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虚栗──栗田勇『芭蕉』から(8) [芭蕉]

 のちにお七火事と呼ばれる天和2年(1682)暮れの火災で、芭蕉は草庵を焼けだされ、しばらく甲斐の谷村(やむら、現都留市)に身を寄せたあと、翌年5月、江戸に戻ってきた。
 その間の消息は伝わっていない。
 おそらく江戸の門人たちが芭蕉の帰郷をうながしたのだろう。
 帰京後、芭蕉は門人のだれかの家で、しばらく世話になっていたにちがいない。
 このころ、弟子の其角(きかく)が編集した句集『虚栗(みなしぐり)』が刊行される。作者は其角や嵐雪(らんせつ)、杉風(さんぷう)、才丸(さいまろ)、素堂(そどう)など114名。江戸談林派や京、大和の人もまじっている。
 芭蕉はこの句集に跋文(ばつぶん)、つまりあとがきを寄せた。
 栗田勇によれば、『虚栗』の特徴は、漢詩文調、破調だという。
 虚栗とは、むしくい栗のこと。だれも見向きもしないだろうという謙遜の裏に自負がひそんでいる。
 芭蕉の跋文は、サービス満点で、みごとだが、どことなく気合いがはいっていない。それをそのまま引用してもとまどうばかりだろう。無理を承知で、現代文にしておく。

〈栗と呼ぶ本書には、その味わいが4つある。
 すなわち、李杜[李白・杜甫]、寒山、西行、白楽天。
 李杜が酒を飲んで心に達し、寒山が粥をすすって法を悟る。これによって、その詩は宏遠なものとなった。
 侘(わ)びと風雅が全句をつらぬいているわけではない。言ってみれば西行の山家(やまが)を訪ねたものの、そこで見つけたのは、人のひろわぬむしくい栗というところか。
 恋の句も満載だ。昔は西施の哀愁の顔(かんばせ)、いまはカネを稼ぐ小紫[江戸の遊女の名]。唐の上陽宮の閨(ねや)で、[楊貴妃に帝の寵を奪われた]宮女たちの衣桁(いこう)にツタがからまっているありさま、さらに近い世俗のほうをみると、親に心配をかける箱入り娘や、嫁姑のすさまじい争いもでてくる。寺の稚児(ちご)や若衆の情けの句も削っていない。白楽天の歌を仮名にやつして、その初心を救う便宜となればこれ幸いだ。
 その語句、表現は多様で、虚実ないまぜ。宝の鼎(かなえ)のために句を練り、龍の泉のために文字を鍛える。これはほかならぬ自分の宝となって、後日だれかがこれを盗むのを待とうというものだ。〉

 じつにテキトーな訳で恐縮するが、何となくこの句集の雰囲気がわかってもらえば、それでいい。全句に李杜[李白・杜甫]、寒山、西行、白楽天の味わいと格調が投影されている。その点で、『虚栗』はこれまでにない新しい句集だった。
 江戸時代を閉鎖的だったと考えるのはまちがっている。それは、哲学、文学、詩、絵画を問わず、庶民のなかに中国文化や王朝・中世文化が、滔々と流れこんだ時代でもあった。
 芭蕉は独(ひとり)ではあるが、けっして孤(ひとり)ではない。江戸だけではなく、全国各地の門人や知人、俳諧愛好者が、芭蕉の活動を支援している。
 その証拠は、芭蕉が甲斐の避難先から江戸に戻ったときに、52名の門人、知人がつどって、芭蕉庵を再建するため寄付をだしあったことをみてもわかる。
 天和3年(1683)9月、山口素堂(1642-1716)を願主とする勧進簿にはおよそ次のように記されていた。ちなみに素堂は江戸談林の推進者で、芭蕉とは古くからの友人だった。

〈前の芭蕉庵が裂(やぶ)れて、新たな芭蕉庵を求めております。2、3人の助けでは間に合いません。多くの助けが必要です。多くの助けを求めるのは、その願いが切実だからです。寄付の額は問いません。有志の方々におまかせします。これを清貧というか、狂貧というか、翁自身はただの貧だといいます。貧のまた貧、許子[古代中国の人物批評家]の貧といいましょうか。それでも一瓢一軒(食べるものや住むところ)は必要です。雨をしのぎ、風をふせぐ備えがなければ、鳥にすらおよびません。誰でも忍びがたいでしょう。そこで、草堂を建立するため、ぜひご協力をお願いする次第です。〉

 あえて孤高の道を選んだ芭蕉を支援しようとする人は、けっして少なくなかった。
 こうして、その冬、新(第2次)芭蕉庵が完成する。その場所は、最初の芭蕉庵とほぼ同じだったという(深川元番所、森田惣左衛門屋敷内)。
 ふたたび芭蕉庵にはいった芭蕉は、ひとつ句を得る。

  霰(あられ)聞くやこの身はもとの古柏(ふるかしわ)

 何となくうれしげである。
 新しい庵に、あられがぱらぱらと落ちる音がする。自分は相変わらずの年寄り。それでもこの天地宇宙のなか、ちいさな庵のもとでどっこい生きている。
 だが、芭蕉はこの庵に安住しない。
 翌年8月には旅にでるのだ。それも一度切りではない。
 残り10年の人生のうち、じつに4年9カ月を旅の空の下でくらすことになるのだ。
 このあたり、やはり芭蕉はただ者ではない。

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