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別所温泉へ [旅]

2010年8月11日水曜日。
以前勤めていた会社の軽井沢保養所がたまたまあいていたので、焼けつくように暑い地上を脱出して、2泊3日で軽井沢に出かけることにしました。
7時船橋出発。三郷南から外環にはいりましたが、 川口から美女木にかけて、さっそくのろのろ運転になります。大泉で関越にはいってからも混んでいました。やっぱりお盆休みの影響なのでしょう。少しくたびれたので、三芳パーキングエリアで休憩をとります。川越まですでに2時間かかっています。もうすぐ上信越自動車道になりますが、藤岡JCTあたりや碓氷軽井沢インターあたりも混んでいました。
われわれはその先の上田菅平インターで下り、別所温泉へ向かいます。還暦をすぎてからの自動車運転ですが、何とか無事に車が運転できるようになったのは、ありがたいことです。到着は12時半。町の中央部にある駐車場に車を停めて、ドアをあけたとたん、車内に熱気がはいってきます。そういえば、だれかが「上田は暑いぞ」と言っていたのを思いだしました。
ばたばた支度しているうちに、抜きだしたばかりのETCカードが見あたらなくなったことに気づきます。車のなかや周辺を探しますが、けっきょくどこにもなく、あきらめることにしました。どこか注意散漫なのは、やはり年をとった影響でしょう。
おもしろくない気分をかかえたまま、駐車場のすぐ脇にある北向観音とやらを見ることにします。「北向」というのは南に向いている長野の善光寺に対しているからだそうです。ここを詣でた人は、善光寺にも参らねばならないとされていたようですから、やはり長野といえば善光寺が中心となるのでしょう。北向観音の縁起は、平安時代にあたりの山が鳴動しつづけたため、これを鎮めるため、慈覚大師が護摩をたいたところ、金色に輝く観世音菩薩が現れたため、大師みずからが観音像を刻んで遷座したことにあるといわれます。
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慈覚大師とは円仁(794-864)のことです。最澄を師とし、遣唐使となって唐におもむき、五台山を巡礼し、天台宗に隆盛をもたらしました。下野(栃木県)の出身で、東国とゆかりが深く、創建した寺は全国で700、そのうち関東が209寺、東北が331寺あるといわれます。9年6カ月にわたる旅の記録『入唐求法巡礼行記』は当時の中国の様子を知ることのできる貴重な記録となっています。
そんなふうにみると、このお寺の屋根も何となく凜とした張り出し方をしていますね。お堂の横には愛染カツラと名づけられた巨木が、大きく枝を広げていました。25メートル近くあるでしょう。「愛染かつら」といえば、上原謙(加山雄三のお父さん)と田中絹代のすれちがいメロドラマを思い浮かべますが、この木はそれと何か関係があるのでしょうか。愛染カツラの名称は、戦前のこの映画のヒットにちなんで、つけられたようにも思われますが、それはともかく、このカツラは縁結びの霊木として、いまもだいじにまつられているようです。弓矢をもつ密教の愛のキューピット、愛染明王の信仰と巨木信仰とが結びついたのでしょうね。それでも縁結びの本尊とされる愛染明王が、なぜあんな怖い顔をしているのか、ぼくにはいまだにわかりません。
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おなかがすいたので、階段を降りた参道にある、だるま屋という手打ちそばやに寄りました。しかし、ちょうどそばが売りきれたところだといいます。「どれくらい待てばいい」と聞くと、店の主人が「これからそばを打つので30分くらいです」というので、先に安楽寺を見ることにしました。
長くなりましたので、つづきは次回。

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