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超訳『万葉集」[57─66] [超訳「万葉集」]

[第1巻のつづきです。文武天皇(683-707、在位697-707)の時代。697年に退位して上皇となった先の持統天皇が孫の年若い文武天皇をつれて、あちこち行幸しています。三河を訪れたのは壬申の乱で功績のあった三河の豪族へのあいさつまわりだったのかもしれません。その権勢を誇った持統天皇も703年に数えの59歳で亡くなります。しかし、朝廷はまだ持統天皇時代の雰囲気を引き継いでおり、このころの歌は持統天皇の追悼やポスト持統の不安にあふれています。それにしても「万葉」の歌はさびしい、恋しいの連発ですね]

■702(大宝2)年の11月、太上天皇(先の持統天皇)が三河の国に行幸されたときの歌[長忌寸奥麿(ながのいみきおきまろ)
[57]
引馬野(ひくまの)に
色づく
榛(はん)の原に
わけいり
衣を染めましょう
旅のしるしに

[58]
いったいどこに
舟をとめているのだろう
安礼(あれ)の崎を
ぐるりと回っていった
あの小さな舟は
[高市連黒人(たけちのむらじくろひと)の歌]

■誉謝女王(よさのおおきみ)のつくった歌
[59]
あれからずいぶんたち
衣の端に吹く風の
寒い夜に
愛しい人は
ひとりで寝ているのでしょうか

■長皇子(ながのみこ)のお歌
[60]
夜を共にすごし
朝は顔を隠すという
隠(なばり)[名張]の地で
何日も何日も
あなたは
わたしを待って
仮のいおりを
結んでいたのだろう

■旅につき従った舎人娘子(とねりのおとめ)がつくった歌
[61]
ますらおが
狩りの矢を
手にはさみ
標的を射るという
あの円方(まとがた)の地は
見るにつけ
さわやかな気分

■三野連(みののむらじ)が唐に渡ったとき、春日蔵首老(かすがのくらのおびとおゆ)のつくった歌[701年、この年は失敗。翌年再挑戦して成功。704年に帰国]
[62]
峰々つづく
対馬の渡りの
海中に
幣(ぬさ)をささげて
無事に
お帰りください

■山上憶良(やまのうえのおくら)が唐に滞在中[702-04年]、故郷を思ってつくった歌]
[63]
さあみんな
早く大和へ帰ろう
大伴の御津の浜松が
われらを待ちこがれているだろう

■706(慶雲3)年9月、文武天皇が難波の宮に行幸したとき、志貴皇子(しきのみこ)のつくられた歌
[64]
芦辺を泳ぐ
鴨の背に
霜が降り
寒い夜は
大和が
しのばれる

[65]
あられ打つという
あられ松原に
住吉の
弟日娘(おとひおとめ)[伝説の遊女]が
と思って見れば
いつまでもあきないものだ

■亡くなられた太上天皇(先の持統天皇、703年没)が難波の宮に行幸されたときの歌[置始東人(おきそめのあずまひと)の作]
[66]
大伴の
高師の浜の
松を枕に
寝るものの
[遊女に添い寝してもらっても]
遠く離れた家が
やはり恋しい

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