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安倍首相の記者会見で思うこと二、三 [時事]

 安保法制懇の答申を受けて、5月15日に安倍首相は記者会見を開き、集団的自衛権の必要性を2枚のパネルをもちいて説明した。
 ぼくは短いニュースしか見ていないけれど、要するにここで首相が示したかったのは、海外ではたらく日本人を守るためには、集団的自衛権はなくてはならないものだということだ。
 もう年だから、正直いって、政治の話にはわずらわされたくないという気持ちが強い。でもニュース解説者ばりのパネル説明になんだか違和感を覚えたので、そのことだけを書いておきたい。
 1枚目のパネルは「邦人輸送中の米輸送艦の防護」と題されている。ネットからそのイラストを拾わせてもらった。
安倍会見01.jpg
 首相はこのパネルを見せながら、こう説明する。

〈いまや海外に住む日本人は150万人、さらに年間1800万人の日本人が海外に出かけている時代だ。その場所で突然紛争が起きることも考えられる。そこから逃げようとする日本人を、同盟国の米国が救助、輸送しているとき、日本近海で攻撃があるかもしれない。このような場合でも日本人自身が攻撃を受けていなければ、日本人が乗っているこの米国の船を、日本の自衛隊は守ることができない〉

 紛争国が中国や北朝鮮と明記されているわけではない。でもパネルをみると、そんな気がしてくる。もし北朝鮮だとすれば、いわゆる朝鮮半島有事である。すると逃げてくる日本人は北朝鮮からではなく韓国から逃げてくるのだろう。
 この日本地図には北方4島が含まれているのに、沖縄が含まれていない。これは象徴的かもしれないと思いつつも、いまはあまり深く考えないことにする。でも、沖縄の人はこのパネルを見てどう思うだろう。
 ここに描かれているアメリカ人の男女はとてもやさしそうだ。軍人にはみえない。日本人の親子はお母さんと子ども、赤ちゃんで、肝心のお父さんの姿がない。お父さんは紛争に巻きこまれて死んでしまったのか、それとも早々と飛行機で日本に帰ってしまったのだろうか。
 しかし、ともかくパネルでは米国とどこかの国(たとえば中国か北朝鮮)のあいだで戦争が起こっている。そのとき当事国から救出された日本人を乗せた米国の輸送艦を、たとえば中国なり北朝鮮が攻撃しそうと思われるとき、日本の自衛隊が米軍の防護にあたり、武器を行使することも認められるべきだというのが首相の主張である。
 ぼくがまず感じるのは、この想定が無理やりつくられたケースではないかということである。日本人が当事国(中国でも韓国でも)から脱出するときは、ふつうは米国の軍艦ではなく、JALなりANAなり日本の民間航空を使うだろう。場合によっては日本人を助けるため、自衛隊がかけつけてもよさそうなものである。それを米軍に助けてもらうというのは、ちと情けない。
 日本人を助けた米軍を自衛隊が防護するというのも、手がこみいりすぎている。それに、軍事活動に従事している米軍の艦船が、逃げようとしている日本人をはたして簡単に乗せるだろうかという疑問もわく。そもそも中国人、朝鮮人、日本人は顔つきだけではほとんど区別さえできないのである。自衛隊もそうだが、有事にあって軍の艦船が多数の民間人を収容する事態は考えにくいのではないか。
 すると、このイラストが示している事態は、おそらく実際はこうである。米国がたとえば中国や北朝鮮と戦闘状態にはいったとき、自衛隊は米軍の指示のもと、米軍と協力して戦闘態勢にはいる。これが集団的自衛権の意味である。日本人の救出などというのは、とってつけた詭弁にすぎない。極東情勢の分析にも異論があるが、ここでそれを述べると長くなるので、やめておく。
 もうひとつの「駆け付け警護」と銘打ったパネル(イラスト)をみてみよう。
安倍会見02.jpg
 安倍首相はこんなふうに説明する。

〈……現在アジアで、アフリカで、たくさんの若者たちがボランティアなどの形で地域の平和や発展のために活動している。……しかし、彼らが突然、武装集団に襲われたとしても、この地域やこの国において活動している自衛隊は彼らを救うことができない。一緒に平和構築のために汗を流している、自衛隊と共に汗を流している他国の部隊から救助してもらいたいと連絡を受けても、日本の自衛隊は彼らを見捨てるしかない。これが現実だ〉

 海外で活動している日本のNGOやPKO要員を、PKO参加中の自衛隊部隊が守れないというのはおかしい。それはそのとおりだ。守れないなんて冷たいことをいわないで、守ればいいじゃないかと思う。
 しかし、はっきりいって、自衛隊のPKO部隊から遠く離れたところにいるNGOが武装テロ集団に襲われたときは、それを助けるのは至難のわざだろう。逆にもし、自衛隊のすぐ脇でNGOやPKO要員が活動している場合は、よほどのことがないかぎり、テロ集団がかれらを襲うことはないだろう。
 アルジェリアでテロ集団に襲われた日本人ビジネスマンにしても、イラクで殉職した外交官にしても、カンボジアで亡くなったボランティアにしても、エジプトでイスラム過激派に襲われた観光客にしても、シリアで亡くなったジャーナリストにしても、おそらく自衛隊が助けるのは無理だっただろう。
 むしろテロや人質事件は、PKOに自衛隊が参加している国や地域以外で発生することが多い。その場合、自衛隊はどうするのか。エジプトにせよ、シリアにせよ、イラクにせよ、突然、自衛隊がでかけていって、そこでいきなり日本人の救出活動なり、武装集団の排除にあたることは、いくらなんでもできないのではないだろうか。残念ながら、その場合は、当事国の軍なり警察なりに事態収拾をゆだねるしかないのである。
 だとすれば、このパネルが「集団的自衛権」の一例として示そうとしている事態はひとつしかない。つまり紛争地域でPKO活動をする米軍が武装集団に攻撃されたときに、自衛隊が武力でもって米軍の支援にかけつけるということである。このかけつける相手は、中国軍でも韓国軍でもないだろう。もちろん日本人のNGOでもない(その場合は「集団的」でなくても対応できるはずだ)。要するに、いままで以上に(つまり個別的自衛権の範囲を超えて)、自衛隊が海外で武力行使できるようにしようというのが、今回の「憲法解釈の変更」の意図なのである。
 安倍首相は、今回の記者会見で、「自衛隊が武力行使を目的として、湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と弁明した。これは安保法制懇が想定した事態とは一線を画した発言である。「集団的自衛権」に歯止めをかけたと評価する向きもある。でも、ぼくなどはやはり安保法制懇の方針が本筋で、首相の弁明は詭弁ではないかと、やはり疑ってしまう。
 はっきりいって、憲法解釈の変更がなされようが、なされまいが、すでに日本は実態的には集団的自衛権を行使しているといってよいのだ。イラクへの自衛隊派遣にしても、インド洋での米艦船への給油をみても、これが集団的自衛権の行使でなくて、何だというのだろう。
 これに加えて、今回の憲法解釈の変更による、正式な「集団的自衛権」の容認が意味することはただひとつ。海外における自衛隊の武力行使を認めること、この一点に尽きる。
 米軍と日本軍(海外に出れば自衛隊は日本軍である)との関係はますます密接になるだろう。集団的自衛権が認められれば、安倍首相の弁明とは裏腹に、米軍の行くところ、かならず日本軍ありということになっていくだろう。
 建前上、「個別的自衛権」を主張しているかぎりは、米軍と一線を引くことも可能だった。米軍の軍事行動に疑義を感じた場合は、それに積極的に加わらなくてもよかった(しぶしぶでもよかった)。
 しかし、「集団的自衛権」をかかげる以上、日本軍はいまや米軍と一体である。それが首相のいう「平和国家」の意味なのだろう。

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