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保守主義批判 [柳田国男の昭和]

《連載105》
 この座談会でおもしろいのは、意外なことに国男が「保守主義」を批判していることである。
 こんなふうに話している。

〈保守ということの悲しいことは、最近しか学べないことです。たとえば明治の初めの国粋主義なんかそうですね。もどるにはつい近い時にもどるしかない。それで古いといえば天保かそこらの時です。唐桟(とうざん)の羽織を着るとかなんとかいうのが保守なんです〉

 これは何とも痛烈な皮肉といわなければならない。ひと昔前なら右翼の壮士団をかなり刺激したにちがいない。ただ、国男がここで挙げているのは、鹿鳴館時代が華やかなりしころ、8歳年上の兄、泰蔵(のちの井上通泰〔眼科医で歌人〕)が兵庫県の田舎に帰京してきたときの思い出である。東京帝国大学医学部で学んでいた兄は森鴎外の友人だったが、鹿鳴館風が嫌いだったらしい。

〈その時、私の兄は十八、九の大学生でしたが、それが東京から郷里に帰ってきた。その時のいでたちをみると、雪駄を履いて日傘をさして着物をきて袴(はかま)をはいていた。どうしてそんななりをしているのかというと、国粋保存主義の考えからです〉

 10歳になったばかりの国男は、兄のいでたちが珍妙で、その印象がよほど鮮烈だったにちがいない。その兄が亡くなったのは、ちょうど2年前、1941年(昭和16)7月のことだった。
 国男は生涯敬愛しつづけた兄のことを、いささかのユーモアをまじえて回想しているのだが、ここでいいたいのは雪駄も日傘も明治の産物であって、国粋主義も一種のモダンだということなのである。
 国男は、世の中はひと昔に戻ったほうがいいなどと考えているわけではなかった。

〈そんなのは歴史の知識の足りない人のすることで、もし良心のある研究家だったら、時世というものはまず変遷するものだということを認める。明治には明治の生活がある、大正には大正の生活がある。その中には軽薄というか、せぬでもいい改革をしたり、また人の真似をするだけの改良もあるかもしれませんが、大体において時代時代の要求があって変わっている。だから、もどることもあるけれども、ちがった方にいくということを認めることですね。それがいちばん大事なんです〉

 国男にとって、歴史を学ぶ目的は、変わっていく世の中をいい方向に向けることであって、それを後ろ戻りさせることではなかった。そのあたりは実際家である。
 国男はいまより明治時代のほうが、あるいは明治時代より江戸時代のほうがよかったなどとは考えていなかった。柳田民俗学の底には、意外なことにいつもモダニズムと現実主義、楽観主義が流れている。しかし、それを支えていたのは、歴史に対する批判意識だったともいえる。
 だから、こんなふうに話すのである。

〈この前、われわれの会〔木曜会と民間伝承の会〕で手分けをして、同じ質問を持って[農村を]歩いたことがあるが、その中の一項目として、いつがあなたのいちばんいい時と思いますか、明治初年ですか、あるいは末年ですか、と水を向けたことがあったんですが、一人もそれに同意しない。正直なのは、大正8、9年の景気のいい時がいいと言ったのがありましたが、大体において農村では現在を非常に謳歌しているんです〉

 これは農村では、明治の昔より大正なかばのほうが、いい時代だと思っている人が多いという話だが、たとえ百歳以上の老人が存命していたとしても、江戸時代のほうがもっとよかったという人は、おそらくいなかっただろう。
 だが活字には残されていないが、ここで注目しなければいけないのは、昭和になってからのほうが、いい時代だという人がいなかったことである。むしろ、昭和にはいってからの窮乏が、大正8、9年の景気のよかったころを思い起こさせる契機になっていた。
 それでも国男は前向きの姿勢を崩してはいない。

〈日本は幸いに今後も非常に偉大な希望に登っていく国であるから、常に国家としても時代は変わり変わりして、よくなっていくのだということを、歴史教育の第一義として青年に教えなきゃならんと思うんです。それには過去を知って、あんなことをしなければこうはならなかったということを知って、世の中に教えられるといいと思う。歴史は過去の失敗も経験として学ばなければいかん。どうもその点がいちばん言いにくくて、昔のことは思うように批評できにくい〉

 これは暗に軍部の言論統制を批判した発言ではないだろうか。それにしても、当時、日本は実際には、まさしく「失敗」のまっただなかを漂流していたのである。


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