SSブログ

ドロボーはイヌよりネコが嫌い [本]

資料103.jpg
ドロボーはイヌよりネコが嫌いだということを知った。
イヌには、ドロボーが侵入しても一声も発しないの、人なつっこくすり寄ってくるどじなやつもいる。
ほえ立てて、飼い主に危険を知らせる忠犬もいないではない。しかし、黙らせる方法はある。
こわいのはほえる犬より、うなる犬だ。これは始末に困る。
突然、かみつくことがある。
どちらかというと高価なイヌより駄犬、雑犬のほうが防犯の役に立つという。
その点、どんなネコも泥棒にとっては、いやな存在だ。
ドロボーになつくネコはいない。
ネコは不法侵入者を見つけたら、やたら家じゅうを走り回る習癖がある。
そういえば、うちの亡くなったかりんも家族以外には、ぜったいなつかなかった。

通称「忍(の)びの弥三郎」が遺した大学ノート6冊からなる「日記」には、そんな盗みに際しての注意がびっしりつづられている。防犯に寄与すればという思いから、晩年、これまでの反省をこめて書かれた。
清永賢二の『大泥棒』は、弥三郎の「日記」を解読しながら、いわゆる「賊たち」の技と人生を追った快(怪)著である。ただし、紹介されたのは全体のごく一部。全部、公開すると、それこそ「完全ドロボー・マニュアル」になってしまうからだ。
著者は警察庁科学警察研究所に勤務し、現在は日本女子大学客員教授。
常人にはおそらく何のことかさっぱりわからない「日記」を、足を洗った元泥棒「猿(ましら)の義(ぎ)ちゃん」の手助けを得ながら読み解いた。

猿の義ちゃんにはこんな経験がある。
政界の金庫番として知られるある政治家の自宅に盗みにはいったときのこと。
どうしてもカネのありかがわからない。
金庫はあるけど、なかにカネははいっていない。
金庫の下もさぐってみるけれど、カネらしきものはでてこない。
長居は無用だ。気持ちばかりがあせりだす。
もう一度、部屋じゅうを、すみからすみまで見渡してみる。
そして、やっと気づいて、あぜんとする。
じつは、金庫そのものが金(gold)でできていたのだ。
まさかこの重たい、文字どおりの「金庫」をかついで逃げるわけにもいかず、たまげた義ちゃんはスタコラサと逃げだす。

この本には人はなぜ犯罪者になるのか、犯罪の行動原理、「探る」「獲(と)る」「逃げる」の3動作など、いわゆる「犯罪行動生態学」がみごとに体系化されている。
著者は「忍びの弥三郎日記」を読みはじめたとき、どこかでこれと似た書きものをみたような思いにさそわれ、はたと気づく。
永山則夫の『無知の涙』と同じ偏執的狂気を感じたのだ。
犯罪者を糾弾し、おとしめようというのではない。
この本を読むと、ドロボーというのは、変わってはいるけれどれっきとした「職業」であることがわかる。
そこには日々の技の修練、合理的判断と果断な行動、そして教養の積み重ねがある。
修練を積んだプロのドロボーにかかれば、どんなに戸締まりを厳重にした家でも、たちまち中にはいられてしまうかと思うと、だれしも鳥肌がたってしまうだろう。
映画などとちがって、実在のドロボーはけっしてかっこよくはない。愛人はおろか、友だちもほとんどいない。好きなのはギャンブルぐらい。孤独そのものである。
ドロボーという仕事を選ぶにあたっては、それなりのつらい過去がある。

「忍びの弥三郎」は家人が就寝中に屋内に侵入し、金品を盗むことを専門とした。
犯行軒数は延べ1500件以上。享年64歳。うち9回刑務所暮らしをし、人生の33年を獄中に送る。最後の2年は病院で死と対話する日々だった。
人はなぜ犯罪者になるのか。弥三郎日記にはこうある。

〈我が子を丈夫に立派に育て上げることは、子を持つ親として、だれもの念願である。育児の目的は、健康な小児に、立派な青年に、有為な一人前の人間に育て上げることである。……それは、愛情によって裏づけされた理性の発露である。保育の知識を完全にもち、育児の目的をはっきりとわきまえて、そのうえに、親の愛情をそそいでいくならば、子どもは立派に育つものである。……しかし、この愛情の不足、子どもから青年の段階で[愛情が]欠けた者は犯罪者になる〉

殊勝な言い草かもしれないが、みごとな教訓になっている。
「子育ての失敗はおれを育てる」とも書いた弥三郎の人生には、人に話せないつらい子ども時代があったにちがいない。

本書の最終章で、著者は、犯罪とは「野生の文化」であるとしながら、「裏文化」がなくなりつつある日本で、ほんとうに悪は消えたのか、実は悪は「より巧妙に変形を遂げながら社会の深層に潜り込んで」いるのではないかと疑問を呈している。
そして「悪」について、こう問いかける。

〈そもそも悪は必要ではないのか。何もかも表に引き出し、悪として糾弾していいのか。浅薄に「悪の裏側は善」と定めてしまっていいのか。悪と判定し刻印を押す者はまったく善なる存在か。ある行為を「悪」とレッテル張りする、より大きな悪が存在するのではないか。悪を生み出す大要因である社会的不均衡、不平等、格差、さらにいえば人間が近代化の過程で肥大化させ続けている「もっともっと」という欲望・欲求を押さえ込むことはできるのか〉

この問いは重い。

nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0