SSブログ

眠る本たち その6 [眠る本たち]

(25)『スパルタクス書簡』(中村丈夫、山崎カヲル、船戸満之訳)1971年、鹿砦社
img136.jpg
学生時代、ローザ・ルクセンブルク(1871-1919)の書いたものを読みあさったことがある。1914年、第一次世界大戦がはじまったとき、ローザの所属するドイツ社会民主党は戦争を支持し、これに反対するローザたちは新たなグループを結成、それが「スパルタクス団(ブント)」となった。スパルタクス団が発行した非合法冊子が、この『スパルタクス書簡』(1916年9月〜1918年9月)である。その後、ローザは逮捕されるが、獄中でいくつも論文を執筆し、ロシア革命を主導したレーニン流のボリシェヴィズムを批判するとともに、ドイツの労働者に戦争反対への決起を呼びかけた。1918年11月にドイツ革命が発生し、皇帝ヴィルヘルム2世が廃位されると、ローザもブレスラウ監獄から釈放される。しかし、それからすぐ、1919年1月に軍部によって殺害され、ベルリンの運河に捨てられた。貴重な文書だが、読み切れなかった。

(26)デイビッド・ハルバースタム『ネクスト・センチュリー』(浅野輔訳)1991年[原著も1991年]、TBSブリタニカ
img142.jpg
1990年に執筆された本書で、ハルバースタムはこう論じている。〈アメリカは歴史上初めて、他国に後れをとるかもしれないという危機にさらされている。ソ連と比べれば、アメリカの制度や経済は目を見張らされるほど優れている。しかし、いまや勢い盛んな他の国々と比較した場合、アメリカは疲弊し消耗しきって見える。もし純粋に経済的な将来のモデルがあるとすれば、それは日本だ。日本人は猛烈な情け容赦のない競争相手である。教育水準が高く勤勉で、規律の行き届いた社会という点で、日本は他国の見本といってよい。〉ハルバースタムは「アメリカの世紀」の終焉を実感していた。それから四半世紀以上たち、状況はがらりと変わる。本書ではほとんど中国について語られていない。ハルバースタムの予想とは異なり、21世紀は日本の世紀にはならなかった。

(27)リリアーヌ・シエジェル『影の娘──サルトルとの二十年』(西陽子、海老坂武訳)1990年[原著は1988年]、人文書院
img144.jpg
サルトルは一生独身だったが、まわりには多くの愛人が集まっていた。「私がサルトルの生活の中に入ったとき、彼の人生の完全な同伴者であるシモーヌ・ド・ボーヴォワールのほかに4人の女性がいて、私は5番目となった」と、リリアーヌは書いている。愛人の誰もがサルトルと別れなかった。実に複雑だが、濃密な日々だ。訳者のひとりは書いている。〈本書の中でサルトルは実に多くを与えている。と同時に、一人ずつ個性の異なる美女たちに囲まれてなんとも生き生きしている。わがままに手を焼き、おねだりで財布を空にしたが、それに劣らぬものを女性関係から得ていたようだ。〉

(28)藤田紘一郎『空飛ぶ寄生虫』1996年、講談社
img143.jpg
前にみた『笑うカイチュウ』の続編。西郷隆盛はバンクロフト糸状虫症にかかっていたらしい。おそらく、若いころ島流しにあった喜界島で感染したようだ。媒介したのはネッタイイエカ。西郷はこの病気で陰嚢が巨大になり、馬に乗れなかった。西南戦争で敗れたとき城山で西郷は自害するが、首のない遺体を西郷と確認する証拠となったのは巨大な陰嚢だったという。〈検死官は死体の股間を検査した。大きな陰嚢は革の袋でくるんでつるし上げられていた。革袋を開いてみると、ヒトの頭の大きさの陰嚢があらわれたのだった。〉西郷にも人にいえない悩みがあったのだ。

(29)櫻井よしこ『エイズ犯罪──血友病患者の悲劇』1994年、中央公論社
img145.jpg
本のオビにこうある。〈「私と一緒にエイズで死んでください」──法廷に悲痛な叫びがこだまする。1800人もの罪なき人々がなぜエイズに感染しなければならなかったのか? 国と製薬会社の責任を問う「東京HIV訴訟」を追い、医の倫理に鋭く迫る。〉切々としたヒューマン・ドキュメントである。いまの櫻井よしこのイメージからみれば、ちょっと意外な感がする。

(30)村松友視『ギターとたくあん──堀威夫流不良の粋脈』2010年、集英社
img140.jpg
守屋浩、舟木一夫、和田アキ子、森昌子、石川さゆり、山口百恵、榊原郁恵など、数々のスターを送りだしたホリプロ社長、堀威夫の半生をえがく。堀威夫はたくあんが好きで、自分でたくあんをつけていた。1年につける量は300キロ、自宅にはたくあん専用の地下室があった。この手塩にかける姿勢が、タレント養成にもつながっていた。ギターはかれの出発点でもある。タレントの裏話はない。そのへんが、ぼくとしては残念。

(31)宇井純『公害列島 70年代』1972年、亜紀書房
img137.jpg
宇井純(1932-2006)は立派だった。東大の都市工学科助手として、水俣病を告発し、1970年からは「公害原論」の公開自主講座を開いていた。東大からは認められず、万年助手(21年間)のままだったが、日本の反公害運動にはたした業績は大きい。もっと顕彰されてしかるべき人物だ。〈被害者にとって公害ほど理不尽なものはない。病気の苦しみの上に社会的な差別が、向こうからやって来る。そして、だまっていれば誰も助けてはくれないのである。自分が立ち上がって抵抗しないかぎり、事態の改善は全く展望がない。学問も、政治も、被害者みずからの行動の前には壁となって立ちふさがる。その壁をのりこえ、突き破って、公害反対運動はここまで進んで来た。〉こういう人こそ表彰すべきではないか。

(32)デニス・スミス『ソング・フォー・メアリー──そしてぼくは自分を見つけた』(別宮貞德、高橋照子訳)2000年、メディアファクトリー
img141.jpg
カバー折り返しの説明。〈アイルランド移民の家庭で生まれたデニスは父親の顔を知らない。母メアリーは床に這いつくばって他人の家の掃除をする。やればできると言われても、まじめにやったところで、生活保護を受けている暮らしむきは変わることはない。不登校、酒、麻薬の果てに暴行罪。絶望のデニスを救ったものは──。荒廃した少年時代から消防士という天職を見つけるまでの葛藤の日々を経て、生きていることの燃えるような実感を求めて自分自身を発見していく感動のノンフィクション。〉ぜったいいい本だ。アメリカでベストセラーになったのもわかるような気がする。メディアファクトリーはリクルートがつくった出版社。いまはKADOKAWAグループで、ライトノベルやコミックを出し、ゲームも扱っている。

(33)コリン・パウエル/ジョゼフ・E・パーシコ『マイ・アメリカン・ジャーニー[コリン・パウエル自伝]』(鈴木主税訳)1995年、角川書店
img139.jpg
本文だけで700ページ以上あり、しかも2段組。訳者は苦労しただろう。しかし、とうとう読む気力が湧かなかった。訳者あとがきをひいておく。〈コリン・パウエルは、まさにアメリカン・ドリームを体現した新しいヒーローだと言ってもいいだろう。決して裕福ではないジャマイカ移民の家庭に生まれ、黒人ゆえのハンディを背負いながら軍隊で頭角をあらわし、ついには統合参謀本部議長の地位にまでのぼりつめた。さらに湾岸戦争は、パウエルがアメリカのヒーローとして自らを国民にアピールするうえでまたとない舞台を提供したわけである。パウエルがたどったキャリアは、絵に描いたようなサクセス・ストーリーだと言えなくもない。現状に不満を抱く国民にとっては、うってつけのニュー・ヒーローの登場なのだ。〉

(34)共同通信社編『生の時死の時』1997年、共同通信社
img138.jpg
世界の人びとはどのように死と向き合い、その死を受け入れているのか。〈“死に至る病”を公表して、人生の成就に向かったミッテラン前フランス大統領の看取り、登山家をなお前へ進ませた臨死体験、戦争や内乱で虐殺の地となったカンボジア、韓国の島[済州]、ルワンダの人びとの集団的記憶、連続殺人者の父が心の謎を語り、被害者の家族が死刑執行を見つめる米国、貧困や災害が波のように人びとを襲い、打ち砕くアジア、南米──〉焦点が拡散し、印象がひとつにまとまらない。はいりこめなかった。

nice!(5)  コメント(0) 

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント