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野口悠紀雄『日本経済入門』をめぐって(1) [時事]

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 あえてうそとは言わないけれど、経済に関して、時の政府や日銀が自分に都合のよい数字(印象操作)を発表しがちなのは、みずからの実績をほこることで、その正統性を維持するためである。それは、いわゆる「大本営発表」になりやすい。
 ところで、ほんとうのところ日本経済はどうなのだろう。ここでも数字はうそをつかないという原理があてはまる。
 本書は実際の数字にもとづいて、日本経済のほんとうの姿を客観的にとらえてみようというこころみだといってよい。
 ぼく自身は現実の世界にうとい。毎日をのらりくらり遊びくらしている年寄りにすぎない。そんななまけものにとっても、日本経済の現状を知っておくのも悪くないだろう。もっとも、それはいいかげんな理解にとどまってしまうかもしれないが……。
 本書の「はじめに」で、著者はこう書いている。
「1990年代の中頃をピークとして、賃金をはじめとする日本経済のさまざまな経済指標が、減少・低下していること」は事実である。
 著者にいわせれば、その原因ははっきりしている。
「第1は、新興国の工業化や情報技術の進展といった世界経済の大きな構造変化に、日本の産業構造が対応できていないこと」。
「第2は、人口構造が高齢化しつつあるにもかかわらず、社会保障制度をはじめとする公的な制度が、それに対応していないこと」。
 ここから導かれる対策もはっきりしている。
「日本経済が抱える問題を解決するには、経済の生産性を向上させる必要がある」。しかし、政府は見せかけの金融緩和政策に走り、実体経済を活性化させるという、だいじな方策を怠っている、というのが著者の見方である。
 本書の趣旨は以上であきらかだが、以下、実際の経済データにもとづいて、日本経済の実態をみていく。
 例によって、いっぺんには読めないし、頭もついて行かないので、何回かにわけて、内容を紹介することにする。
(1)GDPの変化
 まず経済活動の指標としては、国内総生産(GDP)が知られている。
 詳しい説明は省くが、国内総生産は国内総支出(GDE)と一致する。そのため、一般に国内総支出もGDPと呼ばれる。
 需要と供給の関係についてはさまざまな議論があるが、「長期的には供給面の要因により経済成長が決まり、短期的な経済変動は需要の変動によってもたらされる」とみてよい、と著者は述べている。
 経済活動の主体は、企業と政府、家計、それに海外部門からなる。
 GDP(正確にはGDE)で最大の割合を占めるのが、民間最終消費支出で56.3%にのぼる(2015年)。これにたいし、民間企業設備が15.3%、政府最終消費が19.9%、公的固定資本形成が5.0%、これに輸出から輸入を引いたものを加えたのが全体のGDPとなる。
 名目GDPを物価の変化率で割ったものが、実質GDPとなる。
 ややこしい計算方法はこれくらいにしておこう。
 日本の名目GDPの年平均成長率は、1956年から70年にかけ、15.6%にものぼっていた。実質GDPでみても、その間の平均成長率は9.6%だった。また1960年から66年にかけ、日本人の1人あたり所得は約2倍に増えている。
 しかし、現在(2016年)の実質GDP成長率は年率で0.5%に落ちこんでいる。これにたいし、アメリカの成長率は2.5%程度、ドイツは1.5%程度になっている。先進国のなかでも、日本は停滞している。
 1人あたりGDPでも、日本の停滞ぶりがめだつ。国際通貨基金(IMF)の予測では、2020年にアメリカの1人あたりGDPは、日本の1.5倍になるとみられている。1990年の1人あたりGDPは、日本のほうがアメリカより多かったことをみれば、ここでも日本の停滞ぶりが目立つ。
 いっぽう、日本と中国の差は、急速に縮小している。2010年には中国は1人あたりGDPが日本の10分の1だったのに、2015年には4分の1になり、2020年には3分の1に接近すると予想されている。
(2)産業構造の変化
 1950年ごろまで日本の産業は、農業が中心だった。その後、製造業が中心になっていく。
 50年には全就業者数の49%が農林漁業関係者だった。それが65年には22%、60年代末には18%に減少した。
 いっぽう製造業従業者は50年には16%だったのに、60年代末には25%以上に拡大している。
 そのことをみても1950年代から60年代末にかけて、日本では急速な工業化が進んだことがわかる。
 鉄鋼の生産量は1950年から60年にかけ5.3倍に、60年から70年にかけ5.7倍に増加した。
 そのかん工業化にともなって、日本では都市化が急速に進んだ。都市部と農村部の人口比率は1950年に0.6、それが1965年には2.1となった。
 しかし、1970年代以降は、製造業が縮小し、非製造業が拡張していく。GDPに占める割合でいうと、70年には製造業が36.0%、非製造業が53.0%だったのが、80年度には29.2%と59.9%、2000年には21.1%と66.1%、2014年には18.5%と68.1%となっている。
 1970年とくらべると、製造業の比率は半減したと著者は述べている。
「製造業の相対的な比率は明らかに低下し、絶対値で見ても、製造業は停滞または縮小の過程にある」
 製造業が縮小した原因は、端的にいって、1978年の「改革開放」路線以降、とりわけ90年代半ばから中国が急速に工業化したためである。
 中国では、鉄鋼生産量が一挙に増えただけでなく、自動車、家電、IT分野でも新しい企業が誕生した。
 それによって、中国は「世界の工場」と呼ばれるようになった。
 さらに「中国メーカーは巨額の研究開発費を投じ、世界各国に研究拠点を設けて技術開発を進めており、技術的にも日本企業を凌ぎつつある」。
 加えて、80年代から90年にかけてのIT革命によって、情報処理コストと通信コストが劇的に低下したことも、製造業の生産方式に大きな変化をもたらした。
 それが「垂直統合」から「水平統合」へと呼ばれる変化である。たとえばアップルはこの「水平統合」によって、世界じゅうの企業が生産した部品を調達し、中国で製品の組み立てをおこなっている。
 重化学工業も組み立て製造業も、日本よりも中国のほうが、はるかに低コストでできるようになった。それにより、工業製品の価格は大きく下落する。
 低コスト競争をしても、日本企業は消耗するばかりで、中国に太刀打ちできなくなる。そのため、日本企業も中国をはじめ、海外に進出せざるをえなくなった。
 こうした世界構造の変化によって、日本の製造業の利益率は大幅に低下した。
 著者はかつてのような「輸出立国モデル」はもはや成り立たないと述べている。
 日本の製造業はすでに生産拠点の多くを海外に移転させており、海外市場に進出することで活路をみいだそうとしている。
 この傾向を逆転することはもはや不可能であり、日本は海外での利益を環流させて、経常収支の黒字を維持するほかない、というのが著者の見立てである。
 日本の長期停滞は、世界の構造が変わったことが原因であり、日本は産業構造を変えることによってしか、長期停滞を脱出できない、と著者は論じている。
(3)就業構造の変化
 日本の就業者数は1955年に4000万人、1968年に5000万人、1988年に6000万人を突破した。そして95年に6584万人のピークを迎え、その後は減少をつづけて、2016年には6444万人になっている。
 そのうち製造業の就業者は61年に1000万、70年に1400万人を突破したが、92年の1603万がピークで、その後、減少をつづけている。2013年の就業者は1033万で、全就業者の15.9%。これは卸売業・小売業の16.4%より少なくなっている。このことをみても、日本の中心産業はすでに製造業ではなくなっていることがわかる。
 いっぽう有効求人倍率は、リーマンショック後1を下回る状況がつづいていたが、2016年には1.41に上昇している。このことをみると、雇用情勢が好転したかのようにみえるが、実際には「有効求人数はほぼ頭打ちであり、有効求職者数の減少によって有効求人倍率が上昇しているという側面が強い」という。
 つまり、人手不足の原因は、労働力人口が減少したためなのだ。有効求人倍率の上昇は、かならずしも日本経済の好転を意味しない。
 また日本の賃金指数をみると、ピークは1997年の113.6で、その後、2000年には110.5、2012年には98.9まで下落している。1997年から2012年にかけ、経済全体で、賃金は低下傾向にあったことがわかる。
 さらに、このかんの特徴は、正規雇用が減少し、非正規雇用が増加したことである。正規と非正規とのあいだにはいちじるしい賃金格差が見受けられる。
 2015年、2016年の官製春闘では、賃上げ率はそれぞれ2.38%、2.14%の高水準となったが、春闘がカバーしない部門では、むしろ賃金は下落しており、全体としてみれば、賃金は上昇していないのが実情だ、と著者はいう。
 日本経済の実情を示す数字を、さらに見ていくことにしよう。

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