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基本的な考え方──ピケティ『21世紀の資本』を読む(2) [本]

 著者は基本概念を整理するところからはじめています。
 まず国民所得。これは国内純生産に外国からの純収入を加えた額であらわされます。年間の国民総所得(GNI)、すなわち国民総生産(GNP)とほぼ同じといってよいでしょう。
 国民所得は、資本所得と労働所得からなっています。したがって、国民所得が資本所得と労働所得にどのように分配されているかが問題となってくるわけです。
 資本とは何か。資本とは「不動産や金融資産、専門資産(工場、インフラ、機械、特許など)」を指す、というのが著者のとらえ方です。資本を所有するのは、政府や企業、そして個人ということになります。資本が広く富または財産と同じ意味で用いられている点に注目すべきでしょう(これはマルクスの規定とはまったくことなります)。
 国富は政府(など公的機関)と民間の所有する資本(資産)の総額と規定することができます。その資産は非金融資産(土地や住宅、機械、特許など)と金融資産(銀行預金、債券、株式など)から成り立っています。区分を変えれば、それは国内資本(資産)プラス純外国資本(資産)[外国に保有するものと、外国によって保有されるものの差額]に分けられるでしょう。
 ちょっとややこしいですが、何となくわかってもらえるでしょうか。要するに国富というのは、その国が国内と海外にもっている総純資産をさすわけですね。
 そして、次に登場するのが資本/所得比率という概念です。著者によると、これはストックとしての資本(資産)をフローとしての所得で割った比率です。ある国の富(資本=資産)の総額が、国民総所得の何倍あるかを示したものです。富裕国(フランス、イギリス、ドイツ、イタリア、米国、日本)では、2010年時点で、ほぼ5〜6という数字が出ています。たとえば日本の国富はGNPの6倍(言い換えれば6年分)あるとみていいわけですね。
 そのよしあしは別として、1人あたりに還元してみると、富裕国では、各人が所得のほぼ6倍資産を持っているという計算になります。たとえば平均して年間所得が1人あたり300万円だとすると、資産(資本)は1800万円。資産の内訳は半分が住宅、残り半分が株式、債券、貯蓄、その他投資といったところです。この数字は単純平均であり、ここには企業や政府の資本もはいっているので、あくまでもアバウトなイメージにすぎません。その実態については、徐々に明らかになっていくでしょう。
 次にもちだされるのが、資本収益率という概念です。著者はこの資本収益率を、利潤や利子率よりも広い概念としてとらえています。それは資本が資産と同等とみなされているためで、資本収益のなかには利潤だけではなく、賃料や配当、利子、ロイヤリティ、キャピタル・ゲインなども含まれます。富裕国では、この資本収益率がほぼ5%と考えられています。

 国民経済計算のデータが発表されるようになるのは20世紀にはいってからのことですが、著者はこうした資料を整理しながら、主観ではなく、あくまでもデータにもとづいて論議を重ねるという姿勢を強調しています。
 具体的なデータにもとづきながら、まず世界の流れを概観しておきましょう。
 1900年から1980年にかけて、世界の生産は7、8割が欧米に集中していました。しかし、2010年の時点で、そのシェアはざっと5割に下がりました。この割合はさらに下がるだろうと著者はいいます。

〈欧米は産業革命で実現したリードにより、世界に占める人口比率の2倍から3倍の世界産出シェアを実現できたわけだ。これは1人当たり産出が、世界平均より2−3倍高かったというだけの理由で生じたことだ。あらゆる兆候を見ても、1人当たり産出がこんなに開いた時代は終わりつつあり、収斂の時代がいまや到来している〉

 欧米のシェアが5割に減ったのは、中東や中国を含むアジアのシェアが急速に拡大したためです。とはいえ、ヨーロッパ、アメリカといい、アジア、アフリカといっても、細かくみれば、地域ごとに大きなちがいがあります。購買力平価でみた所得格差も、国によって10倍以上の開きがあります(現行為替レートでみると、その開きはさらに大きくなります)。とはいえ、この所得の開きは徐々に圧縮されつつあります。
 ただし、所得格差が富裕国側に有利に傾いているのは、たとえばアフリカなどでは、製造業資本の4、5割が外国資本によって所有されているためだ、と著者は指摘します。これは20世紀はじめのアジアにおいても同じことでした。
 理屈上は、富裕国が貧困国に投資し、貧困国が生産性を上げていけば、所得格差は縮まっていくはずです。ところが、そうはならないのはなぜか。

〈富裕国が貧しい近隣国に投資すると、それをいつまでも所有し続けかねず、その所有比率はすさまじい割合に高まりかねないので、富裕国の1人当たり国民所得は貧困国のものより永続的に高いままとどまることになり、貧困国は外国人に、市民たちが生産するもののかなりの割合を支払い続けなければならない〉

 日本や韓国、台湾、そして中国は、こうした外国投資の罠から逃れることができたのでした。
 さらに著者はこんなふうにも指摘しています。

〈国際レベルでも国内レベルでも、[格差]収斂の主要なメカニズムは歴史体験から見て、知識の普及だ。言い換えると、貧困国が富裕国に追いつくのは、それが同水準の技術ノウハウや技能や教育を実現するからであって、富裕国の持ち物になることで追いつくのではない。知識の普及は天から降ってくる恩恵とはちがう。それは国際的な開放性と貿易により加速される(自給自足は技術移転を後押ししない)。……だからこれは正当性のある効率よい政府が実現できるかどうかと密接に関連しているのだ〉

 この主張はよく納得できるものです。
 ゆっくりと読んでいきます。よろしければ、またつづきをご覧ください。

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