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「波の伊八」をたずねて [旅]

ことしの正月は夷隅(いすみ)のほうをあちこち回りました。
夷隅といってもピンとこないかもしれませんが、房総半島南部、外房の九十九里浜が終わるあたりから少し山にかけて広がっている地域で、いまはいすみ市になっています。
ここを訪れたのは、つれあいの曾祖父にあたる藤平和三郎がかつて夷隅の大野というところに屋敷をかまえていて、いまはゲートボール場になっている、その場所を見てみたかったからです。
藤平家は、日蓮の弟を始祖としています。彼女の曾祖父は明治時代、千葉県の県会議長を務めた人ですが、その直系で藤平の名を継ぐ人は、この地ではいなくなっています。もっとも大野にはいまでも藤平の名をもつ家は数多く残っていますから、同族は多いのでしょう。
藤平家の歴史については、あらためて書くことにしましょう。
今回の旅では、訪れた場所のあちこちで、「波の伊八」の彫刻と出会ったのが、なかなかの感動でした。
通称「波の伊八」は鴨川出身で、本名、武志伊八郎(1751-1824)。波を彫らせたら天下一品であるところから、この名前で知られるようになりました。
まず紹介したいのは、大野にある藤平家の菩提寺、光福寺本堂正面の龍の彫り物で、偶然見つけました。ちょっとピンぼけですが、龍の目が輝いていて、なかなかの大迫力でしょう。
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大野から車で10分足らずのところには、有名な行元寺(ぎょうがんじ)があります。
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ここの本堂には高松又八(?-1716)の豪華絢爛たる彫刻ぼりの構造物が残されているのですが、注目すべきは別棟の欄間に残された伊八の彫刻です。写真撮影が禁止なので、パンフレットの写真を紹介しておきます。
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写真では木彫の立体感がつかみがたいのですが、波間に浮かぶ宝珠にめでたさを感じるのは正月だからでしょうか。この宝珠を富士山に置き換えたら、どうでしょう。まるで北斎の浮世絵そっくりではありませんか。
よく眺めると、伊八の波は、人のなからだを呑みこみ、その心を洗うかのように見えてきます。
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行元寺には1時間ほどいて、そのあと大東崎に近い飯縄寺(いづなでら)に向かいました。ここで見たのも伊八です。
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本堂正面に飾られた天狗の面にも圧倒されましたが、その手前にある伊八の龍も天狗に負けていません。
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もっとすごいのは本堂内に彫られた伊八の作です。牛若丸と天狗は、まるでここからいまにも物語がはじまるかのようにみえます。
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荒波と龍も大迫力ですが、太平洋から寄せる波を心眼で写しとったのではないかとさえ思え、はるか海のかなたに吸いこまれそうな気がしたものです。
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ことしは伊八をたずねて、いい正月をすごさせてもらいました。ただし、ひと言つけ加えると、房総は「行きはよいよい、帰りはこわい」で、帰りの渋滞は相当なものでした。

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