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渡辺京二『逝きし世の面影』をめぐって(4) [くらしの日本史]

 スイスの使節団長エメ・アンベールや英国公使オールコックは、日本の民衆がゆとりをもち、気ままにはたらいているという印象をいだいた。
「近代工業の確立とともに軍隊的な労働規律として結晶するような、厳密に計測化された時間とひきかえの賃労働は、徳川期の日本にあってはいまだ知られざる観念だった」と著者は書いている。
 日本には「近代的賃労働の導入される以前の……悠長で気儘な労働」のかたちが残っていた。それは非能率的な集団労働にみえたかもしれない。だが、社会のリズムはゆったりと脈打っていたのだ、と著者は評する。
 日本人が勤勉でなかったというのではない。ただ、当時の日本人は、はたらきたいときにはたらき、はたらきながら遊んでいたのである。かねと時間に縛られることはなかった。
 労働に唄はつきものだった。荷物を運ぶときも、舟をこぐときも、日本人は上機嫌に唄を歌った。
 職人たちにとって、労働は「よろこびと自負の源泉だった」と、著者はいう。モースはアメリカの大工より日本の大工のほうが、はるかに優秀で器用だと書いている。
 たくましい体つきをした人力車夫や、馬の先駆けをする筋骨たくましい別当(馬丁)は仕事にほこりをもっていた。「車力、人力車夫、別当といった労働者についての一連の記述から、われわれは伊達、粋、いなせという類いの男性美学を連想することさえ可能かもしれない」と、著者は解説する。
 当時の記録によれば、幕末に日本にやってきた西洋人は、日本の労働者をみて、なんと古代ギリシャ人を連想したという。
 これはじつに意外なことである。
「日本の肉体労働者は衣服と体つきの美しさという点で、中流、上流の人々をはるかにしのいでいる」と、ある観察者が書いている。
 さらに、外国人観察者をおどろかせたのは、日本は監視社会だと聞いていたのに、じっさいに訪れてみると、人びとのあいだに礼節と親切が行き渡り、だれもが幸福そうにみえたことだった。西洋人は、日本では意外にも民衆が個人的自由を享受しているのではないかと感じた。
 幕府の役人は、何かことが起こっても、なるべく穏便にすませるという態度をとっていた。これはたぶんに「近代以前の国家は……共同団体の自治にゆだねられた生活領域に立ち入って規制するような意志も実力ももたなかった」ためだ、と著者はいう。
 放火や殺人の場合はともかくとして、「町衆同士で争闘するのは、彼らの慣習的な権利だった」。問題がおこっても、その決着は当事者間の交渉にゆだねられていたのだ。
 著者はさらに書いている。

〈アンベールが日本の庶民の生活に見出したのは、もちろん、今日のわれわれが理解するような近代の市民的自由ではない。それは村や町の共同体の一員であることによって、あるいは身分ないし職業による社会的共同団体に所属することによって得られる自由なのだ。その自由は、幕藩権力がその統治の独特な構造のゆえに、町や村の生活領域にあたうかぎり干渉せず、村衆・町衆の自治の慣習を尊重したところから生じた。〉

 江戸時代の治安が、わずかの警察権力で維持可能だったのは、そのためである。
 徳川時代の刑罰は苛酷だった。にもかかわらず、それが実際には緩和されていたのは、村と町の自治が認められていたからである。
 幕府のもとでは「抜け穴」と「(ご)内分」が慣習になっていた。それが明治期になると、「ピューリタン的国家権力」によって、「撃滅」されていった、と著者はいう。
 江戸時代には、武士は城下町に集住し、村に武士はいなかった。宗門改も厳格ではなく、民衆はわりあい簡単に宗旨替えをおこなえたし、宗教上の束縛も強くなかった。町民や農民は、町や村のしきたりにそむかないかぎり、自由にふるまうことができたのだ。
 専制主義はおもてむきで、日本人は自由で独立的だ、と多くの外国人はとらえていた。「上級者と下級者の関係は丁寧で温和だ」、「日本の上層階級は下層の人々を大変大事に扱う」との記述が残っている。
 アメリカとちがい、日本人の使用人はよく主人の命令を聞かないことに、あるアメリカ人女性は気づく。かれらは自主的に判断して、こちらのほうがいいと思うことを実行した。そして、結果的に、正しいのはいつも使用人のほうだった。
 日本では身分のちがいもさほどなかった。夜になって一家が団欒するとき、女中や使用人がその仲間入りをするのは、ごくふつうだった。
 上級者は下級者によって支えられており、上級者もそのことを意識しているのが、日本社会の実態だった。そこで、バジル・チェンバレンは「一般的に日本や極東の人びとは、大西洋の両側のアングロサクソン人よりも根底においては民主的である」と記すことになる。
 著者もこう書いている。

〈身分制は専制と奴隷的屈従を意味するものではなかった。むしろ、それぞれの身分のできることできないことの範囲を確定し、実質においてそれぞれの分限における人格的尊厳と自主性を保証したのである。身分とは職能であり、職能は誇りを本質としていた。〉

 加えて、著者は「近代的観念からすれば民主的でも平等でもありえないはずの身分制のうちに、まさに民主的と評せざるをえない気風がはぐくまれ、平等としかいいようのない現実が形づくられたことの意味は深刻かつ重大でもある」と述べている。
 日本の上流階級の暮らしは、西洋人とくらべ、ずっと質素だった。いっぽう日本の農民はヨーロッパの農民より、はるかに自主的で、自由で、役人に屈服しなかった。それは町人とて同じである。
 けっきょく、江戸の政治体制とはなんだったのか。

〈[それは]武装した支配者と非武装の被支配者とに区分されながら、その実、支配の形態はきわめて穏和で、被支配者の生活が彼らの自由にゆだねられているような社会、富める者と貧しき者との社会的懸隔が小さく、身分的差異は画然としていても、それが階級的な差別として不満の源泉となることのないような、親和感に貫ぬかれた文明だったのである。〉

 著者は、失われた江戸文明をなつかしんでいる。

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