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ムハンマド・アリ・モスクへ──15日間エジプト・トルコツアー(2) [旅]

2日目 2012年6月14日

エジプト・トルコ大周遊の旅と銘打っているものの、実質13日間の旅程のうちエジプトは実質的にほんの2日。だいたいがトルコの旅で、その行き帰りにエジプトに立ち寄るだけです。それでもツタンカーメンの黄金のマスクとピラミッド群に出会えるのはハッピーですね。
カイロ空港に到着したのは、まだ夜明け前だったので、飛行機の窓側からは街の明かりがよく見えました。それは東京のように電飾の海というのではなく、ダイヤやサファイア、エメラルドなどの宝石を闇にちりばめたようで、その秘めやかな光はなぜか『千一夜物語』を思い起こさせたものです。
ボルヘスが『七つの夜』で語っていたように、『千一夜物語』は、インドを発祥とし、ペルシャで形が整えられ、アラブ風に変形され、そして15世紀末、カイロで完成します。だから『千一夜物語』をアラビアの物語だと思うのはまちがいですね。
シンドバッドはインド洋で活躍するイスラム商人。アラジンは何と中国人です。物語の世界は思った以上に広がっています。それはイスラム世界全域に広がる物語だったといってよいでしょう。ただし、アラジンは実際には『千一夜物語』のアラビア語原典には登場せず、あとでどこかで加えられたようです。
ボルヘスはこんなふうに言っています。
〈『千一夜物語』は死んだものではありません。その本はあまりに膨大なので、読み切る必要がない。なぜならそれはすでに私たちの記憶の一部であり、今宵の一部でもあるからです〉
そう聞くと、安心ですね。
エジプトに行ったことのないぼくが、エジプトについて勝手に思い浮かべるイメージ、それはピラミッドに代表される古代文明と、『千一夜物語』風のイスラム世界からできていました。もっとも、そのいずれも詳しい知識があったわけではありません。ボルヘス流にいえば、「記憶の一部」として、勝手に縫いこまれていたにすぎません。エジプトの「現実」は欠落していました。
空港で荷物を受け取るとまず両替です。60ドルが360エジプトポンドになります。とりあえず、きょう1日ですから、これくらいあれば間に合うでしょう。
ロビーの前にとまっているバスに全76人のうち、われわれのグループ38人(たぶん)が乗りこみます。中国製のバスは──中国製だからというわけではなく──掃除が行きとどいていない感じ。添乗員さんが「生野菜を食べると、お腹をこわしやすいので、できるだけ食べないように」と警告を発したあたりから、現実に引き戻されます。
カイロ空港は市内の北東15キロほどの距離にあって、バスで街に向かうにつれて、だんだん夜が明けてきます。エジプトのガイドさんが、エジプトの面積は日本の3倍近い100万平方キロで人口は8100万人、しかし国土の94%が砂漠だと説明してくれます。そういえば、空港に降り立ったときから、ほこりっぽく、霞がかかったようで、何やら焼けた砂のようなにおいもしました。
高速道路の脇には、レンガづくりのマンションがところ狭しとばかりに並んでいます。上のほうには針金のようなものが突きだしていますから、どうやらつくりかけのようです。急速に人口が増えたため、もともと畑だった場所に家が続々と建てられました。未完成だと税金がかからないので、つくりかけのままにしておいて、実際は中に人が住んでいるといいます。
ナイル川ですといわれて、車窓から見渡した川は思ったより穏やかで、中州をはさみながら、滔々と流れていました(これは朝食後にとった写真)。
DSCN6027.JPG
朝食をとったのはギザにあるカタラクト・リゾート・ピラミッド(ここは14日目に宿泊するホテルでもあります)。空港から40分ほどで着きました。
ここからピラミッドまでは600メートルほどだというのですが、周りに建物が増えたせいか、それらしきものは見えません。ホテルの前はサッカラに向かう街道です。DSCN6021.JPG
[ピンクシャワーツリー]
そのデコボコ道をトラックやバス、乗用車、オートバイ、それに荷馬車までが、人やものを積めるだけ積んで、ほこりを立てながら走っていきます。不思議と自転車を見かけないのは、まだ通勤時間ではないからでしょうか。
道の向こうにはナイルへとつづく運河が流れていました。なにやらゆかしげな鳥がたわむれていると思えば、その土手はゴミだらけでした。
DSCN6023.JPG
朝食を終えて、最初におとずれるのがムハンマド・アリ(モハメッド・アリ)モスクです。
現地のガイドさんが、モハメッド・アリという名前の人は、有名人がふたりいると説明します。
ひとりは世界ヘビー級チャンピオン、もうひとりがエジプトにモハメッド・アリ王朝を開いて、モスクを建てた人物。
「何人でしょうか」と聞かれて、われわれはとうぜんのように、ボクサーのほうがアメリカ人で、モスクを建てたのがエジプト人と答えます。
ブーとガイドさん。
ボクサーのモハメッド・アリはエジプト人で、モスクをつくったモハメッド・アリはアルバニア人だというのです。これには少しびっくりしました(ただし、ボクサーのアリ(旧名カシアス・クレー)の父親は、エジプト系アメリカ人ですが、純粋のエジプト人ではありません)。
そんなことを教えてもらっているうちに、モスクに到着。
ここは街の東部にある旧市街の南部にあり、モカッタムという丘の上です。
サラディン(サラーフッディーン)によってつくられた城壁と王宮跡(シタデル)も残っています。この丘が12世紀から19世紀まで、カイロ、ひいてはエジプトの政治の中心地となっていました。
DSCN6030.JPG
ここからカイロ市内がよく見渡せます。
たしか、ガイドさんは、この丘と向かいあっているもう一つの丘が、ピラミッドの石切場だったと話したと記憶しています。
ぼくのおぼろげな記憶では、二つの丘の谷に墓地が広がっていたような気がします。そこに住宅がもてない人が2万人近く住んでいて、スラムのようになっており、貧困者用の市場もあって、いまでは社会問題化していると、ガイドさんが話したことも憶えています。
ムハンマド・アリ・モスク(通称ブルーモスク)の前にやってきました。
DSCN6031.JPG


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