眠る本たち [眠る本たち]
5000冊近くある本(文庫や新書が多い)の整理をはじめた。
悲しいことにおそらくその3分の2は読んでいない。
そのうち読もうと思って買った本、人からもらった本、仕事のために買った本、たまたま見かけて手に入れた古本、さまざまな本がある。
このあいだウェブ論座の書評欄「神保町の匠」をみていたら、高橋伸児さんが紀田順一郎の『蔵書一代』という本を紹介していた。
稀代の大蔵書家といわれる紀田さんは、80歳にして3万冊の本を泣く泣く古書店に売ってしまったそうだ。
紀田さんの場合は、2日間延べ8人のアルバイトを動員して、12畳の書斎、10畳半の書庫から、3万冊の本を運びだし、4トントラック2台が遠ざかるのを眺めたのだという。80歳にして、人生、最大の痛恨に遭おうとは、と紀田さんが書いている。
ぼくは紀田さんほど値打ちのある本をもっているわけではない。
けっきょく読めないのに、やたら買いこんだ結末が、大量のツンドク本になってしまったのだ。これも消費能力を超えた、大量消費時代の産物である。
ブックオフはもちろん、古本屋ももっていってくれない本が多い。おそらく図書館も引き取ってくらないだろう。
しかし、いずれは処分しなければならない。
思い切って捨てるつもりで、整理をはじめたという次第。
いまのところ捨てたのは300冊ほど。
ところが、ここで作業が中断してしまった。捨てるのがしのびなくなってしまったのだ。
自分のいのちを考えると、あとは読めてもせいぜい10年というところだろう。
それなのに本が捨てられない。
けっきょく、元の木阿弥。捨てるつもりでいた本は、読まないまま、また本棚の上の空きスペースに積み上げることになりそうだ。
眠る本たちである。
たぶんもう読まないにせよ(あるいはとつぜん気力が湧いて読むかもしれないが)、せめて眺めるだけでもと思い、手当たり次第リストをつくってみることにした。
(1)羅漢中『三国志』(小川環樹・武部利男訳)岩波少年文庫、全3巻、新書判、約1000ページ。1984年(初版は1980年)岩波書店
少年文庫だが、大人でも読める。英雄豪傑の勇壮な物語であり、政治の教科書にもなりうる。2世紀から3世紀にかけ、中国は3つの国にわかれて争っていた。三国志は蜀の劉備玄徳を中心とする物語。魏の曹操は憎たらしい悪人として描かれている。10冊の文庫本を半分強に縮めたものだが、原文に忠実な訳だという。三国志はこの少年文庫を読むのがいちばんだろう。名シーンのかずかず、関羽、張飛の活躍。諸葛孔明の知謀。わくわくする。これはたぶん娘のために買った本だ。
(2)チャールズ・ラム、メアリー・ラム『シェイクスピア物語』(野上弥生子訳)、岩波少年文庫、新書判約270ページ。1986年(初版は1956年、原本は1807年)岩波書店
イギリスの随筆家、チャールズ・ラムとその姉によるシェイクスピア劇のダイジェスト。全20篇。劇ではなく物語になっている。そのうち翻訳では13篇がセレクトされている。リア王、マクベス、オセロ、ハムレット、ロメオとジュリエットなどの悲劇をはじめとして、ヴェニスの商人、あらし、からさわぎ、お好きなようになどの喜劇が収められている。シェイクスピアの喜劇はよく知らなかったが、ぱらぱらと読むと、けっこうハッピーな気分になる。これも娘のために買った本だが、どうも読んだ形跡がない。
(3)紀田順一郎『コラムの饗宴』四六判約350ページ。1980年、実業之日本社
最近、気のきいたコラムが少なくなった。この本は大蔵書家(だった)著者が約10年にわたって、いろいろな雑誌に書いたコラムを集めたもの。ばかばかしくも、じつに面白い。引用しているときりがないが、たとえば、こんなふう。
〈永井荷風(1879-1959)は晩年、月に一度ぐらい性欲のハケ場を求めた。ある人が「先生アレの方は、まだお用いになっているんですか」ときくと、「アレは時々やらないと、あとがきかなくなるんでね」と答えた。〉
〈田山花袋(1871-1930)が死ぬとき、かけつけた島崎藤村(1872-1943)はその耳もとに口をやって熱心に聞いた。「死ぬときの気持はどうだ?」〉
悲しいことにおそらくその3分の2は読んでいない。
そのうち読もうと思って買った本、人からもらった本、仕事のために買った本、たまたま見かけて手に入れた古本、さまざまな本がある。
このあいだウェブ論座の書評欄「神保町の匠」をみていたら、高橋伸児さんが紀田順一郎の『蔵書一代』という本を紹介していた。
稀代の大蔵書家といわれる紀田さんは、80歳にして3万冊の本を泣く泣く古書店に売ってしまったそうだ。
紀田さんの場合は、2日間延べ8人のアルバイトを動員して、12畳の書斎、10畳半の書庫から、3万冊の本を運びだし、4トントラック2台が遠ざかるのを眺めたのだという。80歳にして、人生、最大の痛恨に遭おうとは、と紀田さんが書いている。
ぼくは紀田さんほど値打ちのある本をもっているわけではない。
けっきょく読めないのに、やたら買いこんだ結末が、大量のツンドク本になってしまったのだ。これも消費能力を超えた、大量消費時代の産物である。
ブックオフはもちろん、古本屋ももっていってくれない本が多い。おそらく図書館も引き取ってくらないだろう。
しかし、いずれは処分しなければならない。
思い切って捨てるつもりで、整理をはじめたという次第。
いまのところ捨てたのは300冊ほど。
ところが、ここで作業が中断してしまった。捨てるのがしのびなくなってしまったのだ。
自分のいのちを考えると、あとは読めてもせいぜい10年というところだろう。
それなのに本が捨てられない。
けっきょく、元の木阿弥。捨てるつもりでいた本は、読まないまま、また本棚の上の空きスペースに積み上げることになりそうだ。
眠る本たちである。
たぶんもう読まないにせよ(あるいはとつぜん気力が湧いて読むかもしれないが)、せめて眺めるだけでもと思い、手当たり次第リストをつくってみることにした。
(1)羅漢中『三国志』(小川環樹・武部利男訳)岩波少年文庫、全3巻、新書判、約1000ページ。1984年(初版は1980年)岩波書店
少年文庫だが、大人でも読める。英雄豪傑の勇壮な物語であり、政治の教科書にもなりうる。2世紀から3世紀にかけ、中国は3つの国にわかれて争っていた。三国志は蜀の劉備玄徳を中心とする物語。魏の曹操は憎たらしい悪人として描かれている。10冊の文庫本を半分強に縮めたものだが、原文に忠実な訳だという。三国志はこの少年文庫を読むのがいちばんだろう。名シーンのかずかず、関羽、張飛の活躍。諸葛孔明の知謀。わくわくする。これはたぶん娘のために買った本だ。
(2)チャールズ・ラム、メアリー・ラム『シェイクスピア物語』(野上弥生子訳)、岩波少年文庫、新書判約270ページ。1986年(初版は1956年、原本は1807年)岩波書店
イギリスの随筆家、チャールズ・ラムとその姉によるシェイクスピア劇のダイジェスト。全20篇。劇ではなく物語になっている。そのうち翻訳では13篇がセレクトされている。リア王、マクベス、オセロ、ハムレット、ロメオとジュリエットなどの悲劇をはじめとして、ヴェニスの商人、あらし、からさわぎ、お好きなようになどの喜劇が収められている。シェイクスピアの喜劇はよく知らなかったが、ぱらぱらと読むと、けっこうハッピーな気分になる。これも娘のために買った本だが、どうも読んだ形跡がない。
(3)紀田順一郎『コラムの饗宴』四六判約350ページ。1980年、実業之日本社
最近、気のきいたコラムが少なくなった。この本は大蔵書家(だった)著者が約10年にわたって、いろいろな雑誌に書いたコラムを集めたもの。ばかばかしくも、じつに面白い。引用しているときりがないが、たとえば、こんなふう。
〈永井荷風(1879-1959)は晩年、月に一度ぐらい性欲のハケ場を求めた。ある人が「先生アレの方は、まだお用いになっているんですか」ときくと、「アレは時々やらないと、あとがきかなくなるんでね」と答えた。〉
〈田山花袋(1871-1930)が死ぬとき、かけつけた島崎藤村(1872-1943)はその耳もとに口をやって熱心に聞いた。「死ぬときの気持はどうだ?」〉
2017-09-11 07:10
nice!(7)
コメント(2)
よおくわかります。
by kazg (2017-09-11 21:39)
それでも懲りずにまた新刊を買ってしまう。困ったものです。
by だいだらぼっち (2017-09-23 07:01)