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超訳万葉集[76〜84] [超訳「万葉集」]

[707年、文武天皇が数えの25歳で死去したため、急遽、その母が元明天皇(661-721、在位707-15)として即位します。いうまでもなく女帝です。元明天皇は天智天皇4女で、持統天皇の子草壁皇子の正妃でもありました。文武天皇の子聖武天皇が幼いため、中継ぎという含みがあったようです。以下は元明天皇時代の歌を集めたものです。なお、この時代に都は藤原京から奈良へ移ります。]

■708(和銅元)年、元明天皇の大嘗会(だいじょうえ)に際しての御製
[76]
ますらおの
弓の鞆(とも)を
弦(つる)がはじく
音がする
もののべの大臣(おおきみ)も
楯を立てているらしい

■御名部皇女(みなべのひめみこ[元明天皇の姉])が、それに応えての歌
[77]
わが大君よ
何も心配はありません
皇神(すめらがみ)の末で
姉でもある私が
しっかりとお守りします

■710(和銅3)年、春2月に藤原宮から奈良に遷都されたとき、御輿を長屋の原[現在の天理市あたり]に停め、ふるさと飛鳥を望んでつくった歌
[78]
飛ぶ鳥の
明日香の里を
捨てていくなら
あなたの住んでいたあたりも
見えなくなってしまう

■藤原宮から奈良に移るときの歌
[79]
天皇の
ご命令をかしこみ
住み慣れた家を後に
こもりくの泊瀬(はつせ)の川に
舟を浮かべて
川をくねくね曲がるたびに
何度も何度もふりかえり
長い時間をかけて
あおによし奈良の都の
佐保川にたどりつくと
野宿する衣をとおして
月明かりが
夜の霜や岩床、川に張る氷を
照らしだします
そんな寒い夜を押して
通ってきてはつくった家に
いつまでもお越しください
大君よ
わたしもまたやってきますから

■添え歌
[80]
あおによし
奈良の家に
いつまでも
通ってきます
けっして忘れませんから

■712(和銅5)年、夏4月[現在の暦では5月か6月ごろ]に長田王(ながたのおおきみ)を伊勢の斎宮に遣わしたとき、山辺の御井(みい)でつくられた歌
[81]
山の辺の御井を
見にきたら
ちょうど
神風の伊勢のおとめらが
水をくんでいるのに
ぶつかった

[82]
さみしさがつのる
はるかな空から
しぐれが
流れ落ちるのを
見ると

[83]
海の底から
奥つ白波が
立つように
ふたりをへだてる
立田山を
いつか越えて
いとしいきみのもとに
行きたい

■奈良の佐紀の宮で、長皇子(?-715)と志貴皇子(668?-716)が宴を開いたときの歌[天武系と天智系の皇位とは無縁のいとこ同士は風雅の友だった]
[84]
秋になれば
ほら
あそこに見えるでしょ
妻恋しさに
鹿がなくのですよ
あの高野原の上では

[第1巻終わり]
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