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万葉集(第2巻)[131〜140] [超訳「万葉集」]

[柿本人麿(人麻呂)[660頃〜720頃]は天武・持統期の宮廷歌人。亡くなったのも石見の国とされ、石見とはゆかりがあるが、石見から都にのぼり朝廷に仕えたかどうかは疑問。以下の歌はおそらく物語として宴席で歌われたものだろう。石見のおとめは、あとに出てくる依羅(よさみ)のおとめとは別人。よさみのおとめの歌は地方に赴任する夫を送る歌で、人麿と関連づけて収録されたのかもしれない]

■柿本人麿が石見国[いまの島根県西部]から妻と別れて都にのぼってきたときの歌2首、あわせて短歌
[131]
石見の海、津野の浦[現江津市]には
いい泊まりがないと人はいう
干潟もないと人はいう
いいではないか
泊まりがなくても干潟がなくても
いさな[クジラ]とる海へ向かう港の荒磯には
青い玉藻や沖の藻
あしたには心地よい風が吹き
ゆうべには静かな波が寄せてくる
その波とともに寄せる玉藻のように
寄り添ってすごしたあの子を
露霜のようにおいてきてしまった
この道を曲がるたび
何度もふりかえるけれど
どんどん里は遠くなるばかり
いくつも高い山も超えた
どうしているだろう
夏草のようにしおれて
わたしのことを思っているだろうか
あの子の家がみたい
たちはだかる山よ
なびけ

■添え歌2首
[132]
石見といえば
高角山
その木の間から
振った袖が
あの子に
見えただろうか

[133]
笹の葉が
山道にざわざわ
音をたてるけれど
ひとえにあの子を思っている
別れてきたのだから

■異本に収録された歌
[134]
石見にある
高角山の
木の間から
振った袖を
あの子は
見ただろうか

[135]
ごつごつの石見の海の
ことばも通じぬ韓(から)の崎
その海中の岩に海松(みる)がはえ
荒磯に玉藻がはえている
その玉藻のように寄り添ってすごした
あの子を海のように深く思ったけれど
ともにした夜はほんのわずか
つたがはうように思いを残して別れてきた
いつまでも心が痛み
ふりかえってみるけれど
遠くへ向かう山のもみじが散るあわいから
あの子の振る袖もはっきりとは見えない
妻籠もる屋上山(やがみやま)[江津の高仙山]の
雲間を渡る月のようにあの子の家も見えなくなった
天空を陽が西に移り夕陽がさすと
大の男であるはずのわたしも
旅の衣の袖を
涙でしとど濡らしている

■添え歌2首
[136]
白馬の歩みが早いので
はるか遠く
きみのところを
離れてしまった

[137]
秋山に落ちるもみじ
しばらく散り乱れるな
あの人のいるあたりを
みたいのだから

■異本の歌1首、あわせて短歌
[138]
石見の海には
いい泊まりがないと人はいう
干潟もないと人はいう
いいではないか
泊まりがなくても干潟がなくても
いさな[クジラ]とる海へと向かう港の荒磯には
青い玉藻や沖の藻
あければ心地よい風が吹き
ゆうされば静かな波が寄せてくる
その波とともに寄せる玉藻のように
わたしになびいて共寝したあの子を
露霜のようにおいてきてしまった
この道を曲がるたび
何度もふりかえるけれど
どんどん里は遠くなるばかり
いくつも高い山も超えた
愛する人は夏草のようにしおれて
わたしのことを思っているだろうか
津野の里がみたい
たちはだかる山よ
なびけ

[139]
石見の海の
うつた山
その木の間から
振った袖が
あの子に
見えただろうか

■柿本人麿の妻、依羅(よさみ)のおとめが人麿と別れたときの歌
[140]
心配するなと
あなたはいうけれど
こんどいつ会えるか
わからないのに
なごりが惜しい

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