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『アクト・オブ・キリング』について思うこと [映画]

 これは映画かもしれないが、映画ではない。実際に起きたことだ。
 連休前、千葉劇場でこのドキュメンタリー映画を見た。友人に勧められ、ウェブ上でいくつかの評を読んで、見てみたいと思った。はじめて行った千葉劇場は100人ほどしかはいれないミニシアターで、平日の昼間とあって、がらがらにすいていた。
 1965年にインドネシアでは謎の「9・30」事件が発生する。10月1日未明、軍の若手将校が立ち上がり、クーデターを画策していたとされる軍幹部を殺害した。その背後には共産党の陰謀があったとされる。反乱そのものは、スハルト将軍によって、たちまち鎮圧される。そのあと大統領のスカルノは、幽閉され、大統領の座を奪われていく。反乱鎮圧後、ジャワ島をはじめインドネシア全域で、共産主義者にたいする100万人とも200万人ともいわれる虐殺の嵐が吹きすさんだ。そのあとスハルトは軍事独裁政権を樹立し、経済開発を推し進めていく。
 この映画の主人公アンワルは、共産主義者を1000人殺したと自慢するギャングだ。そして、映画はかれに実際に殺したときの様子を「演技」してもらい、それをフィルムに収めるという手法をとる。なんともユニークである。
 アンワルはいまや好々爺だが、1965年当時は北スマトラのメダンで映画館のダフ屋をしていた。もともと映画好きで、ジョン・ウェインやマーロン・ブランド、アル・パチーノにあこがれていたという。だから、自分が映画の主役になることを喜んで引き受けたのだろう。
 共産主義者を大量に殺害したことは、いささかも後悔していない。むしろそれで軍から誉められ、地元の名士になっていったのだから。赤の連中を抹殺したのは、アンワルの自慢であり、カメラの前で嬉々として実際の殺害の様子を再現してみせる。
 殺害の場所は、当時新聞社があった事務所の屋上だ。最初は順番に屋上に連れていって、ナイフで刺し殺していた。しかし、それだと血だらけになってしまうので、アンワルは座らせた相手の首に針金を巻き、それを引っぱって殺す手口を考案する。アメリカのギャング映画で見た手口をまねたらしい。それを再現してみせるアンワルは得意満面の様子。
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 実にこわいのは、殺害すべき人間を選定していたのが新聞社の社主だったことである。その社主もこのドキュメンタリー映画に登場して、当時の様子を語っているが、かれの前に次々とつれてこられる共産党員らしき人物は、かれの目配せひとつで殺すか、許すかを決められ、殺すとなると、屋上のアンワルのところに連れていかれる。
 なにせ、新聞社主は地元の共産党情報に精通しているのだ。その新聞社に勤めていた記者は、当時そんなことが行われているとは思いもしなかったと証言するが、おそらくかれも見て見ぬふりをしていたのだろう。
 カンプン・コランという村の虐殺も再現されている。これを実行したのはパンチャシラ青年団と呼ばれる右翼団体だ。結成されたのは、赤狩りが本格化した1965年秋から66年にかけてのころだろう。
 映画では、いまも政府が支援するパンチャシラ青年団が、当時の虐殺の模様をドキュメンタリータッチで実演してみせる。撮影には政府の現役大臣も応援にかけつけるくらいだから、この村民皆殺しは「虐殺」などとは思われておらず、むしろ誇るべき「撲滅」ととらえられているのだ。
 映画ではアンワルの子分で、かつてパンチャシラ青年団の演劇部に所属していたこともあるヘルマンが、マツコ・デラックスばりの女装をして登場し、華を添える。
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 ヘルマンも共産主義者を大量に殺した親分のアンワルを慕っている。かれは映画の撮影中、実際にパンチャシラの応援を受けながら、州議会の選挙に立候補して、落選するのだが、その際、資金集めのために地元の商店からみかじめ料をせしめるシーンも映画に収められている。軍と政界、ギャング団は一体の存在なのだ。
 役者でもあるヘルマンは、美しいインドネシアの自然を背景に親分アンワルの栄光を称える存在として登場する。アンワルとヘルマンが湖や滝を背景にみせる「死の舞踏」は、幻想的で美しく無気味でもある。
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 この映画で、虐殺の実行者であるアンワルは、最初、語り手にすぎないが、次第に再現者となり、次に役者となり、監督役ともなって、最後は犠牲者の役を演じるまでになる。そのころから、かれはだんだんと変わっていく。
 カンプン・コラン村の撮影のあとでは「残虐だったのは共産主義者たちではなく、われわれのほうだった」と認めてしまう。拷問室で犠牲者の役を演じ、針金で首を絞められるシーンをとったあとは、すっかりことばを亡くしてしまう。そして、実際に処刑のおこなわれた事務所の屋上にのぼったアンワルは、激しく嘔吐するのだ。
 フィナーレの滝のシーンも無気味だ。映画のなかで殺した者と殺された者が全員登場し、滝を前にして美しく舞う女性たちとともに踊る。そしてワイヤを首にかけた死者が、それをはずし、アンワルにかけると、それが金メダルになる。そのとき、死者はこうささやく。「私たちを処刑して天国に送ってくれたことに1000回の感謝を」
 このときアンワルもまた満悦そうな表情を浮かべる。

 このドキュメンタリー映画は何をいわんとしているのだろうか。イデオロギーに関係なく、人はだれでも時に殺す者にも殺される者にもなりうるということだろうか。われわれは1970年代後半に、カンボジアでポル・ポト派の大虐殺があったことも知っている。
 人が多くの人を殺すのは、たいていだれかにそれを認めてもらいたいからである。映画を見てもわかるように、殺すこと自体はひとつの技術にほかならない。しかし、その技術を取得した者が、たちまち殺人者となるわけではない。なんじ殺すなかれのしきいが突破されるのは意外と簡単である。あいつは敵だ、敵を殺せという命令が発されるだけでよいのだ。
 アンワルの物語は、イデオロギー対立が激しかった1960年代のインドネシアにかぎられた特異な事例ではない。それは、いつでも、どこでも起こりうることだ。個ははたして、敵を殺せの命令に、どこまで耐えられるか。これはそのことを問う映画でもある。

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