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回転期間の問題──ハーヴェイ『〈資本論〉入門(第2巻、第3巻)』を読む(8) [本]

 資本の回転期間は、生産期間と流通期間からなる。
 生産期間と労働期間はことなる場合もある。たとえば、酒やワインができるには、発酵に要する時間も必要であり、これは労働期間とはいえない。したがって、労働期間と生産期間は必ずしも一致するとはかぎらないのである。
 とはいえ、ここでは労働期間について、みることにしよう。
 ここで、例として挙げられるのは、綿紡績と機関車製造の場合である。
 どの業種も、1日あたりの労働時間が10時間だとしよう。
 綿紡績の場合は、毎週ごとに一定量の完成品ができあがる。これにたいし、機関車の場合は1台つくるのに3カ月かかる。鉄道を完成させるには、たぶんもっと時間がかかるだろう。
 製造される商品によって、労働期間はじつに多様である。資本にとっては、労働期間が長くなればなるほど、前貸しされなければならない流動資本が大きくなる。そのため、生産のリスクは大きくなる。前貸資本が大きくなれば、信用の助けも、より多く必要となるだろう。
 しかも事業が拡大すればするほど(たとえば何百軒もの住宅を建てるなど)、資本のリスクは大きくなり、そこに擬制資本が入りこむ余地が増えていくのだ。2008年のリーマンショックは、そうした住宅バブルが破裂した一例とみることができる。
 資本にとっての最大課題は、回転期間の短縮である。流通期間の短縮もさることながら、労働期間の短縮(労働時間の短縮ではない)は、資本にとって常に大きな課題でありつづけている。機械化や信用制度の活用、交通の改良などが、そのための大きな武器になることはいうまでもない。
 農業や林業などでは、ふつう生産期間が労働期間よりずっと長い。そのため集中的な労働を要する時期には、しばしば季節労働者が動員される。アメリカの西海岸と東海岸では、メキシコや西インド諸島などからやってきた季節労働者が、劣悪な環境のもとで、厳しい労働と生活を強いられることが多い、とハーヴェイは記している。
 流通期間の短縮は、交通手段の急速な改善と関係しているが、それは同時に流通空間の拡大と結びついている。マルクスのいうように「資本はその本性からして、あらゆる空間的制限を乗り越えて突き進む」のである。
 交通手段は「時間による空間の絶滅」をめざす。ハーヴェイはそれを資本主義的生産様式の空間的ダイナミズムと名づけている。
 たとえば、新しい鉄道ができると、昔の運河沿いで栄えた町が衰退し、新しい町が勃興する。産業中心地が移動することになれば、かつての製造都市は荒廃していく(これは商店街についてもいえることだ)。資本の空間移動によって、土地の景観はすっかり変わっていくだろう。
『資本論』でマルクスが論じているのは、市場までの距離が遠くなれば、流通期間が引き延ばされるということだ。流通期間が長くなればなるほど、貨幣の環流は遅くなる。それによって、貨幣資本から生産資本への資本の転化も遅れてしまう。
 だからこそ、運輸交通手段の改善は必至となる。関税などの経済障壁の撤廃や、資本の自由化も求められる。加えて信用による融資も必要になってくる。
 原料の獲得が容易になれば、生産用のストックは少なくなり、資本の負担は軽くなるはずだ。長距離輸送や冷蔵技術の導入によって、食料や飲料をより遠く運ぶことができれば、市場は確実に拡大する。
 マルクス自身はこう述べている。

〈資本主義的生産の進歩とその結果としての運輸交通手段の発達は、一定量の商品の流通期間を短縮するのだが、他方で、この同じ進歩と、運輸交通手段の発達によって与えられた可能性とは逆に、ますます遠い市場のために、一言で言えば世界市場のために仕事をする必要を引き起こすのである。〉

 資本の拡大は運輸交通手段の発達と密接に結びついている。その流通空間で流れているものは、商品のかたちをとった資本である。商品は単にモノなのではなく、貨幣でもあり、生産技術でもあり、また文化なのだといってよい。
 次にマルクスは、生産期間と流通期間を合わせた回転期間全体を論じる。このあたりのマルクスの記述は錯雑をきわめている、とハーヴェイはいう。
 資本の回転が順調に進行すれば、前貸しされなければならない資本の量は減る、とマルクスはいう。それはそうだとしても、資本の順調な回転が保証されるためには、信用制度と利子生み資本、すなわち銀行の支援が必要になってくるだろう。というのも、産業資本においては、かなりの部分が貨幣形態をとらなければならないからである。
 市場の商品が、貨幣として環流するまでのギャップを埋めるために、産業資本家はできるだけ早く、商人に定価より安く商品を売り渡す。さらに、次の生産に取りかかるために、時には信用に頼って、追加資本を投入せざるをえなくなる。
 しかし、運輸時間が短縮されるなどして、流通時間が短縮されれば、余剰貨幣資本が生じてくるだろう。それによって貨幣市場に余剰貨幣が流入すれば、利子率が低下するという現象も生じるかもしれない。ただし、利子率はあくまでも貨幣資本の需給関係によって決まるのである。
 次にマルクスは可変資本の回転を取りあげている。
 資本の回転期間が短縮されればされるほど、剰余価値の年率は高まる。いっぽう回転期間が長いと、前貸しされなければならない資本は増大する。生産資本にはより多くの余剰貨幣が必要になってくる。これにたいして、回転期間が速いほど、遊休貨幣資本は少なくてすむのである。
 つまり年額として剰余価値の総額が同じになったとしても、資本の回転率に応じて、労働力雇用に要する前貸資本の額は、相対的に少なくてすむ。
 たとえば、A、Bふたつの資本があるとしよう。どちらも、労働力を雇用するために年に5000万円の出費を要し、それにたいし剰余価値の年額は5000万円だとする。
 そこで、仮にAの資本は年に10回回転するのに、Bの資本は年に1回しか回転しないとしよう。
 その場合、Aは1回転するごとに、500万円の労賃(前貸資本)を支払い、500万円の剰余価値を獲得する。これにたいし、Bは1回転するのに、5000万円の労賃(前貸資本)を支払い5000万円の剰余価値を獲得する。
 年間の労賃(充用資本)と剰余価値の総額は、AとBでまったく変わらない。それでも資本の回転率が高いほど、前貸資本の額は少なくてすむという計算になるだろう。つまりAが500万円なのにたいし、Bは5000万円である。
 マルクスがなぜ回転率と剰余価値との関係を論じたのか、その意図はよくわからない。マルクスはここで検討を打ち切っている。
 そのためエンゲルスが補注を施し、前貸しする貨幣が減ると、利潤率が上昇する傾向があると記している。これは一般利潤率低下の法則とは逆行する傾向である。
 エンゲルスのいうように、利潤率が上昇するのは、資本の回転期間が短縮され、資本の効率が高まるためである。そのため、資本はできるだけ回転期間を短縮する方向をめざす。
 ここで、マルクスは可変資本の回転について論じはじめる。
 資本家が労働力雇用のために支出した可変資本は、労働者によって消費され、ふたたび収入として資本家のもとに戻ってくる。
 しかし、そこでは矛盾が生じる、とマルクスはいう。

〈資本主義的生産様式における矛盾。労働者は商品の買い手として市場にとって重要である。しかし、彼らの商品──労働力──の売り手としては、資本主義社会は、その価格を最低限に制限する傾向がある。〉

 労働者の需要だけでは、商品全体の需要を満たせないのだ。そこで、いわゆる有効需要の不足が生じる。これは資本主義の発展にとって最大の足かせとなっていく。
 資本の拡張は、しばしば生産過剰をもたらす。好況は持続しない。景気は過熱したあと、恐慌へと行き着く。
 マルクスは資本にとって、剰余価値の実現がいかにむずかしいかを、さまざまな面から指摘している。
 それについては、くり返さないが、マルクスが剰余価値の一部は生産の拡大に回されなければならないと述べていることが重要である。
 資本がめざすのは拡大再生産である。
 しかし、その前にマルクスは単純再生産について、検討を加える。
 単純再生産においては、資本家は剰余価値を「個人的に、すなわち不生産的に消費」するものと想定されている。つまり、資本家は儲けを全部自分の楽しみのために使ってしまうのである。
 これは現実にはありえない想定だが、資本家(ならびに不生産階級)が剰余価値を文字どおり不生産的に消費してしまわないかぎり、剰余価値は実現されないというのが、商品世界の皮肉なのである。
 そして、いよいよ次が資本主義の核心ともいえる拡大再生産である。
 拡大再生産においては、剰余価値の一部が生産的消費に回される。
 生産的消費とは、新たな生産手段と追加労働力が購入され、それが生産過程に投入されることをいう。
 実際には、儲かることを前提として、銀行から資金を借り入れて、設備投資をおこなうことが多いだろう。ハーヴェイ自身も「富の蓄積には、信用制度内部の債務の蓄積が伴う」とコメントしている。
 だが、マルクスは信用制度を捨象して、剰余価値の一部がともかくも生産的消費に回されるとして、議論を進めることになる。
 それが、社会的総資本の拡大再生産というテーマにつながるのである。

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