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田園都市、江戸──渡辺京二『逝きし世の面影』をめぐって(6) [くらしの日本史]

 行けども行けども終わらぬ感じだ。すこしくたびれてきた。それでも、いくらかでも前に進みたいと思う。
 幕末から明治はじめに日本にやってきた外国人を驚かせたのは、市街が子どもであふれていたことだという。しかも、子どもはとてもだいじにされていた。
 日本の子どもはやっかいで、腕白だと感じた人もいるし、とてもおとなしいと思った人もいる。感じ方はまさに人さまざまだ。
 子どもが大人のまねをして遊ぶのは、どこの国も同じだろう。おもちゃの品数は豊富だった。姉か兄が、赤ん坊をおぶっている光景はよく見かけられたという。
 いずれにせよ、外国人は、日本の子どもはかわいいと思ったのである。
「かつてこの国の子どもが、このようなかわいさで輝いていたというのは、なにか今日の私たちの胸を熱くさせる」と、著者は書いている。
 しかも、子どもたちは礼節と慈悲に満ちていた。そういう日本の子どもたちも、いまは消えてしまったのだ。
 そして、大人たちも、こうした子どもたちをいとしがり、かわいがっていた。当時の子どもたちは、西洋の上流階級のように純粋培養されていたわけではない。
「欧米人の眼からすれば、この時代の日本人の子育てはあまりに非抑圧的で、必要な陶冶と規律を欠くように見えた」と、著者は論じている。
 日本ではかつて「子育てがいちじるしく寛容な方法で行われ」ていたのである。
 日本は「子どもの天国」だと評した外国人もいる。この時代にくらべると、いまの子どもたちは、ちいさいころから競争社会に巻きこまれ、たいへんだと思わないわけにはいかない。

 次の章は「風景とコスモス」と題されている。
 幕末に日本を訪れた欧米人は、日本の風景の美しさに魅了されたという。
 かれらはその美しさを、ことばを尽くして絶賛している。
 自然は自然として、そのまま投げだされていたわけではない。欧米人がみたのは、江戸という時代がつくりあげた自然である。それはイギリスでも、ほかの東洋諸国でも見られない自然だった。
 かれらは茅葺屋根の美しさに見とれた。屋根の上には百合や菖蒲、イチハツの花が咲いていた。いわゆる芝棟である。
 どの村もまるで公園や庭園のようにみえたという。

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[江戸近郊の農家]

 明治半ばに英国公使夫人として来日したメアリ・フレイザーは、日本の海や山の美しさに心奪われた。森林がよく保護され、鳥が多く、人に馴れていることも驚きだった。
「江戸はまさに鳥類の天国だった」と著者は指摘している。
 江戸は大都市であるにもかかわらず、世界のどの都市にも似ていなかった。それは都市であると同時に田園だった。そびえたつ建物はどこにもない。
 江戸は海と田園に囲まれ、高い山並みと壮麗な富士山を背後に控えた、はてしない村のように思えた。
 江戸近郊の王子は、外国人が一度は訪れる名所だったという。そこには森に包まれた、みごとな村が横たわっていた。高台に登ると、目の前に江戸の光景が広がっていた。

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[王子の風景]

 著者はこう書いている。

〈[江戸は]ユーニークな田園都市だった。田園化された都市であると同時に、都市化された田園だった。これは当時、少なくともヨーロッパにも中国にも、あるいはイスラム圏にも存在しない独特な都市のコンセプトだった。〉

 それは江戸という文明がつくりだした光景である。
 人びとは自然と親和関係を保ちながら暮らしていた。
 生活のなかに自然の美が取りこまれていたのだ。

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[江戸近郊の茶屋]

 だが、そうした江戸の魅力は、明治になるとたちまち失われていく。
 江戸時代の日本人は、四季折々の行楽を楽しんでいた。外国人観察者が驚いたのは、それが貴族の趣味ではなく、庶民全般に広がっていたことである。
 なかでも、最大の楽しみは花見だった。幕末の江戸では、桜見物の中心は、かつての飛鳥山から向島に移っていた。こまるのは、酔っ払いが多かったことである。
 楽しむのは桜だけではない。梅、椿、つつじ、ぼたん、ふじ、菊、かえで。季節ごとに楽しみはある。すべて、江戸の文化がつくりあげた自然の光景だ。
 江戸に花の文化が発達したのは、大名や旗本、寺社に庭園がつくられたためだという。
「江戸には、大名屋敷に付随する庭園だけでも千を数え、そのうち後楽園、六義園クラスのものが三百あった」というから驚く。
 花への愛好は、上流階級だけではなく、庶民のあいだにも広がっていた。
「花卉(かき)への愛好が社会の隅々にまで下降するにつれて、徳川後期には、菊、朝顔、桜草、花菖蒲、万年青(おもと)など草本花卉が次々と流行を繰り返した」
 日本人が好んだのは花だけではない。雪や虫の名所もあり、神社仏閣や高台や川や海もあり、月見も楽しんでいた。
 著者によれば、「その頃の人の心はこういう歳時記的なリズムで鼓動していた」。
 そして、月を含めて四季の景物は、当時の人びとの心に詩を呼びさました。
 江戸の時代に生きた人びとは、けっして不幸ではなかった、と著者はいう。

〈徳川後期の文明は世界を四季の景物の循環として編成し、その循環に富貴貴賤を問わず人びとの生を組み入れ、その循環の年々の繰り返しのうちに、生のよろこびと断念を自覚させ、生の完結へと導くものだった。〉

 そうした景観やくらしぶりは、時代とともにすっかり失われてしまう。
 近代はいちがいに否定できないけれど、江戸のよさは本書からもしみじみと伝わってくる。

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