさまざまな宗教がせめぎあっていて、西洋のキリスト教のように道徳の基盤となる宗教がないことに気づき、産業組合が経済上にとどまらず道徳上の役割をはたすべきだと考えるようになったという。
旅を通じて、国男は異神とも出会った。
そして、たとえば天狗を先住民=国つ神をまつったものとみたり、石神(いしがみ)を先住民との境界を示すものととらえるようになった。
このころ国男は、水田を耕す大和民族が先住民を駆逐して、その境に先住民を封じ込める異神を祭ったと理解していた。
このあたりの解釈が正しいかどうかは、柳田本人の論考をよく読んでいないので、ぼくには判断がつかない。
1912年の「塚と森の話」にはこんな一節があるという。
「[はじめて村が開かれたとき]祖先はみずから神となって、家の末裔を守るのみならず、一部落一民衆としての尊き神がさらにその上に大威力をもって保護しているために、外敵は界に立ち入らず、疫癘(えきれい)の人を悩ますこともないと信頼して、その代わりには、夏秋二季の収穫ごとに、質素にして敬虔なる祭礼を怠らなかった」
これが日本の神道の原風景である。
ところが、実際には日本の神道には一種えたいの知れない民間信仰がまとわりついていて、「[その]本来の面目は、本居、平田ほどの大きな学者でも、いまだ十分に説明しつくしておらなかった」と国男は述べている。
キリスト教への関心が神の探求へと国男を導き(しかし、どこかで西洋的な超越神になじめないものを感じさせて)、そのエネルギーが日本の神々と固有信仰の発見へと向かわせていくという論旨は、とてもおもしろく、勉強になった。
神の問題は柳田民俗学にとって最大の課題であるだけでなく、現代世界の困難(戦争から無差別殺人まで)を理解するうえでも避けて通れないテーマだという感を強くした。
こうして、いろいろと教わることの多かった一日が始まったのである。


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コメント 2

tenbosenkaisha

免許皆伝、おめでとうございます。すぐに遠征される勇気?に敬服です。私は2年で立派なペイパードライバーです(笑)。気をつけて運転を楽しんでください。
by tenbosenkaisha (2008-07-31 08:38) 

だいだらぼっち

いまのところ運転するたびに、ひやっとすることがひとつふたつはあります。ボケ防止にはなっているみたいです。夢は日本一周といきたいところですが、どうなることやら。いずれにせよ、コメントありがとうございました。
by だいだらぼっち (2008-08-03 15:55) 

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