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高橋紘さんの思い出 [人]

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きょうは皇室ジャーナリストだった高橋紘さんを「しのぶ会」。私的な面にわたりますが、少し思い出を書いてみることにします。
高橋さんとはじめてお会いしたのは、勤めていた会社の労働組合執行部。たしか1976年のことで、のちに常務理事になる宮島光男さんが委員長でした。高橋さんは社会部の記者で、それまで2年ほど宮内記者会で仕事をしていたはずです。組合ではかれが教宣部長、毎日、山口光さんと組合ビラの原稿を書いていたと思います。ぼくも職場から中央執行委員に選ばれて、組合に参加し、かたちだけ教宣部に属したのですが、実は現場の営業の仕事が忙しくて、組合はさぼってばかりでした。あのころは、やたら「中闘会議」が長く、よくストを打っていたことを覚えています。毎晩帰宅は遅かったですね。
ぼくは新聞労連東京地連にもかかわっていたのですが、現場の仕事が忙しくて、こちらのほうも熱心とはいえず、さぞかしみんなから「いいかげんなやつだ」と思われていたにちがいありません。そんな負い目もあって、1年ほどの組合活動のあとは、1年交代の執行部の面々とも疎遠になってしまいます。
組合のとき印象的だったのは、高橋さんが「ぼくは天皇を尊敬している」とよく話していたことです。「天皇陛下」とは言わなかったような気がします。「きみはどうだ」と聞かれて、ぼくはムニャムニャとごまかしたのではなかったでしょうか。
その後、ぼくのほうは出版の営業・編集の現場を行ったり来たりしながら、次第に単行本を編集するようになります。高橋さんは社会部デスクをへて、社会部長になり、仙台支社長、ラテ局(ラジオ・テレビ局)長を歴任、東京MXテレビの取締役なども務められて、ぼくが勤めている子会社の取締役に就任します。そのころ、表向きの役職とは別に、すでに皇室ジャーナリストとして名をはせておられました。
どの役職におられるときも、引っ込み思案のぼくに「よお」と声をかけてくださったものです。そんな高橋さんとまた縁ができるのは、かれが外部の雑誌で連載していた皇室エッセイを『天皇家の仕事』というタイトルで出版するさいに、ぼくに声がかかったためです。「皇室写真集」をつくるときにも、何かとお世話になっていました。
ケネス・ルオフの本を出さないかと話があったのは、高橋さんのほうからです。戦後民主主義と天皇制を論じたこの本は、ぼくも翻訳を手伝い、高橋さんが監修をして出版し、大佛次郎論壇賞をもらいました。本ができるとき、高橋さんはすでに取締役をしりぞいていて、ご自宅にうかがい、細かい手直しをしたあと、遅くまでご馳走になり、ぼくがすっかり酔っぱらったことを覚えています。広い書庫には本がぎっしり並んでいましたね。あのころは国学院大学の講師もされていて、その教室で細かい表現をめぐって、ずいぶんやりとりしたことが昨日のようです。
静岡福祉大学の教授になられてからも、ときどきお会いしていました。ぼくが無事定年を迎えるときも、ずいぶん気をつかって一席もうけていただき、ワインを飲みながら楽しく懇談しました。皇室典範を改正し、女性天皇を認めるべきだという主張は一貫していてりっぱでした。悠仁さんの誕生で、その論議は棚上げになってしまいましたが、お世継ぎ問題はいまもなくなったわけではありません。
「昭和天皇を書く」と、ずいぶん前から宣言していましたね。高橋さんががんにかかっていることをご本人から聞いたのは2010年12月のことでした。ぼくが翻訳し出版した『紀元二千六百年』をご自宅にお送りしたところ、メールで返事をいただいたときに、こう書いてありました。
〈ルオフ本、拝受しました。ありがとうございました。福島君から聞いたと思いますが、1年前に食道がんを宣告され、抗がん剤治療を続けています。東海大、10月から7週間、築地のがんセンターにいました。副作用でかなり手足がしびれますが、がんばって「昭和天皇」を書いています。講談社から2巻本で出る予定で、1冊600枚ほどですから、かなりの大部です。病気のお蔭で仕事がはかどり、平成の結婚まで来ました。明治から平成まで書きますが、主な狙いはこれまでほとんど書かれていなかった、天皇の誕生から即位までのことです。天皇が赤坂御所のどの辺で生まれたとか、アソル公爵邸とはどんなところだとか、玉音放送の現場とか。満州事変までが上巻です。講談社はいいと言ってくれるのですが、果たしてどうでしょう。大兄も美智子さんと同じ病気とか。痛いでしょう。お互いに頑張りましょう。病気なんかに負けずに〉
何と、自分の病気をさておいて、ぼくが顔面の帯状疱疹で苦しんでいるのを、逆に気遣ってくれているのです。
最後にお会いしたのは去年4月のことでした。めずらしく会社にでかけたときに、たまたま会って、短い立ち話をしたのでした。抗がん薬の副作用でしょうか、顔がムーンフェースになっているので、ぱっと見た瞬間、だれかわからなかったのですが、高橋さんのほうから「よう、元気か」と声をかけてくれたのです。そのときは昭和天皇関係の資料を調査するのが目的だったと思いますが、いつものように大きな声で、快活にいろんなことを話されたので、ぼくはこんなに元気ならだいじょうぶだと勝手に思いこんでいました。それがまちがいのもとでした。
亡くなったのはそれから5カ月後の9月30日。69歳というのは、あまりに若かったといえるでしょう。2巻本の大作『人間昭和天皇』は12月に講談社から「渾身の遺作」として発刊されました。
ぼくは「天皇制廃止論者」ではありませんが、政治的には「大統領制」を支持しています。それでも高橋さんの『人間昭和天皇』を読むと、昭和天皇が戦前戦後を通じ、たぐいまれなるりっぱな「君主」であったことが、惻々と伝わってきます。いっぽうで「昭和」がほんとうに遠くなったと感じます。
「しのぶ会」を前に、そんなことを思い、ブログにつづってみました。

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