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利潤論──リカード『経済学および課税の原理』を読む(4) [商品世界論ノート]

 リカードは、穀物にせよ製造品にせよ、商品の価格は、広い意味で労働量によって規定されると考えていました。したがって、貨幣価値が変わらないとすれば、商品をつくるのに必要な労働量が増えるにつれて、商品価格が上昇するのはとうぜんのことです。
 すべての生産物の価値は、賃金、利潤、地代、租税に分配され、それぞれ労働者、資本家、地主、国家に帰属するのですが、いまは地代と租税はさておいて、まずは賃金と利潤の関係だけを考えてみようといいます。賃金と利潤は相関関係にあって、賃金が少なくなると利潤は増え、賃金が高くなると利潤は減るという関係が成り立ちます。いや、むしろ、リカードは、利潤は賃金によって決定されると考えていたことがわかります。
 そこで、穀物価格が上昇して、賃金が上昇してくると、製造品分野では、それだけ利潤が減ってきます。しかし、穀物に関しては、たとえ賃金が上がったとしても、穀物価格も上昇しているのだから、農業経営者の利潤は減らないだろうという見方にたいして、リカードは得意の計算能力を発揮して、そうではないと反論しています。つまり、穀物価格が上昇したのは、それだけ人手がかかるようになったからであって、いままでより多く人を雇う必要があった。しかも人件費(と地代)が上がるのだから、農業経営者の利潤も増えるわけではなく、製造業者と同じように減っているとみるわけです。
 以上をまとめて、リカードはこう書いています。

生産物の一定の追加量を獲得するために、より多くの労働と資本を投下することが必要になる結果として、穀物価格のどれほどの騰貴がおころうとも、こういう騰貴はつねに追加地代、あるいは雇用される追加労働によって、価値について均等化されるであろう。

 土地の広さはかぎられているのに、人口が増えると、穀物の増産にともなって穀物価格は上がり、それにともなって賃金(と地代)は上昇し、利潤は下落するというのが、リカードのえがいた経済動向です。イギリスの産業はまだ農業が中心で、その農業は地主(貴族)、農業経営者(資本家)、農業労働者によって成り立っていたことを忘れてはなりません。賃金の上昇は、農業に必要な道具や原料、牛や馬の価格の上昇、さらには地主に払う地代の上昇にもつながり、農業経営者の利潤を圧迫します。
 そして、いうまでもなく、賃金の上昇は製造業の利潤にも影響します。「利潤は賃金の上昇とともに必ず低下する」とリカードは書いています。とはいえ、利潤が生産価値のすべてを吸収しつくすことがないように、賃金もまた「利潤のための分け前を全く残さぬほど高くは決して騰貴しえない」というのが、かれの見立てでした。
 製造業においても、農業と同じように、賃金の上昇は利潤の低下をもたらします。なぜなら、リカードの想定では、賃金の上昇は製品価格に転嫁できないからです。賃金が上がっても製品をつくるのに必要とされる労働量が増えるわけではありませんからね。「どのような場合であっても、商品が騰貴するのは、それらに支出された労働が増大するからであって、それらに支出された労働の価値が騰貴するからではない」。これがリカードの労働価値説です。
 必需品の価格が少しずつ上がっているのに、賃金がそのまま、あるいは下落することはありえない、とリカードは考えていました。必需品の価格上昇はかならず労働賃金の上昇をもたらすが、贅沢品──当時は絹製品やビロード、家具など──が上がっても賃金は上がらない、と注記しています。そして、利潤に影響をもたらすのは賃金だけでした。
 商品の供給が需要に満たない場合、その市場価格は自然価格より高く、したがって利潤も高いが、その傾向は次第におさまり、需給のバランスがとれるようになると、利潤率は一般的に低下していく、とリカードは書いています。しかも、そうした事実は「利潤は賃金の高低に依存し、賃金は必需品の価格に、そして必需品の価格は主として食物の価格に依存する」という理論とは矛盾しないと考えられました。
 したがって、「利潤の自然的傾向は低下することにある」というのがリカードの見方です。社会が進歩し、富が蓄積され、人口が増えるとともに、食物を中心とする必需品の価格は上昇していきます。もちろん農業技術の発展は、食物の増産を可能にし、ある程度、食料価格の上昇を抑えますが、それでも全体としての方向は変わらないとリカードは考えていました。
 すると、最後は利潤がゼロに近い状態、言い換えれば経済の静止状態に達するのでしょうか。賃金を差し引いて利潤がなくなれば、あとに残るのは、(差額)地代と租税の部分だけということになります。思うに、これは社会主義というより、利潤も発生しようがない極度の貧困状態です。
 しかし、リカードは利潤という動機がなければ、資本は投下されないので、現実には利潤がなくなる状態はありえないだろうと書いています。むしろ、かれが想定したのは、「資本の利潤率がどんなに低下しようとしても、しかもなお利潤の総額は増加する」といった事態でした。
 賃金率が上昇する傾向にあるのにたいして、利潤率は低下する傾向にあります。しかし、それでもその過程において、資本は蓄積されていくために、たとえ利潤率が低下しても、かえって利潤の総額は以前より大きくなる可能性があるのです。
 資本の追加投下は、かならず労働の追加雇用をともない、それによって商品価値全体の増加をもたらします。収穫逓減にともなって、食料品の価格は上昇し、それにともない賃金も上昇しますが、労働者の生活水準は変わりません。そして、賃金率によって規定される利潤率は全般的に低下しますが、利潤そのものは増大する可能性があるということです。
 ここから、リカードはある政策的推論を導きだしています。

蓄積の効果は国がちがえばちがい、そして主に土地の肥沃度に依存するであろう。ある国がどんなに広大であろうと、土地の質がやせていて、しかも食料の輸入が禁止されていれば、最も緩慢な資本の蓄積が、利潤率の著しい低下と、地代の急速な上昇を伴うであろう。これに反して、小さいが肥沃な国は、とくに食料の輸入を自由に許可すれば、資本の巨額の蓄えを蓄積しても、利潤率の著しい低下も、土地の地代の著しい上昇も伴うことはないだろう。

 リカードがこの「原理」第2版を出版したのは1819年ですが、そのころイギリスは穀物法によって、外国産小麦に高関税を課し、穀物の高価格を維持していました。リカードは穀物法の廃止によって、地主貴族を保護するのをやめ、賃金上昇を抑え、それによって農業資本と産業資本を発展させるべきだと唱えたのでした。
 実際に穀物法が廃止されるのは、リカード死後の1846年のことですが、穀物の輸入自由化によって先行きを懸念されていたイギリスの農業は、かえって集約化が進み、発展していくことになります。その意味では、リカードの予言は的中したといえるでしょう。
 それはともかく、リカードはこの章の後半で、賃金の上昇が製造業に与える影響について考察しています。賃金の上昇は、帽子や靴下、靴をつくる製造業者にも利潤の低下をもたらします。そこで、かりに製造業者が商品の価格を値上げしたとしても、その効果はどうかというと、せいぜいが以前と同じ利潤を確保できるだけ。場合によっては、物価全体の上昇、言い換えれば貨幣価値の下落をもたらすだけで、またさらなる賃金の上昇を招くだけだとリカードは指摘しています。
 さて、この利潤論において、リカードはいったい何を言いたかったのでしょう。たびたび参考にしているガルブレイスの『経済学の歴史』はリカードの利潤論を批判して、こんなふうに書いています。

もし利潤が、過去において資本を作るために用いられた労働に対する報酬を反映するものだとするならば、資本家に帰属するどんな所得も公然たる盗みだということになってしまう。資本家は何ら正当な権利を持たない。彼は、本来は労働者に属すべきものを自分の懐に入れている。……[こうした見解はマルクスに引き継がれて]資本家は労働者に当然属すべきものを侵害して自分の収入にしているとのリカードの説の上に立って──さらに『[賃金]鉄則』と労働価値説の支持を得て──革命がおこなわれるべきものとされたのであった。

 これはずいぶんマルクス寄りの解釈で、しかもマルクス自体も単純化しすぎているように思えますが、リカードの独自性をゆがめて理解しているといえるでしょう。
 とりあえず地代や租税を捨象して考えるなら、リカードにとって、資本家に帰属する利潤とは、実現された商品価値のうちから賃金を差し引いた余剰として、いわば受動的に与えられるものでした。たとえば、実際に資本家が20%の利潤率を達成しようとして、商品価格を設定したとします。しかし、現実に資本家が得る収入は、市場において実現された商品価値にとどまり、結果的には目標とした利潤率20%を達成できないことが多いのです。ですから、利潤は市場において受動的に決められ、実際には実現された商品価値から賃金を差し引いたものが利潤となるわけです。
 リカードは農産物価格の上昇にともない賃金が上昇するのを経済の趨勢と考えましたから、利潤率は傾向的に低下していくと判断しました。だからといって、それで資本家が仕事を投げだしてしまうとは思いませんでした。利潤を得る可能性があるかぎり、資本家は資本を蓄積し、商品価値の増大をめざしていきます。そのことによって、たとえ利潤率が低下しても、利潤そのものは増えていく可能性があるのです。そして、労働者もまた、雇用の拡大につれて、賃金鉄則なるもののくびきがはずれて、実質賃金が上昇し、これまで得ることのできなかった生活必需品を新たに獲得できるようになるかもしれません。
 リカードは利潤がゼロになる経済停滞状態をめざしたわけではありませんでした。むしろそれをいかにして回避するかを構想していたというべきでしょう。資本家が一定の利潤を確保しつつ、労働者がより多くの必需品を手に入れられるようになる、そういう経済状態がリカードの理想です。リカードの描いた図式、つまり地主貴族だけが収入を増やし、資本家は利潤を得られなくなり、労働者は貧苦にあえいでいるという光景は、むしろ克服すべき現実として提示されていたのではないでしょうか。そんな気がします。

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