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経済法則──マーシャル『経済学原理』を読む(4) [経済学]

 資料を集め、整理し、解釈し、それをもとに推論をおこなう。それはほかの科学と同じように、経済学でも用いられる手法だ、とマーシャルはいう。帰納と演繹はどちらも欠かすことはできない。
 ときには、新しい事実を確認することも、既知の事実の推論を吟味しなおすことも必要になってくるだろう。
 科学的分析からは法則が導かれる。その前提となるのは、きわめて精密な条件である。
 人間の行動は多様で、不確かだから、そこから精密な命題をとりだすのはむずかしい。とはいえ、人間行動の傾向についても、何らかの命題はとりだせるはずだ、とマーシャルは考える。
 マーシャルによれば、経済法則は次のように定義することができる。

〈経済法則、すなわち経済的傾向に関する命題は、その主要な動機の強さが価格によって測定できるような行為に関連したところの社会法則なのである。〉

 経済にからむ人間行動は、価格によって左右される傾向があり、ある条件のもとなら、一般にこうなると予測される命題が経済法則として取りだされることになる。
 ただし、経済法則は道徳からは切り離されているし、それが人間的に正しいとはかぎらない、とマーシャルはいう。
 しかも、経済法則は一定の条件のもとにしか成り立たないから、それはあくまでも仮説というべきものである。
 さらに、「経済的な分析と推論とはひろく適用されうるものであるが、それぞれの時代それぞれの国はそれに固有の課題をいだいており、社会状態が変動するたびに新しい経済学説の展開が要求される」。
 経済学者はどのようなテーマを取り扱うべきか。
 これについても、マーシャルははっきり書いている。

〈富の消費と生産、ならびに分配と交換、産業と交易の組織、金融市場、卸小売、外国貿易、および雇主と従業員の関係──これらを、とくに現代においてうごかしている原因はなんであるのか。これらすべての運動はたがいにどのように作用し反作用しあっているのか。これらの究極の傾向は即時の傾向とどうちがうのか。〉

 経済全体の仕組みと流れを理解することが経済学の目標とされている。そこには何らかの経済法則がはたらいている。さらに、マーシャルは時間の概念を導入し、長期と短期の動きを射程にいれていたことがわかる。
 ほかにも、価格と欲求の関連、富と福祉の関連、生産性と所得の関連、経済自由と独占、租税が社会にもたらす影響などといった問題もある。
 経済学は理念からではなく現実から出発する、とマーシャルはいう。
 ただし、現実は単に肯定されるだけではない。それは変更可能なものとして措定される。
 ここでマーシャルはイギリスの当面する問題として、つぎのような課題を挙げている。
 経済自由を展開するにあたって、その効果を促進し、その弊害を抑制するには、どのようにすればよいか。
 分配の平等化は望ましいにちがいないが、そのさい経済的指導者の活力をそぐことなく、貧しい人びとの所得を増大させるには、どのようにすればよいか。
 労働者がより高レベルの仕事をおこなえるようにするために、どのような教育をほどこすのがよいのか。
 文明生活に欠かせない公共的活動は、どのようなやり方で充実させていけばよいのか。
 個人や会社の業務にたいする政府の規制はどの程度まで認められるのか。
 経済学はこうした社会的生活にかかわる問題についても、一般的な指針を出せるよう努めねばならない、とマーシャルはいう。ただし、その方向性が政治的価値観にゆがめられてはならないことはいうまでもない。
 経済学者には知覚と想像力、理性が求められるが、とりわけ重要なのは、問題の所在を探る想像力だ、とマーシャルは強調する。
 たとえば、失業を減らし、雇用を安定化させるためにはどのような対策をとるべきか。こうした問題を検討するさいにも、経済学者はあらゆる経済知識に加え、力強い想像力をはたらかせることが必要である。
 最低賃金の増加が、雇用者、労働者、産業にあたえる影響を考察する場合も、広い知識と想像力、そして時に批判力が必要になってくるだろう。それは、その他の経済問題を検討するさいも同様だ、とマーシャルはいう。
 ところで、マーシャルがユニークなのは、経済学者には同情心がだいじだとしていることである。それも「とくに同じ階級のものばかりでなく、他の階級のものの境遇に身をおいて考えてみることのできるような非凡な同情心」が必要だと述べている。これも一種の想像力にはちがいない。
 マーシャルは経済自由に力点を置いた。そして、その経済自由を実現する鍵は、産業組織(企業ないし会社)のあり方にあると考えていた。それが、どのようなあり方なのか、いまは問わない。
 だが、マーシャルにとって、経済自由が反社会的な独占を意味していなかったのはたしかである。かれはまた、「全民衆の福祉こそ、すべての個人的努力および公共的政策の究極の目標」だと考えていた。財産権を廃止すべきだという主張にたいしては懐疑的だった。そうした主張にたいしては、「慎重で柔軟な態度をとるのが、責任ある人間のなすべきことだ」と述べている。
 こうした論及のなかから、かれの経済自由がどのようなものであったかを、ある程度推察することができる。

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