SSブログ

『伊藤博文』(伊藤之雄著)短評 [本]

本027.jpg
 坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛、勝海舟など幕末の人物に比べて、明治をつくったと言ってもよい元勲、伊藤博文の人気はすこぶる低い。司馬遼太郎の『坂の上の雲』に登場するさわやかな青年群像を思い浮かべると、この人にはこれまでひたすら出世階段を上った、権謀術数の一筋縄ではいかない政治屋というイメージがつきまとってきた。
 だが、近代日本の出発点となった明治という時代は、実は伊藤博文という存在を抜きにして語るわけにはいかない。この変転きわまりない時代にあって、33歳で参議兼工部卿となり、68歳で暗殺されるまで、首相を務めること4回、常に政治の中枢を担いつづけてきたというのは、それだけでも尋常な業ではない。
 本書は伊藤自身とその周辺の手紙・日記・書類、さらには当時の新聞・雑誌の記事をもとに、この毀誉褒貶の多い人物の実像に迫ろうとする試みである。とかく、うわさの多かった女性関係についても、その実態をさぐりあてている。しかし、何といっても、その生涯は明治の政治史と不可分の関係にあり、時にその過程は錯綜をきわめるため、本書を読み解くには相当の覚悟と辛抱を必要とする。だが、読み終わったあとは、単純な好悪の念を超えた重い感慨に包まれ、そこから現在につながるいくつもの視座なり教訓なりを引き出すことができるだろう。
 これは感動し憧れるための本ではなくて、追体験し考えるための本なのである。
 木戸孝允は伊藤のことを「剛凌強直」と評したという。地位や命をかえりみず、みずからの信念をつらぬく男という意味だ。伊藤の信念と目標は、日本を国際的に認められる近代国民国家に育てあげることで、かれにとって政治とは、そのためのレールを引くことにほかならなかった。同郷の山県有朋のように、軍と官の人ではない。憲法政治(立憲政治)を実現することが夢だった。そのため最高位の元老という地位にあったにもかかわらず、苦労のたえない政党党首となることもいとわなかった。
 ロシアとの戦争には最後まで反対していた。しかし、いったん戦争がはじまると、腹心の金子堅太郎をアメリカに送って、将来の停戦協定を見越した布石を打った。韓国の併合にも消極的だった。だが、最後は強硬論に押し切られる。韓国が併合されたのは、伊藤が安重根によって暗殺された直後のことだ。
 興味深いことに、伊藤は晩年、陸海軍を内閣の統制下に置くための策を講じていた。1907年に出された「公式令」は、陸海軍に関する勅令にも、首相の副署を必要とするというもので、文官の首相でも陸海軍の勝手な動きを封じることができるようになった。だが、これも山県が軍事に関する勅令を「軍令」として別枠にすることにより、けっきょくは骨抜きにされてしまう。
 この物語には明治のロマンではなく、明治のリアルが描かれている。

nice!(3)  コメント(1)  トラックバック(0) 

nice! 3

コメント 1

tenbosenkaisha

お忙しいのでしょうか? お元気だと思いますが…。
by tenbosenkaisha (2010-02-04 23:54) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0