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水野和夫『国貧論』をめぐって(1) [時事]

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 いま日本の経済はどうなっているのか。
 アベノミクスはほんとうに道半ばで、これから日本経済は成長を回復していくのか。
 オリンピックがはじまると、こうした小うるさい話題もたちまち片隅においやられて、それはそれでけっこうなことだと思うのだが、孫の絵本を買いにいった書店で、たまたまこの本を見つけたので、ちょっと斜め読みしてみようかという気になって購入してみた。
 暑苦しいテーマになるかもしれないが、そのへんはご勘弁のほど。
 はじめに、近代の経済は成長だという話がでてくる。資本主義は利潤を求めて、どんどん膨張していく。
 しかし、その膨張にも限界があって、いずれ利潤が得られなくなる。無理やり膨張しようとすれば、経済全体が破裂しかねない。
 それでも経済が成長を求めるのは、資本主義の本性、いや人間の本性が金儲けしたいという欲にまみれているからかもしれない。
 本書によると日本経済の現状は苦しくなっている。
 実質賃金は1997年以降、年平均で0.79%下落している。とくにアベノミクスが採用されてからは、年1.4%減で最悪だという。これは消費増税に賃金の上昇が追いついていないことを示している。
 たしかに安倍政権が誕生してから、雇用は136万人増えた。しかし、その3年間で、正規雇用は5万人減少し、非正規雇用が162万人増えている。
 非正規でも、ともかく雇用が増え、家計の所得も増えれば、けっこうな話ではないかという見方もあるだろう。
 労働の規制緩和で、たしかに雇用者数は増加した。しかし、年収200万円以下の給与所得者は2013年で1119.9万人に達したという。
 ふたりで働いても、家計の余裕は生まれない状況になっている。
 現に、勤労者世帯の金融資産残高は、中央値でみると、2002年には817万円あったものが、2014年には741万円まで減少している。
 さらに、世帯あたりの純貯蓄残高(貯蓄−負債)でみると、その中央値は2012年のマイナス320万円から2015年のマイナス434万円へと、負債額が拡大している。
 生活水準の格差が拡大していることもわかるという。
 内閣府の調査でも、現在の成長戦略で恩恵をこうむっているのは、「上」の層で、「中の中」ないし「中の下」の人たち(8割にわたる中間層)は、今後の生活の見通しが悪化するとみている。
 個人の金融資産は2002年3月末に1417兆円だったのが、2016年には1741兆円に増加しているから、これだけみれば年率1.5%の増加率である。
 しかし、この間、勤労者世帯の貯蓄は、中央値でむしろ減少している。これは資産格差が拡大していることを示している。
 アベノミクスのもと、大企業の利益は、円安の影響もあって、3年連続過去最高益を更新した。
 株主資本利益率(ROE)も2012年度の4.1%から7.4%に増加したという。これは株主への配当が増えていることを示している。
 アベノミクスとは何なのか。
 著者はこう結論づけている。

〈いま問わなければならないのは、「成長戦略」を誰のために実施しているかである。すでに3年経過して分かったことは、[アベノミクスが]家計でいえば生活の程度が「上」(1%)の人と資本金10億円以上の大企業のための「成長戦略」であるということである。〉

 アベノミクスのもと、金融政策ははたして成功を収めたのだろうか。
 年2%の物価上昇をかかげて黒田総裁が日銀に登場してから3年たった。しかし、年2%インフレの目標はいまだに達成されていない。
 2016年1月末に、日銀はマイナス金利の導入を決めた。
 日銀は、企業や個人の投資や消費を促し、景気の回復をはかるのが目的だという。
 しかし、著者はそこにむしろ恐ろしい意図を感じている。
 マイナス金利は、国民の資産を目減りさせながら、国の借金を減らすという作戦なのではないかという。
 ぼく自身もはたして1050兆円以上(GDPの2倍以上)に膨らんだ国の借金をこれからどうするのかが心配である。
 しかも、借金は増えるいっぽうである。国は借金を減らしていくつもりがあるのだろうか。それとも、さらにやけ食いをして、あとは野となれ山となれの心境なのだろうか。利子の支払いもあるので、このままいけば、借金の総額はあっというまに1100兆円を超え、1300兆円、1400兆円と膨らんでいくのだろうか。
 それとも、国は国民の金融資産は1700兆円あるから、もっと借金してもかまわないと考えているのだろうか。
 だが、いつか、その反動がやってくるはずだ。それが小さな波乱で収まるのか、それとも大津波になるのかはわからないが、ただではすまないはずだ。
 政府やエコノミストの人たちは、このあたりのことをどう想定しているのだろう。大本営発表と同じく、そのあたりのホンネはなかなか伝わってこない。
 日銀のマイナス金利導入が、景気対策というよりも、過剰資本と債務にたいする調整であることはまちがいない、と著者は述べている。

 長期的に見ると、本書のテーマは「資本主義の終焉」である。
「どの時代であっても資本主義の本質は周辺(フロンティア)から中心(資本家)という分割に基づいて富を周辺から中心に蒐集し、中心に集中させるシステムに変わりない」と、著者はいう。
 この中心集中システムによって、19世紀から20世紀にかけ、豊かさを独占してきたのが、欧米、日本など資本主義を採用してきた国々だった。それが、現在、揺らぎはじめている。
 もちろん、資本主義国の内部でも、格差はいうまでもなく存在する。資本主義というのは内外に格差をつくることで拡大していくシステムなのである。
 だが、そのシステムも終焉を迎えつつある。
 マイナス金利が象徴するのは「資本を最も効率よく増やすシステムである資本主義が機能不全に陥っている」ということだ、と著者は断言している。
 さらに、著者によれば、企業(株式会社)という存在もすでに時代遅れになっているという。企業は利潤率を最優先することで、経済の不安定要因をつくりだしている。さらには株主資本利益率(ROE)を重視する姿勢が、国民の資産格差を広げているのだ。
 ゼロ金利が示すのは、これ以上新規の投資をしても得られる追加利潤はゼロとという事態である。ところが、企業は利潤を確保するために、雇用コストをできるかぎり削減しようとする。そのことが、社会の分裂を大きくしていくのだ。
 デフレについて、著者は需要不足というより、むしろ中国を含めて世界規模で過剰設備の存在が背後にあると指摘している。
 企業はもはやガルブレイスのいうように「不確実性の源泉」から「社会秩序を乱す存在」になったとまで、著者は述べている。
「より速く、より遠くに」の合理性はもはや敗北した。21世紀は、「よりゆっくり、より近くに、より寛容に」の原理に沿った社会を構築していくべきだ、というのが著者の見解である。

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