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『消えたヤルタ密約緊急電』(岡部伸)をめぐって [本]

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 歴史に「もしも」は詮ない嘆きかもしれないが、もしも太平洋戦争末期、スウェーデンのストックホルムから陸軍武官、小野寺信が打電していたヤルタ密約情報を大本営が真剣に検討していたら、日本の終戦はもっと早まり、その後の東京大空襲や沖縄戦、広島・長崎への原爆投下、シベリア抑留、北方四島の占領なども避けられたのではないか。
 本書は、そんな「もしも」の奇跡を引き起こしたかもしれない、たった一通の電報の行方を追った執念の力作である。
 電報が伝えていたのは、「ソ連はドイツの降伏より3カ月後に対日参戦する」という密約である。だが、戦後判明したことに、大本営ではだれもそんな電報をみた覚えがないという。とうぜん政府上層部もヤルタ密約を知らなかった。すると、その電報はどこに消えたのか。
 ヤルタ会談が開かれたのは1945年2月上旬のことである。アメリカのルーズヴェルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンが一堂に会したこの会談では、敗戦間近いドイツの戦後処理がおもに話しあわれた。しかし、同時に日本を敗北に追いこむための方策として、ソ連が対日参戦することが求められ、スターリンも喜んで同意した。
 この約束は密約にする必要があった。当時、日本とソ連のあいだでは中立条約が結ばれていたからである。
 しかし、会議が終わって早々に、この密約の存在に気づいた日本のインテリジェンス・オフィサーがいる。それがストックホルムに陸軍武官として駐在する小野寺信少将だった。
 どのようにして、かれはいちはやくその情報を手にいれたのか。そのカギとなるのは、かれが築きあげた信頼関係にもとづく正確無比な情報ネットワークである。
 本書は、知将、小野寺信の人物像に迫るとともに、その諜報活動の実態、人的ネットワークの広がり、スクープの秘密をあますところなく明らかにしている。夫人、小野寺百合子が著した名作『バルト海のほとりにて』では、まだ曖昧であったり、謎として残されたりしていた部分が、長年の調査によって、より鮮明に描かれたといってもよい。
 ペーター・イワノフという男が出てくる。本名ミハール・リビコフスキー(おそらく正確にはミハウ・リビコフスキ)。リトアニア出身で、ポーランド参謀本部に勤めていた。ドイツによるポーランド侵攻後、一時収容所に送られたが、そこを脱出し、ベルリンで満州国のパスポートを得て、ラトビアのリガにあった日本の陸軍武官室にもぐりこむ。そして、今度はバルト三国がソ連に吸収されると、ストックホルムに移り、そこで小野寺と出会った。
 ポーランドの愛国者である。
 リトアニアのカウナスにいた杉原千畝が、ユダヤ系ポーランド人を救う「命のビザ」を発給した背景には、イワノフの部下たちの働きかけがあった。
 イワノフはロンドンに拠点を置く亡命ポーランド政府の参謀本部と連絡を保ちながら、ストックホルムを拠点にソ連情報の収集にあたっていた。日本に恩義を感じながら、反独反ソの姿勢をつらぬく微妙な立場にある。
 そのためナチス親衛隊指導者ヒムラーはかれを「世界で最も危険な密偵」と呼び、その行方を必死で追っていた。小野寺はドイツの追及からイワノフを守りぬき、大戦末期にはロンドンに脱出させている。
 1941年はじめ、ドイツが対ソ戦を準備しているらしいという情報を小野寺がつかんだのも、イワノフらからである。実際にバルバロッサ作戦がはじまってからも、表向きの快進撃宣伝とは裏腹にドイツの苦戦が伝わってきた。
 イワノフの情報はきわめて正確だった。その年10月、ドイツの劣勢を知った小野寺は大本営に「日米開戦は不可なり」との電報を何十本も打ち続ける。だが、大本営からは一本の返信もないまま、日本は無謀な対米戦争に突入する。
 ロンドンの亡命ポーランド政府に帰属してからも、イワノフは命の恩人の小野寺に秘密情報を送りつづける。
「ソ連はドイツの降伏より3カ月後に対日参戦する」というヤルタ密約情報を知らせたのもイワノフだった。そこには小野寺との友情に加えて、存亡の危機に立つ日本を何とかして救いたいという思いが働いていた。
 だが日本の大本営は、このヤルタ密約緊急伝を握りつぶす。それどころか戦後になっても、そんな電報は届かなかったかのようにシラを切ったのだ。
 著者は防衛省の史料室、米国立公文書館、英国立公文書館などを調査し、公刊された各国の戦史をひもとき、さらに当時の関係者とも会って、小野寺が参謀本部次長の秦彦三郎にあてた緊急電のゆくえを追い、ついにその痕跡を探り当てる。
 それは当時、大本営参謀本部作戦課を動かしていた、あまりにも有名な参謀、瀬島龍三のところで途絶えていた。
 著者はこう書いている。

〈間違いなく特別機密電報は届いていたのである。小野寺がヤルタ密約をスクープしたことは明らかだ。そして、それは一握りの者だけでなく……参謀本部の「常識の判断」になるほど多くの者が知り得ていたのだ。しかし、ソ連の対日参戦は敗戦をも意味する不吉な情報ゆえに、作戦課の「奥の院」は、本土決戦を控えた兵士の士気に大きく影響する軍事機密と判定し、これを握りつぶしたのである。もちろん、その背景に、ソ連を仲介とする和平工作の大きな動きがあったことを忘れてはならないだろう〉

 戦争末期、日本の軍部は、沖縄や硫黄島を「捨て石」にしながら、本土決戦をし、米軍に一矢報いるという「一億玉砕」の作戦を本気で考えていた。
 そのいっぽうで、ソ連のスターリンの仲介により、米英との和平にこぎつけようと画策していた。仲介の見返りは南樺太の返還、漁業権の解消、場合によっては北千島の譲渡、それに満州国の中立化とその利権の提供だったという。
 日本の軍部はこうした妄想のシナリオにとりつかれていた。小野寺の緊急電はそれに警鐘を鳴らすものだったといってよい。だからこそ、参謀本部によって握りつぶされたのだ。
 本書があぶりだすのは、国家的妄想のおろかさである。
 インテリジェンスなき信念と、主観的願望への拘泥、必要な対策を怠る無為、何が重要であるかを判断できない愚劣さ、これらは「不都合な真実」に目をつぶる日本の中枢の硬直ぶりを示している。しかし、それらはすべて、どこかで見た光景ではないか。
 現在の福島原発事故や領土問題へのギクシャクした対応ともつながっているような気がする。
 だが、わざわざ教訓めかさなくても、本書は文句なしにおもしろい。
 いや、おもしろいというのは語弊があるにしても、戦争末期の敵味方入り乱れての諜報活動が手にとるようにみえてくる。
 スウェーデン赴任前の上海での日中和平工作も興味深いが、小野寺と杉原千畝との意外な接点、反ヒトラー派のドイツの情報士官カール・ハインツ・クレーマーとの関係、スウェーデン公使岡本季正の妨害工作なども浮かび上がってくる。
 よくここまで調べあげたものだと感心するほかない。

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dendenmushi

@やっぱり、またあの人物ですか!! (-.-#)
by dendenmushi (2012-10-02 05:14) 

ktm

大本営の参謀とはどれをとっても酷いですね。
今から振り返るとですけど。

by ktm (2012-10-03 07:13) 

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