SSブログ

超訳万葉集(第2巻)[103〜13] [超訳「万葉集」]

■天武天皇(631?-86、在位676-86)の時代
天皇が藤原夫人[鎌足の娘いおえ]に与えた歌[五百重(いおえ)は不比等の異母妹。天武天皇夫人となり、新田部皇子を生む。天皇没後、不比等の妻となった]
[103]
都では大雪が降っている
ふりにしという
大原(小原)の古びた里に
ふるのはもう少しあとかな
[飛鳥の宮から大原(小原)の里まではほんの1キロほど]

■藤原夫人がそれに応えて奉った歌
[104]
いえいえ
岡の龍神に言って降らせた
雪のかけらが
そちらにも
散っているのでしょう
[早くこちらに来てください]

■持統天皇(645-703、在位690-97)の時代
大津皇子がひそかに伊勢神宮に下って戻られたときに、大伯皇女(おおくのひめみこ)の作った歌2首[大津皇子(663-86)は天武天皇の皇子。人望があり、天武・持統の子で異母兄となる皇太子、草壁皇子と皇位を競っているかのようにみえた。しかし天武天皇の亡くなった686年に親友、川島皇子の密告により、謀反の疑いがあるとして逮捕され、死を命じられる。妃の山辺皇女も殉死。大伯(大来)皇女は伊勢の斎王で、実の姉。大津の死後、大和に戻り、謀殺されたようだ。以下の歌は歌物語として、のちにつくられたものと思われる]
[105]
わが弟を
大和に送る
夜の時が過ぎ
明け方の露に濡れるまで
わたしは立ちつくしていた

[106]
ふたりで行っても
なかなか越えられない
秋の山を
あなたはひとりで
どんなふうに
越えているのだろう

■大津皇子が恋人の石川のいらつめに贈った歌[石川のいらつめは[96]とは別人。しかし、もともと歌物語に登場する伝説の美少女を指していたのかもしれない。この歌物語はどうやら草壁の愛人説をとっている。そうなると話はちとややこしくなる。大津と草壁の争いが、三角関係のもつれによることになるのだ]
[107]
あしひきの
山のしずくよ
いとしい人を待っていると
わたしはすっかり立ち濡れてしまう
そんな山のしずく

[108]
わたしを待っていて
あなたが濡れたという
山のしずくに
なってみたいわ

■大津皇子がひそかに石川のいらつめに会ったとき、陰陽師の津守連通(つもりのむらじとおる)がそのことを占って、ことが露見したとき、
[109]
大きな船が泊まるという
津守が占って
わかってしまうのを知りつつ
ふたりは寝てしまった

■草壁皇子が石川のいらつめ(呼び名はおおなご)に贈った歌
[110]
おおなごが
遠くの野辺で
草を刈る
そのつかの間も
忘れるものか

■持統天皇が吉野に出かけられたとき、同行した弓削皇子(ゆげのみこ、673?-99、天武天皇の第9子)が長寿を祈って額田王(ぬかたのおおきみ)に贈った歌[持統天皇の吉野行は693年か]
[111]
昔を懐かしんでいる
鳥でしょうか
ゆずりはの
泉のうえを
鳴き渡っていきます

■額田王の返歌[大和の都から]
[112]
昔を懐かしんでいた鳥は
ほととぎすでしょう
鳴いたのですね
きっとわたしが
昔を恋するのと
同じように

■吉野から苔むした松の枝を折って送ったところ、額田王がありがたく思い、詠んだ歌1首
[113]
み吉野の
かがやく松の枝が
いとしいことです
あなたのおことばをもって
やってきたのです

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0