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万葉集(第2巻)[156〜166] [超訳「万葉集」]

■天武天皇の時代
十市皇女(とおちのひめみこ)が亡くなったとき、高市皇子(たけちのみこ)のつくった歌[十市皇女(653?-78)は大海人皇子(天武天皇)と額田王の子。大友皇子(弘文天皇)の妃。壬申の乱(672年)では父と夫とのあいだで板挟みになった。678年初夏、宮中で急死、自害説もある。高市皇子(654?-96)は天武天皇の第一皇子、壬申の乱では大友皇子を攻める側にまわった。十市皇女とは異母きょうだいにあたる。天武天皇は686年に55歳ほどで亡くなったが、持統天皇の時代に太政大臣をつとめた]
[156]
三諸(みもろ)の神[三輪山]の
神杉のように
遠く夢のなかでしか会えなくなった
そんな夜がつづいています

[157]
神山[三輪山]の山辺に祭る
麻幣(しで)はあまりに短い
どうしてもっと長くならないのか
あまりに早いあなたの死に
そんなことを思う

[158]
山吹の花咲き誇る
山の清水をくみにいきたい
あなたの眠る場所へ
でもどういけばいいのだろう
そこへは

■天武天皇がみまかったとき皇后(のちの持統天皇)がつくった歌
[159]
天下をすみずみまで治められた
わが大君が
夕べにご覧になり
朝方に声をかけていた
神の山の紅葉に
きょうも声をおかけください
あすも目をお向けください
そう思いつつ
山を遠くおがむと
夕べにはあやに哀しく
明けても日がなさみしくて
荒布の喪服の袖が
かわくときもありません

■一書に以下2首も皇后の御製
[160]
燃える火でさえ
つまんで
袋にいれられるというのに
雲よ
その面立ちを知っているのだから
大君を包んでください

[161]
神山にたなびく雲の
青雲が
星を離れていく
月を離れていく

■天皇がみまかって8年後(693年)の8月8日、供養のための御斎会(ごさいえ)の夜、夢のなかでつくられた歌
[162]
飛鳥清御原(あすかきよみはら)の宮で
天下を治められた偉大なる大君
輝ける日の御子は
どのように思われたのか
神風吹く伊勢の国
海の藻のなびく浪のかなた
潮のかおりただよう国に
神々しい姿で立っておられる
輝ける日の御子よ

■持統天皇の時代
大津皇子が亡くなったあと、大来皇女(おおくのひめみこ)が伊勢の斎宮から都にのぼったときにつくった歌2首[以下、[105]の注を再録。[105]〜[110]の歌も参照。大津皇子(663-86)は天武天皇の皇子。人望があり、天武・持統の子で異母兄となる皇太子、草壁皇子と皇位を競っているかのようにみえた。しかし天武天皇の亡くなった686年に親友、川島皇子の密告により、謀反の疑いがあるとして逮捕され、死を命じられる。妃の山辺皇女も殉死。大伯(大来)皇女は伊勢の斎王で、実の姉。大津の死後、大和に戻り、謀殺されたようだ。以下の歌は歌物語として、のちにつくられたものと思われる]
[163]
神風吹く伊勢の国に
いればよかったのに
どうしてやってきたのだろう
弟ももういないというのに

[164]
会いたいと思う弟もいないのに
どうしてやってきたのだろう
とてもむなしい
馬に苦労をかけただけで

■大津皇子のなきがらを二上山に埋葬したとき、大来皇女が悲しみ嘆いてつくった歌[折口信夫の『死者の書』はこの伝承をもとに大津皇子を哀悼する物語である]
[165]
まだこの世に残るわたし
あしたからは二上山を
あなたのお姿とみましょう

[166]
岸のほとりに生える
馬酔木(あしび)を折ってみましょうか
やめておきましょう
みせようと思うあなたが
生きているわけでもないのですから

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