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『「語る人」吉本隆明の一念』(松崎之貞)を読みながら [本]

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 吉本隆明さんが亡くなってから半年近くが過ぎようとしています。思想、文学の武芸百般に通じたこの人が、国内、国外を問わず、並みいる学者や評論家をバサリバサリと切り捨てる姿に、ぼくも若いころは快感をいだいたものです。
 論争相手のことをよく知らなくても、また扱われている本に目を通していなくても、吉本さえ読んでいれば、世界のことは何でもわかったような気になっていました。
 吉本は反対の反対だからね、と友人はよく言っていました。いわゆる良識派とか知識人が嫌いでした。だからといって、保守とか反動だとかいうのではありません。この人は、権威や組織による思考の押しつけに反発し、常に自分が自分の頭で考え抜くことをみずからに課していたのでしょう。
 その思考方法は、立体的に屈曲しているといえなくもありません。つまり、反対の反対。奥が深いのです。ことばの表面だけをとってはいけません。
 吉本さんは衆をたのまず、ひたすらみずからのことばで語ることに徹しました。そのとき根拠にしていたのは、〈大衆の原像〉なるものです。
 つまり、どこかで自分の思考が正しいかどうかを大衆の眼でチェックしていたのです。ここでのポイントは、ふつうなら思考の正しさを知者のことばによって検証するのに、それを心の奥にある大衆の眼で確認したということですね。
 しかし、その考えがひとりよがりの信念におちいることはなかったのでしょうか。自分のことばをもつというのは、ひとつの信に達するということです。それにいたるには、多くの思想上の格闘、試行錯誤があるでしょう。それを越えて生まれた信には、いわば崇高な輝きがあります。
 でも、それがまちがっていたとしたら? 鶴見俊輔さんは、マチガイ力(りょく)に学ぶということをよく言います。信はマチガイのうえに成り立つことも多いのです。それが思想のこわさですね。
 でも、ぼくは吉本さんという人が好きでした。

 おしゃべりが長くなって、この本のことをちっとも書いていませんね。この本は、晩年の吉本さんと親しく接した編集者が、その人柄や思想についてつづったものです。
 晩年の吉本さんは、〈書く人〉ではなく、ひたすら〈語る人〉だったといいます。
 それには理由があります。
 70歳をすぎたころ(1996年)、吉本さんは伊豆の土肥で溺死しそうになりました。からだが目立っておかしくなったのはそれからです。あまり歩けなくなり、糖尿病も進んで、目もよく見えなくなりました。

〈視力の衰えがいちばんキツかったことはまちがいない。本も読めなければ、原稿も書けないからだ。そこで仕方なく、表現方法を執筆から口述に変えたのである〉

 そう著者は書いています。
 おそらくこの15年、亡くなる直前まで、吉本さんは詩や文学、世相、宗教、政治、経済、家族、老い、そして死について語りつづけました。
 千駄木の自宅には週2回くらいの割で、記者や編集者がやってきます。かれらに対し、吉本さんは3時間くらい話しつづけるのがふつうだったようです。
 その人柄はむずかしい思想家の印象とはうらはらに、じつに率直で、「風通しのいい人」だったといいます。

〈じっさい、吉本はじつに率直である。構えるところがないし、飾るところがない。自宅での座談というせいもあろうが、冬はだいぶ着込んだセーター、夏はTシャツに半ズボンといった姿で、まったくのざっくばらんである。たまに胸のあたりに食べ物のシミがついていたこともあった。その口調も、上に立ってものをいうところはけっしてない〉

 ぼくも一度だけ吉本さんの講演を聞かせてもらったことがあります。25年ぐらい前でしょうか。銀座のちいさなホールみたいなところでしたが、はじめて見た吉本さんは、気むずかしい思想家というより、どこかの町工場の親父さんみたいな雰囲気で、見た瞬間、いいなと思いました。
 その話しぶりは朴訥で、ひょうひょうとしているのに、ものすごく熱がこもっていて、それにまた感動しました。菊地信義さんの会で、テーマは装幀論でしたが、中身はあまり覚えていません。わかったようで、わからない。でも、分析的で、哲学的だったような気がします。すごいなあと感じ入りました。

 晩年の吉本さんは糖尿病に苦しんでいました。インシュリンを打ったあと、何も食べないで寝てしまい、逆に低血糖で意識不明になったこともあるようです。
 食事制限もきつかったようです。でも、あまり制限ばかりされていると、何ごともやる気がなくなってきます。「よしっ、きょうは食う日にしちゃえ」と積極的に規則を破って、元気をつけたこともあるというのはほほえましいですね。
 足腰が弱って、ほとんど歩けなくなったのもつらかったでしょうね。著者は偶然、自宅の近所で吉本さんが散歩する光景を見かけています。

〈体をほぼ九十度、「くの字」形に曲げた吉本は銀髪の頭を前に突き出し、一歩一歩杖をつきながら、キッとした目で地面を見すえて歩んで行く。チラッとしか見えなかったが、その目つき、顔つきは「必死の形相」と形容しても大げさではない。歩幅はとても狭い。地面に刺す杖の手ごたえをたしかめながら、グッグッと進んで行く。前に進む速度はきわめて緩慢としている。それでも、ひと足ひと足、地を踏みしめるようにして歩を進めて行った……〉

 吉本さんは夜型の人で、起きるのは午後2時ごろ、それから毎日、近所を100メートルくらい散歩して、体調を整えてから、午後3時以降の各社からのインタビューに臨んだといいます。
 談話といっても、それは気ままな雑談ではありません。おそらく深夜の思索の結晶がにじみ出たものだったにちがいありません。散歩は頭を動かすための準備でした。
 87歳で亡くなる直前まで、おそらく〈語る人〉の日々はつづいていたのでしょう。そのことに何よりも深い感動を覚えます。

 ぼく自身は、かならずしも吉本さんの見方に賛成していたわけではありません。どこかで辺見庸さんが、吉本は「脇があまい」と語っていたような気がしますが、そのことはぼくも感じていました。
 たとえば、この本でも吉本さんが消費税に賛成していたという話がでてきます。税金は消費税一本にしぼって所得税ゼロにするのが望ましいというのですが、これには違和感をおぼえます。
 税金が消費税だけになると、税金を払いたくない人は、節約したり、選択的消費をしたすればいいというわけです。
 はたしてほんとうでしょうか。
 資本主義は人類の生みだした最高の傑作だというのも、はてなです。
 そのいっぽうで民主党政権は、真のマルクス主義をめざした三浦つとむの考え方を実現しようとしているというような話もしています。
 オウム真理教を事件としてではなく、宗教として扱うべきだと主張したのも吉本さんでした。それはわかるのだけれど、でもそうは言ってられないんじゃないかと思います。
 最近では、原発をやめろというのは「人類をやめろ、というのと同じ」という発言もありました。
 ことばの表面だけとれば、姜尚中の評したように「教祖の思想的な命脈は尽きていた」ということになるのでしょう。
 しかし、吉本さんのこうした寸言も、おそらくもっと深い文脈のなかで、とらえなおされるべきなのでしょう。姜尚中も単純すぎると思います。
 本書を読んでいて、吉本さんが死について、こんな境地に達していたことを知りました。

〈そこでわたしが「死」をどう考えるようになったかというと、「死」は自分には属さないという結論に立ち至った。死を決めるのは近親者かもっとも親しく看病した人である。言い換えれば、意識的な自殺以外、自分では死を決めることができない、ということだ。
 そうだとすれば、自分の「死」はほとんど「生」とおなじではないか。両者はイコールではないか。そう考えると、死についてよけいなことを考えても意味はない。それでいいのだと思う。
「死」はおそらく、もともと自分のものでもないし、また老齢者のものでもないのだ。赤ん坊だって死ぬし、自分で死のうとおもったわけでもないのに事故に遭って死んでしまうこともある。自分で自分の死を決めるわけにはいかないというのが「死」の本質だ〉

 ぼくがこういうことを言うと、まわりから「ずるい」といわれそうですが、吉本さんが言う分には許されるでしょう。内心、そのとおりだなと思ったりもします。
 いずれにせよ、これは晩年の吉本さんの一念が伝わってくる、いい本です。

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