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はるかなる旅へ [柳田国男の昭和]

《最終回》
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 頭のなかをさまざまな思い出が、走馬燈のように、だがゆっくりと浮かんでは消え、幾度もくり返しながら流れている。
 インタビューを受けると、国男は故郷のことや青年時代の話、民俗学や女性学、日本語や書物、米と信仰、沖縄と船、その他あらゆることを、何十ものひきだしから取り出すように何時間も語りつづけた。それは川のように流れ、山のようにつらなる、はてしない物語となった。
 最晩年はちくりと人を刺すような皮肉は少なくなり、たくまざるユーモアと遠くをなつかしくふり返る姿勢が目立つようになった。
 たとえば、テレビを別として、おそらく最後の肉声を刻したと思われる「中央公論」1961年7月号の「明治人の感想」というインタビューでも、国男は教科書の歴史について、こんなふうに話している。

〈編集部 明治20年代までは教科書といっても、国定がなくて自由でしたね。
柳田 「ハト・ハタ・タコ・コマ」なんという教科書はぼくらは知らない。使わないんだから。はじめから「アジア人種・ヨーロッパ人種」、これが、あの当時の小学読本の1巻ですからね。ずいぶん長く使いましたよ。あとで見ると、アメリカでこしらえたウイルソンのイングリッシュ・リーダーの直訳なの。(笑)教科書まで翻訳したんだから、最低学年の初等8級でそんなむずかしいことを教えていたのです[当時の初等小学校は満6歳で入学、半年ごとに進級し、8級4年制だった]。
編集部 初期はみな翻訳でしたね。そういう教科書で教えられたのですから、明治の前半の人というのは、ヨーロッパ、欧米なみのことが頭に先に入っているわけですね。
柳田 君は覚えていないだろうが、「鶏がひよこをなくして、この牝鶏は甚だ憂え悲しめり」とか、「魚を釣るには雨天の時をよろしとするか、しかり天少しく曇りて風なく、暖かなる日をよろしとす」というのが1年の教科書のはじめにあるんだ。翻訳の原本を見たらなるほどと思ったけれども、乱暴なものでしたね。(笑)「しかり」なんてね。叱られることかと思った。(笑)〉

 同じインタビューでは、歴史書についても闊達に話している。日本の歴史では近世史、すなわち江戸時代の歴史が手薄で、文字どおり百姓の生活を含めて、世の中全体の移り変わりを描いた歴史書があればいいのにと国男はいう。

〈柳田 わたしのねらっているのは、江戸時代社会史の維新運動のほうはいいから、あれに拘泥しないで平常に進んでおった時代の歴史が知りたいんだ。それ以前に細かい傾斜で移動しているからね。少なくとも江戸の中期以後に、どこかに目に見えてはっきり傾斜面が出ているのです。それを見ないで初期と同じだという人は一人もいませんけれども、しかしどこが区切りだということをやろうと思うと大胆すぎて怖いから言いませんしね。江戸時代史というものは存外書かないものですから、史学の人がもう少し書くといいと思うけれども。伝記に近いものはやっているけれども、国全体を見わたして農村の調子がどう変わってきたとか、こんなところに明るい光が見えだしたとか。そういうことを書くやつは少ない。それがわかるといいな。総合することができないのですね。ことに下半期は往来が激しいし、一つの地方だけに限ることができないのです。
編集部 そうすると先生の今もっておられる関心では、江戸時代が主なんでしょうか。
柳田 そう、歴史をやるぐらいなら、古いところをせんさくして、伝記か歴史かわからないことばかりやっているのはだめだというのです。坊さんの伝記なんかは、ほんとうに無駄だからね。読んでいるとすぐにいやになっちゃう。同じようなことをやっているだろう。毎日毎日殿様なんかも平和の時代に武将でもないし、ほんとうにみな均一生活をやっているんだから〉

 国男の関心が、たえまない読書を通じて最晩年になっても広がりつづけていることがわかる。古歌をなぞらえば、それはさざれ石が、小さな石から長い年月をかけて大きな巌へと成長するのにも似ていた。
 梅棹忠夫は「柳田国男の学問こそは、もっとも体系的な『科学』であった」といったことがある。断片的なエッセイや感想と思えるものが、少し離れてみると、実は無数の論理の糸にかがりあわされて、大きな山塊の一部を形成していることに気づかされる。
 柳田山塊の全容は、いまだに踏破されつくしていない。
 とはいえ、このころ国男の心をよぎるのは、はるかな旅の思い出だった。夢は広野をかけめぐっている。
 1961年7月26日から8月14日にかけ、朝日新聞は「柳翁閑談」と題するエッセイを15回にわたって掲載した。はてしなくどこまでもつづく談話を、秘書の鎌田久子(のち成城大学教授)が国男の著作を切り貼りして短くまとめ、それをもとに記者の森本哲郎が書きなおした。
 だが、ここにも第1回から旅の話がでてくる。

〈高い峠に立つと、今まで吹かなかった風が吹き、山路の光景も一変するようなことによくぶつかる。私はよく峠のない旅は、アンのないマンジュウのようなものだといってきたが、峠のあちら側とこちら側との、いちじるしく違う所をえらんで旅をするのは、旅人の一つの道楽といってよいかもしれない。日本の峠を全部越えてみたいと願いながら、私の越えた峠はいくつぐらいになるだろうか〉

 かつて旅した峠越えの道を、ひとつひとつ思いだしていたのだろう。窓辺に腰掛けていても、頭のなかは旅がつづいている。山道を歩いているときの足の感触がよみがえるのだ。

〈夜汽車で飯田橋を出て、翌朝先方に着く。ワラジにはきかえ、朝霧をふむ感じ、地面に吸いつくように、霧にしめって、ワラジの方から足の裏にぴたりとついてくる感触というものは、人に語れないほど心地よいものであった。指が自由に動いて歩くということは、クツの生活ではわからない感じであろう。旅に出て、早朝出発というのも、一つにはこの感触を味わいたく、わざと露の道を歩きたいためであった〉

 飯田橋から汽車に乗ったというのだから、養子先の妻の実家に暮らしていたころである。時代は明治の終わりから大正はじめにかけてだろう。国男は旅に出て、地を踏みしめ、地とひとつになった。
 その旅も終わろうとしている。別れの日が近づいていた。
 1962年(昭和37)5月3日、成城大学で日本民俗学会主催の米寿祝賀会が開かれた。メインテーブルについた国男はにこやかに笑みをたやさなかったが、さすがに老衰ぶりは隠せなかった。
 国男の弟子で、毎日新聞記者の今野円助は、この日、送り迎えを担当した。さほど長い祝賀会でもないのに、国男が途中で「ちょっと家に帰って休みたい」というので、自宅と会場を自動車で二度往復することになった。もう体力が限界に達していた。
 おそらく最後に国男が会場に姿をあらわしたときのことだ。そのときの様子を今野はこう記している。

〈世話人たちの相談でちょっと顔を出していただくが、少しでも早くお帰りいただこう、そういうことになっていた。予定した時間はどんどん過ぎていった。……だが先生は、意外にも「もう少しいいだろう君、えっもうだめかい。私は大丈夫なんだよ。ちっとも疲れていやしないんだ。もう少しおるわけにはいかんのかね……」。
 会場の誰彼を目で追いながら、「あっ、あんなところにA君がいた」「Bもやって来ていたか」と、つぶやいては、手をさしのべたそうになつかしそうになさる。強引に催促して立っていただき、帰りはじめると、皆さんがどっと慕い寄ってこられた。……
 先生は呼吸を整えながら、ひとりひとりに、ゆっくり話しかけられる。その都度、先生を抱えこむようにしながら、二歩三歩と人垣を押し分けて進む。
「ちょっと話したいんだ。あっ、C君が来ている。君、もうちょっとおるわけにはいかないかね。え、ほんの少しずつでいいんだから……。ああ、みんな君、あんなに遠方から来てくれて……」
 230余名の参加者のうち、直接に先生と話のできた人は、十分の一もいなかったろう。私はもうこみあげる激情をかみしめながら、先生のからだを連れ出すことだけに夢中で、誰の顔も区別がつかなくなっていた。おそらく、ちょっとしたきっかけで、みんながワッと泣きだしながら、先生のところに殺到するにちがいない。そんな異常な雰囲気になりかけていた。
 これが先生との今生のお別れになるだろうと大部分の人たちが直感していたにちがいなかった〉

 だが、そこには別れがあったのではない。出会いがあったのだ。おそらく永遠の出会いが……。

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狂四郎

最終回だったのですね、どうもお疲れ様でした、素晴らしいですね、有難う御座いました。
僕が祖父の件で残念に思うのは個の確立と言う言葉すらなく、どこかの対談で「個人の完成ってのは必要ないと思う」とか話していただけですし、あの酔っ払いが立小便して自由の権利だって言う部分のみですので、自分でも近近世史をやり直したいみたいな事言ってますので、所謂第二部の道筋付けを時間が無いなんて言っていないでやって欲しかったと思ってます。
いずれにせよ、だいだらぼっち様のこの素晴らしい作品が多くの読者から評価されますようにお祈り申し上げます。
by 狂四郎 (2012-10-27 06:22) 

だいだらぼっち

いつもご愛読いただき、ありがとうございます。まだまだ不十分な作品ですが、折をみて、いろいろ手直しをしていきたいと思っております。これからもご教示、ご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。
by だいだらぼっち (2012-11-22 06:31) 

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