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帰国しました [旅]

7月終わりから8月終わりまで、ほぼひと月間、イタリアとドイツに滞在し、ようやく帰国したところです。日本の蒸し暑さにはまいりますが、それにも徐徐になれつつあります。
イタリアでは長女一家の住むシエナに10日間ほど滞在し、孫と遊んでいましたが、孫の話すイタリア語がよくわからないのが悩みの種です。もう年だからとあきらめずに、もっとイタリア語を勉強しなくては……。
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つれあいが行きたがっていたローマ近郊のネミにも、シエナからバスを乗り継いで行ってきました。フレイザーの大著『金枝篇』は、ネミのディアナ神殿から始まります。今回の旅で、火口湖の森をさまよいながら、ディアナ神殿跡を発見したのは、収穫のひとつでした。いずれ、旅行記で、そのあたりの話も書いてみることにしましょう。
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娘一家が2週間ほど夏休みがとれたので、娘の婿さんに車の運転をまかせて、ドイツをあちこち回ってきました。
LCCというのでしょうか、格安航空会社を使って、ピサからニュルンベルクまで飛び、そこから南下してミュンヘンで3泊。そのさい、オーストリア国境に近いノイシュヴァンシュタイン城を訪れました。
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ミュンヘン郊外のダッハウにあるナチスの強制収容所跡も見てきました。
ミュンヘンからは北上して、ロマンティック街道をたどり、ネルトリンゲンに立ち寄り、おなじみのローテンブルクで一泊しました。
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そこから「古城街道」でハイデルベルクへ行き、さらにライン川沿いのボッパルトで2泊ほどして、ライン下りを楽しみ、さらにケルンの大聖堂を見て、ひと息。
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ここからは長距離のドライブになります。ドイツ中央部を東にまっすぐ横断するかたちで、ヴァイマール(ワイマール)までやってきました。このあたりは二十数年前まで、旧東ドイツ地域でした。その途中、アイゼナハのヴァルトブルク城で休憩します。
そして、ワイマールからいよいよベルリンにはいります。その郊外、ポツダムにはフリードリヒ大王のサンスーシ宮殿とポツダム会議の舞台となったツェツィーリエンホーフ宮殿があり、短い時間でしたが、両方とも立ち寄ってみました。
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ベルリンは2日や3日では、とても見きれません。それでもドイツ連邦議会議事堂の屋上からベルリンの街を一望できたのは感激ひとしおでした。ブランデンブルク門とペルガモン博物館、ベルリンの壁記録センター、テロのトポグラフィー、ユダヤ人犠牲者記念館、DDR(東ドイツ)ミュージアムなどを訪れました。
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こうして、ぼくとつれあいはベルリンのテーゲル空港からアムステルダム空港に出て、成田に向かい、いっぽう娘たち一家はライプツィヒまで車を飛ばして、そこでレンタカーを乗り捨てて、ピサに飛び、それぞれ自宅に戻ったという次第です。
なかなかの珍道中でしたが、そのあたりの話はおいおい紹介していくことにしましょう。
旅行中、ドイツと日本とでは、「戦争の記憶」の仕方に大きなちがいがあり、日本がアジアのなかで政治的に孤立し、ますますアメリカへの従属を強めているのは、そのためかと思ったりもしました。
そのへんの感想もつづってみたいと思っています。
いずれにせよ、いつものとおり、たあいもない旅行記です。

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