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経済成長論(4)──マルサス『経済学原理』を読む(15) [商品世界論ノート]

 今回でいちおう最終回とします。ほんとうはマルクスやケインズのマルサス評価についてもみていきたいのですが、ちょっとくたびれました。ごく簡単に、最後の部分をおさらいしておきます。
 経済が成長するためには、生産と分配が相携えて拡大していかなければならないというのが、マルサスの考え方です。そのさい、ネックになるのが、とりわけ分配面、すなわち需要です。供給が増加していくのにたいし、需要はなかなかそれに追いついていきません。そのため「莫大な生産力をもつ国は不生産的消費者の一集団をもつことが絶対に必要である」といいます。
 アダム・スミスは不生産的な貴族層こそが、社会の発展を阻害すると述べました。これにたいし、マルサスは不生産的階級の存在を擁護します。
 貧弱な土地と住民しかいない場所で、不生産階級を維持するのは無理というものです。供給にたいして、じゅうぶんな消費がおこなわれている場合も不生産的消費者は必要ないでしょう。しかし、資本家はすべての利得を消費に回そうとせず、その大部分を財産のために貯蓄しがちです。労働者は生活を維持するのが精一杯で、その需要には限度があります。そこで、マルサスにおいては消費者階級として、地主(貴族)が浮上するわけです。
 ほんらい貯蓄の目的は貯蓄自体ではなく、支出と安楽であるはずだ、とマルサスは書いています。この貯蓄の一部は、資本の蓄積に回され、生産の手段となるけれども、それによって増大した供給は、消費者の需要によって満たされねばなりません。消費の欲望は限界がありません。しかし、有効需要の不足が経済成長にブレーキをかける、とマルサスはいいます。

〈富[商品]は欲求を生みだすことは疑いもなく真実である。しかし欲求が富を生みだすことはさらにもっと重要な真理である。おのおのの原因はおたがいに作用し反作用をおよぼすが、しかし、どちらが先行しまた重要であるかの順位は、産業活動へと刺激を与える欲求のほうが先である〉

 供給より需要のほうが重要だとみるわけです。
 ところが、資本家はみずからが消費することより、自分の富を増やすことを優先します。そして、労働者はたとえ消費の意志をもっていたとしても、消費の能力をもっていません。
 すると労働階級のために、より多くの支払いをすることが、大衆の幸福につながることになるのでないでしょうか。でも、マルサスはそうは考えません。労働者への支払いが増えると、資本家の利潤が減り、資本を蓄積しようという意欲が失われ、その結果、国富の成長がストップしてしまうというのです。
 労働階級にたいするマルサスの見方は、どちらかというと冷淡さを感じさせます。これにたいし、地主は「需要と消費の不足を満たすことができる」存在だとみられています。かれら不生産階級による不生産的消費が「農業、商工業の生産物にたいする需要」をつくりだすことになるからです。
「あらゆる社会は、不生産的労働者の一団をもっていなければならない」と、マルサスはいいます。不生産的労働者とは、政治家や兵士、裁判官、弁護士、僧侶、医者、さらには召使いなどを指しています。そして、かれらを大きく支えているのが、国と地主貴族だといってよいでしょう。かれらは不生産的ではあるが、「一国の統治、保護、保健、および教育にとって必要」であるばかりか、一国の生産と勤勉に刺激を与える需要の源でもあります。
 こうした不生産階級の一部は、租税によって扶養されています。課税は乱用されがちなので、注意深くなされねばなりません。だからといって、国債を減らし、課税を廃止しても、労働階級の雇用を増すかどうかは、はなはだ疑問だ、とマルサスは述べています。
 たしかに国債はやっかいで危険な手段です。国債の利子は課税によって徴収されるほかなく、また国債の大量発行が生産力を阻害する可能性もあります。また通貨が下落するときには、国債にもとづく年金受領者が、その正当な分け前を不当に奪われる事態も生じます。したがって、国債は徐々に減らし、その増大を阻止することが望ましいとも記しています。
 とはいえ、マルサスは国債をなくしたとしても、労働者は豊かになるどころか貧困化するだろうというのです。というのは、その分の需要を、地主や資本家がすぐに生みだせないからです。地主がそれまで国債を買っていた分をさらに多くの召使いの雇用にあてるとは考えられないといいます。資本家は国債がなくなったことによって、租税からのがれ、それによって資本を蓄積するかもしれないが、そのことによって、かえって不況の到来をもたらすだろう、とマルサスはあくまで悲観的です。
 生産的階級は、自分たちの生産するすべてのものを消費する能力をもっているが、その意志をもたない、とマルサスはいいます。そして、不生産的消費者が必要なのは、この意志を満たすためだというわけです。「富を奨励するさいのかれらの特別の効用は、生産物と消費とのあいだに、国民的勤労の成果に最大の交換価値を与えるような均衡を維持するにある」
 つまり不生産的消費者が存在することによって、供給にたいする需要がようやく満たされるというのです。生産的消費者と不生産的消費者のあいだに一定の割合が保たれて、はじめて需要と供給の関係は安定する、とマルサスは考えました。
 そのバランスは国によって異なります。「もっとも好都合な結果は、生産的消費者と不生産的消費者との比例が、土壌の天然資源と人民の後天的嗜好および習慣とにもっとも適合していることに、明らかに依存している」
 マルサスが「経済学原理」を刊行した1820年は、産業革命がまださほど進行しておらず、富の大部分が土地によって成り立っている時代でした。ナポレオン戦争は終わったばかりで、イギリス王室は大量の国債を発行していました。その国債を保持していたのが、おもに地主貴族だったといってよいでしょう。マルサスは、地主層を維持することが経済の根幹だと考えていたにちがいありません。しかし、産業革命の進展は、いよいよ資本の時代を到来させていくことになります。

 最後の節に到達しました。ここで、マルサスは1815年以来の労働階級の困窮についてふれています。
 18世紀半ばから19世紀初めにかけて、イギリス経済は大きく発展したといわれます。しかし、そのころの経済成長率は、ならしてみると0.5%程度(産業革命が進展してからも0.8%程度)。ですから、20世紀半ばのような高度成長は、異常な事態だったといわねばなりません。
 それはともかくとして、1815年から20年にかけ、イギリスはナポレオン戦争後の不況に突入していました。
 マルサスは、最初に労働者困窮の原因は、資本の不足が原因だといわれるが、それはほんとうだろうかと問うています。実は資本の不足ではなく、需要の不足が原因なのではないかというわけです。
 たとえば戦争や自然災害によって資本の4分の1が失われたとすれば、それによって、労働階級は困窮するだろう、とマルサスはいいます。しかし、資本が不足しているということは、商品が少ないということでもあります。そのため、商品の価格は高騰し、資本家は大きな利潤を得ることができます。こうした場合には、資本が蓄積され、労働者に対する雇用も次第に増えていくことになります。
 ところが、何らかの事情で消費と需要が減退する場合は、商品価格は安くなり、資本家の利潤も低いままとなります。その場合は、資本を追加投入しても逆効果となり、資本家をかえって苦しめる結果となります。多くの労働者が解雇され、賃金も低いままにとどまるでしょう。
 マルサスは1815年以降の不況は、あきらかに後者、すなわち需要不足が原因だと断言します。ナポレオン戦争は異例の支出を要し、大きな需要を生みだしました。しかし、1815年以降は、その反動で、需要が一気に収縮したのです。農産物の価格は一気に下落し、倉庫は売れない商品の山でいっぱいになりました。動員を解除された陸海軍兵士が町にあふれ、賃金は下落しました。好景気のときに増えた人口が、さらに賃金の下落に拍車をかけます。
 国外では利潤が低いため、資本は海外に流出します。それは国内に有効需要がないからです。マルサスは大量に穀物が輸入され、大きな減税がなされる以前のほうが、貧窮の度合いが少なかったとも指摘します。
 いずれにせよ、1815年以来の不況は生産力不足によっては説明できないというのがマルサスの見解です。資本を過剰な部分から足りない部分へと移せばよいという意見もあるが、不況の根本的な理由がわかっていないから、そういうことがいえるのであって、現今の不況は「消費および需要の総額の大きな減少」が原因なのだ、とマルサスはいいます。支出を超える個人利得の超過分は、いま貯蓄されており、これが需要減少の原因ともなっているとも指摘しています。
 消費と需要の減少が、富の増進を妨げ、資本家にも労働階級にも深刻な影響をもたらしていました。
 戦争によって失われた資本は、蓄積して取り戻す以外にないでしょう。しかし、いま必要なのは資本をさらに蓄積して、生産力を高めるより、需要の増大に努めることだ、とマルサスはいうのです。
 マルサスによると、需要を増やす方策は、土地財産の分配、国内商業と外国貿易の伸張、そして不生産的労働の維持しかないといいます。生産のために労働者を雇用することは、かえって供給過剰をもたらし、商品の交換価値全体を減少させる、というのがマルサスの見解です。
 とはいえ、前に述べたように、長子相続制の廃止によって、土地財産を細かく分割することにマルサスは反対していました(ちなみにイギリスで長子相続制が廃止されるのは、なんと1920年のことです)。国内商業や外国貿易が拡大することには大いに賛成です。ただし、安価な外国製品が国内市場に急速する場合は、労働階級の職を奪い、労働階級をいっそう困窮させる恐れがあるから、注意しなければならないとも述べています。しかし、一般に商業と貿易の促進が、全生産物の交換価値を増大させることはまちがいありませんでした。
 さらに、労働階級を助けようとするならば、かれらを道路建設や公共事業などに使用するのが望ましいとも述べています。これは除隊された陸海軍兵士や失業者を、とつぜん生産労働者に転換して、需給のバランスをみだすよりも、はるかによい方策だといいます。そのために国債を発行することは、けっしてムダにはならない、とマルサスは考えていたようです。
 紙幣の自由発行は、貨幣価値を下落させ、それによって信用の便宜をもたらし、資本の回復に寄与するというのが、当時も一般的な考え方でした。しかし、需要が不足しているなかで、通貨発行量を増大させることは、取引に刺激を与えるにしても、それは一時的でしかない、とマルサスは述べています。通貨量の拡大は、いっそう商品の供給過剰を招き、けっして価格の維持につながらない、とマルサスはここでも悲観的な見方を示しています。
 バランスのとれた需要と供給があってこそ、富は増進するという考えをマルサスは示しました。しかし、富裕になるための通則は定立できないといいます。つまり、経済はそう簡単には成長せず、労働者はそう簡単に貧窮から脱出できないというのが、マルサスの見方でした。
 マルサスは戦争が過大な支出をもたらし、それによって一時的に商品価格と労働賃金が上昇したとしても、その間に労働人口が増えていけば、戦争が終わり、支出が削減されたときには、労働者が解雇され、労働者の窮乏が増大していく結果となるとも述べています。
『経済学原理』は、次のような一文でしめくくられます。

〈労働階級は一般的好況にあやかるといっても、残念ながら、その程度は一般的不況を帳消しにするほどのものではない。かれらは賃金低落の時期には最大の困窮をこうむるであろうが、賃金騰貴の時期に適当な償いをうけるわけではない。労働階級にとって、変動がつねに福利よりも害悪をより多くもたらすことはまちがいない。したがって、公衆の幸福のためには、できるかぎり、平和を維持し、かつ平等な支出を維持することを、われわれはめざすべきである〉

 マルサス経済学は、あくまでも陰鬱な色彩に閉じこめられています。それでも、ここには意外にも現代に通じる多くのヒントが隠されていることも事実です。

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