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黒潮の道──台湾の旅(14) [旅]

エメラルドグリーンの海をつらぬく一本の黒い道。台湾の東海岸を流れる黒潮をみていると、ほんとうにこれが一本の道のように思えてくるのが不思議です。
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国というものがない、何万年も前のはるかなる昔に、アフリカを発して東南アジアに達した人類が、この黒潮の道をとおって見知らぬ新たな地をめざしたかと思うと、大きな感慨にさそわれない人はいないでしょう。
その黒潮について、『台湾考古民族誌』などで知られる碩学、国分直一は、こう書いています(『海上の道 倭と倭的世界の模索』)。

〈黒潮といえば、日本人にはなじみ深い潮であるが、その海流は必ずしも単純ではない。赤道の北部、緯度の上で8度から23度付近までの幅をもって、北赤道海流が西流している。この海流がフィリピン群島に当たると、本流は北西方に流路を変えて高緯度地方に向かい、支流は赤道反流となって東流する。北西方に向かう本流がいわゆる黒潮である〉

国分先生が黒潮に驚いた様子は、次の一文からも明らかです。

〈筆者は一度、鹿児島大学の練習船で、黒潮本流に逆らって、台湾の東海岸からバシ海峡にはいったことがある。台湾東海岸南部あたりから、潮は目に見えて黒さを加え、蘭嶼(紅頭嶼)あたりから南に下ると、まっ黒な海となってしまった。黒潮の名の出てくるゆえんである〉

その黒潮がどういうふうに流れているかというと、

〈やや厳密に規定すると、黒潮とよばれる流れの源は、フィリピン地方であるとされている。そこから台湾の東西両沿岸を洗って北上し、沖縄諸島にかかるや、その西方を通って北東方へ向かい、大隅半島と奄美大島の間を北東に抜け、四国の沿岸を北上、犬吠埼あたりから、わが沿岸を離れて東進、北太平洋環流を形成する〉

これが黒潮の本流ですね。これに対して、支流もあります。

〈沖縄諸島の西方を北上する黒潮本流からの支流は、九州西岸を北上し、対馬・朝鮮海峡を北上して、西鮮海流となる。……九州沿岸を北上した流れの分流は対馬・朝鮮海峡より日本海にはいり、山陰・北陸沿岸を北上、その一部は津軽海峡から太平洋に出る。他は北進して北海道西岸からサハリン西岸に及ぶのである〉

西鮮海流があるというのは、はじめて知りました。
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ウィキペディアの図版を参照すると1から6までが黒潮の本流と傍流です。ほかにも九州西岸から黄海に向かう西鮮海流があるわけですね。
国分先生の記述からは、まさしく黒潮の道が目に浮かぶようです。
これに柳田国男がよく指摘していた風の動きと船を加えれば、古代の大航海の様子を再現することができるでしょう。
人類は陸地を歩いただけではなく、台湾沖を流れる海の道をとおって、日本列島にやってきたことが実感できます。
国分先生は台湾南東に浮かぶ小島、蘭嶼(紅頭嶼)のヤミ族(タオ)の研究でも知られますが、1930年代にこの島を訪れたとき、男たちは隣村にでかけるときでも、藤の兜をかぶり、手に長槍を持ち、太刀をさげていたそうです。そして、女たちは貝の胸飾り、銀の腕飾りをふんだんに身につけていました。いずれも邪霊から身を守るためだったといいます。
このヤミ族が外洋に出るための大きな丸木船をもっており、その竜骨状に突出した船首には、魔物の邪視を避けるための眼が鮮やかに描かれていたといいます。
ガイドの劉さんに「台湾から沖縄は見えますか」と聞いてみました。
さすがに「見えません」ときっぱりとした答え。
しかし、台湾北部の宜蘭から与那国島までは東にわずか100キロほどです。黒潮は台湾と与那国島のあいだを北上しています。
あくまで空想にすぎませんが、古代人が黒潮の海の道をたどって、日本列島にやってきたと想像するのはごく自然のことです。
われわれは花蓮からタロコ(太魯閣)号に乗って、最後の目的地、台北に向かっています。約2時間の快適な旅です。

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