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ヴェリタ編『校正という仕事』(世界文化社刊)出版記念会で [雑記]

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 年をとると時間の流れが速くなってくるといわれます。
 これは、ぼくの場合もそうで、ふり返ってみると、あっという間に1日が終わっています。
 もうひとつ言えることは、記憶力の衰えです。きのう何をしていたかもよく思い出せない。まして1週間前となると、はるかかなたのできごととなってしまいます。
 ですから、時間の流れが速くなるというのは、別に物理的に時間が短くなったというのではなく、実際には記憶力が衰えて、何もかもすぐ忘れてしまうからではないでしょうか。
 忘却とは忘れ去ることなり、というのは映画「君の名は」に出てくる有名なフレーズですが、あたりまえといえば、あたりまえです。
 しかし、忘れたほうがいいことは、早く忘れたほうがいい、というのが「忘却とは忘れ去ることなり」のほんとうの意味だといえるでしょうか。
 このとき、日本人が忘れたがっていたのは戦争の記憶でした。
 ところが、どうしても忘れられない思い出がある。それが「君の名は」という映画のテーマです。
 それはともかく、最近は何もかも忘れてしまうのですが、なかなか忘れられないのが、これまでやらかしてきた数々の失敗というわけです。
 この本では、ダメ編集者のいろいろな失敗について話させていただきました。
 失敗の原因は、だいたいうっかりとあせり、手抜きが原因ですね。
 ですから、本の世界では、やはり労働価値説が成り立ちます。
 いや、本の世界以外でもそうです。仕事には、手間暇をかけなければいけないわけです。
 ところが、いい仕事をしても売れるかどうかはわからない。
 労働価値説に疑問をもっていたのはマルクス本人だったかもしれませんね。何せ、十年以上、超人的な労力をつぎこんでようやく第1巻が完成した『資本論』も、印刷部数は1000部にすぎなかったのですから。
 それでも、いい仕事かどうかは、どれだけ手間暇をかけたかによって決まるといってよいでしょう。労働価値説はぜったい正しい。しかし、経済の論理とは、少し別なわけです。
 失敗はやはりこたえますね。なかなか忘れられない。でも、失敗は早く忘れたほうが、からだにいい。後ろに引きずられないで、次の朝起きたら忘れているほうがいいに決まっています。
 失敗を忘れる唯一の方法は、失敗を前向きにとらえることです。失敗をエネルギーにするというか、失敗から教訓を引きだして、それを次に生かせばいいわけです。
 それでも失敗はつづきますが、失敗にめげない体質をつくるというのが、やはりだいじなのではないでしょうか。
 どこかでバランスを回復する工夫が必要です。
 すでに、この本を読んでくださった方から、ぼくが盛大にまちがいをしでかしているのをみて、安心したよという感想をいただきました。
 ですから、この本を読んで、少しでも安心していただければ、ありがたいと思っております。
 なお、最後にもうひとつ失敗について、つけ加えますと、この本は、校正と校閲についてのまじめな本ですから、6人の著者のうち、ぼくだけがトンチンカンな話をしてしまって、申し訳なく思っております。
 ぼくは長いあいだ、『記者ハンドブック』にたずさわっていましたから、ほんらいなら『記者ハンドブック』の上手な使い方といったような話をしなければならなかったはずです。
 ところが、編集の現場を離れてしまうと、まさに「忘却とは忘れ去ることなり」で、実務にはまるでうとくなってしまいました。
 頭のなかを去来するのは、失敗の思い出ばかり。
 それで、つい、ぼくの「傷だらけの」編集者人生について話させていただいたのですが、まじめな本書にはふさわしくなかったかもしれません。
 また、失敗を重ねてしまいました。
 でも、本には笑いあり涙ありですから、ぼくの章では、少し息抜きをして、おおいに笑っていただければと思った次第です。
 いい本をつくっていただき、ありがとうございました。
(6月13日、東京・市ヶ谷アルカディアにて。ただし時間の都合で、この話はカット)

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