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ならずもの国家その後 [時事]

 ならずもの国家というのは1990年代末にはやったことば。アメリカが自分たちのルールにしたがわない独裁国家につけたレッテルだといってよい。当時、アメリカは、北朝鮮、イラク、イラン、アフガニスタン、リビアをならずもの国家と呼んでいた。
 アメリカはこれらのならずもの国家を、戦争や謀略で、徹底的に痛めつづけた。その結果、現在、旧来の国家体制を維持しているのは、北朝鮮とイランだけとなった。
 アメリカこそならずもの国家だという言い方がある。というのもイラク、アフガニスタン、リビアの体制を強引に倒したのはアメリカにほかならなかったからだ。そして、そのあとに残されたのは、荒廃と混乱、暴力、そして世界中へのテロの拡散だった。
 イランは2015年に欧米諸国・ロシアと、核物質の製造・蓄積を制限する核合意を締結することで、体制の存続をはかった。とはいえ、アメリカとの緊張関係はいまだにつづいている。
 北朝鮮はイランとは逆の方向をとった。核開発を推進し、アメリカを攻撃しうるミサイルをもつことで、その体制を維持しようとしている。
 北朝鮮が目標とするのは、アメリカに頭を下げさせることである。
「これまで、ならずもの国家、悪の枢軸などと北朝鮮を非難したのはまちがっておりました。これからはお隣の中国と同じように、ぜひ仲良くさせていただきたいと思いますので、どうぞよしなに」と言わせることである。
 だが、はたして、北朝鮮の思わくはそううまくいくだろうか。
 けっきょくISを生みだすことになったイラクでの戦争を後悔しているようにみえるアメリカは、いま北朝鮮と戦争したくないだろう。石油が豊富にあるイラクとちがい、戦争するメリットは何もない。加えて、戦争のもたらすリスクはひじょうに高い。
 いまや東アジアは核の海になった。
 中国、北朝鮮、ロシア、そしてアメリカの核の傘のもとにおかれている(つまりいつでも核を持ち込める)韓国、日本と並べてみれば、東アジアにはいったいどれほど核が充満していることだろう。それが、中東と東アジアのちがいである。
 東アジアでの戦争は、究極的には核戦争を招くことになる。それでも金正恩、ないしトランプは核のボタンを押すことを躊躇しないのだろうか。
 たとえ核戦争にいたらないまでも、戦争は北朝鮮を壊滅させるだけでなく、韓国、そして日本にも巨大な被害をもたらす可能性がある。
 経済制裁を強化して、北朝鮮がまいりましたというのを待つのが、アメリカや日本がとっている当面の作戦である。そして、北朝鮮が6カ国協議で、核開発をやめることに合意すれば、少なくとも北朝鮮の体制は維持され、各国との経済関係も修復されることになる。うまくすれば、アメリカとの平和条約も締結されるかもしれない。
 だが、北朝鮮が核開発をやめることはないだろう。なぜなら、それだけが、北朝鮮がならずもの国家として排除されるのを防ぐ唯一の手立てだからである。
 かつて吉本隆明は『「ならずもの国家」異論』(光文社、2004)のなかで、核拡散防止条約(NPT)の正当性に異論を唱えたことがある。

〈ぼくは、核拡散防止条約はおかしいとおもっています。公正にいって何がおかしいのかといえば、この条約が締結された時点で核を保有している国はそのまま核をもっていてもいいけれど、いま核をもっていない国はこれからも核を保有することはできない、それは許されないんだという点です。これはどうかんがえてもおかしい。そんなばかな話はないわけです。……
 核をもっていない国は今後とも核をもてないと決めるなら、その一方で、すでに核をもっている国はどんなかたちでもいいから次々に核を廃棄するというのでなければ公正ではありません。条約をつくったとき、核の不所持と核の段階的廃棄を同時に決めなければいけなかったのに、そうしなかった。国際問題ではいつも強いやつの主張が通ってしまいますから、アメリカやロシアのつごうのいいように決まってしまったわけです。そんな核拡散防止条約は根本的にいってとてもおかしいわけです。〉

 現在、NPT条約のもとで、核の保有を認められているのはアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国である。しかし、条約に加盟していないインド、パキスタン、イスラエルも核兵器を所有している。またソ連が崩壊したときに、ベラルーシ、ウクライナ、カザフスタンの核兵器はロシアに引き渡されたとされるが、どこかの地域にひそかに流出した可能性もある。
 北朝鮮の核開発は、NPT体制にたいするあからさまな挑戦だといってよい。それはアメリカだけでなく、中国への反発でもあった。なぜなら、北朝鮮は同盟国である中国の核の傘にはいらないことを、身をもって示したからである。
 吉本がNPT条約を批判したのは、なにも北朝鮮の核開発を支持したわけではあるまい。まして、アメリカの前にちぢこまって、核の選択などできない日本を揶揄したわけでもないだろう。
 核兵器の広がりは、大国が力で押さえ込もうとしても、もはや不可能になっているのが現実であり、NPT条約に代わる新たな平和構想の枠組みを考える時期にきたのではないか、との感想を述べたまでである。
 現代人は底知れぬ核の不安のなかで、生きることを余儀なくされている。
 科学技術の進歩とともに、軍事技術の開発と広がりもとどまることをしらない。そのことに気が滅入る。いったんつくりだされた武器は、陳腐化されることで見捨てられることはあっても、どんどん効果的に人を殺傷する能力を高める方向に進んでいる。
 これはみずからを絶滅の淵に追いこまないではいられない人類の宿業なのだろうか。
 北朝鮮の核開発が、世界、とりわけ日米韓に脅威を与えていることはまちがいない。しかし、いまから13年前に、吉本はすでにこんなことを述べている。

〈日本国の一連の動きを見ていてよくないなと感じるのは、「北朝鮮問題」というものがあって、その北朝鮮問題をアメリカに片づけてもらいたいがために、アメリカにべったり同調しているように見えてしまうことです。北朝鮮の脅しが日本政府に対しても、日本の国民一般にたいしてもずいぶん効いているんだなと驚くほどです。
 でもぼくは、北朝鮮の脅しなんて危機でも何でもないとおもっています。北朝鮮もミサイル発射の構えを見せるし、日本のマスコミも危機だ危機だと煽るけれども、本当をいえばあんなのは何でもないことです。北朝鮮がいくら脅かしたり、ソウルや東京を火の海にしてやると広言しても、その程度で戦争が起こることはありません。太平洋戦争中の体験からしてもぼくはそうおもいます。あれは単なる脅しにすぎない。戦争なんかする気がないからああいっているだけのことです。〉

 メディアでこういう意見を述べると袋だたきにあうが、ぼくは卓見だと思う。
 いいことだとはけっして思わないけれど、北朝鮮の核開発は(中国の核開発と同様)、東アジアに奇妙な平和をもたらしている。ピリピリとした平和といえばいいだろうか。いままでは北朝鮮などさっさとつぶしてしまえと思っていたのに、少なくとも、北朝鮮とはそう簡単に戦争できないぞという気分が広がっている。
 だが、戦争の危険性がないわけではない。
 吉本はこう話している。

〈戦争というものは脅し程度のことからははじまりません。100パーセントはじまらないといっていい。戦争をはじめるなら黙って奇襲をかけるとか、いきなりミサイルを撃ち込んでくるとか、そういう方法をとるはずです。じぶんたちでできるかぎりの計画を練って、またあらんかぎりの武器を使ってまず攻めてきます。黙ってそうするはずです。それが戦争です。それ以外のやり方、たとえば演習するからそこをどいてくれとか、演習でミサイルを飛ばすとか、そんなことをいっているうちは戦争がはじまることは絶対にありません。
 いまの情況よりもっときわどいことにならなければ戦争ははじまらないし、また北朝鮮も戦争をできないだろうとおもいます。きわどいこととは何かといえば、それはアメリカが北朝鮮を正面の敵として扱い、アメリカ流の脅しを仕掛けたり、日本は日本で国民の多くが憲法改正に賛成して、自衛隊は海外で戦争をしてもいいんだという世論が出てくることです。〉

 吉本の懸念は、トランプ政権の登場や、安倍政権のもとでの新安保法制、「共謀罪」の成立、さらに憲法改正の動きなどで、いっそう深まり、より現実のものとなろうとしている。
 アメリカはいざ戦争となると、相手を叩きのめすまでやめないマッチョな国だ。まして戦争がアメリカ本土におよばないとなると、どんなこともやりかねない。吉本が心配するのは、日本の自衛隊がそんなアメリカとくっついて、北朝鮮と戦争するのではないかということだ。
 北朝鮮が侵攻してきたのならともかく、北朝鮮との戦争は避けるべきだ。
 北朝鮮は不幸な国だ。ぼくは北朝鮮が、いつか自由で、人権が守られ、開かれた豊かな国になることを望むけれども、それにはまだ時間がかかるかもしれない。あるいは、とつぜんの変化があるかもしれないが、それはわからない。
 しかし、戦争は解決にはならないということだけは主張したい。いまはピリピリした平和のなかで、さまざまな手立てをとりながら、じっと次の展開を待つしかないだろう。

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