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吉野晩秋──栗田勇『芭蕉』から(12) [芭蕉]

 芭蕉最初の紀行文といえる『野ざらし紀行』の旅で、かれが当初からめざしたのはふるさと伊賀上野と吉野の西行庵だった、と栗田は記している。
 貞享元年(1684)9月半ば、芭蕉は同行した門人、千里(ちり)の里、大和竹ノ内村を訪れたあと、ひとり吉野に向かった。
『野ざらし紀行』には、こうつづられている(現代語訳)。

〈ひとり吉野の奥にやってきたが、じつに山が深い。白雲が峰に重なり、烟雨(えんう)が谷をおおう。山人の家がところどころちいさく見え、西で木を伐(き)る音が東に響き、寺々の鐘の音が心の底に伝わってくる。昔からこの山にはいって、世を忘れた人の多くは、詩にのがれ、歌に隠れたものだ。吉野はまさに唐土(もろこし)の廬山に匹敵するといってもよいだろう。
ある坊に一夜を借りた。そのときの句。

  碪(きぬた)打ちて我に聞かせよや坊が妻〉

 とくに注をいれる必要はないだろう。いれるとすれば中国の廬山くらいなものか。廬山は江西省の北端にあり、標高1474メートル。「山上には奇岩秀峰が林立し、山麓の湖水とあいまって美しい景観を持つ」と栗田はいう。「脱俗隠栖の地として名高い」とも。
 吉野を日本の廬山だとするのは、当時の国際感覚の広がりを想像させておもしろい。ぼくなどは中国共産党の廬山会議を思いだしてしまうが……。
 ところで、芭蕉は吉野が世を忘れた人の多くが、詩にのがれ、歌に隠れた山だと書いているが、これはホームレスの隠士をめざしたいかにも芭蕉らしいとらえ方で、栗田自身は「『花の吉野』は、特殊な伝統のある場所であったことも忘れてはならない」と付記している。
 それは万葉集、人麻呂の呪歌(じゅか)にもみられるように、吉野には霊性が宿っているということなのである。
 ちなみに、持統天皇(645-703、在位690-697)は、前後31回にわたって吉野に行幸したという。文芸評論家の山本健吉は、吉野は禊(みそ)ぎの場所であり、「その禊ぎには、若やぐ霊力によって変若(おち)かへることができるといふ信仰があつた」と論じているとか。
 たしょう生々しい話をすると、吉野は反攻の拠点ともなった。壬申の乱のときの大海人皇子(のちの天武天皇)しかり、源平合戦のときの源義経しかり、建武中興の後醍醐天皇しかり、ということになる。
 吉野はよみがえりの地なのだ。千本桜はそれを象徴する存在だった。

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[桜の吉野。2013年4月に訪れたときの写真。]

 そして、吉野は何よりも聖地だった。だが、芭蕉にまつりごとの話は似合わない。むしろ、この地に庵をかまえた西行(1118-90)の跡をたずねることが、旅の目的だった。
 芭蕉は吉野の宿坊に宿をとった。栗田によると、吉野には喜蔵院、南陽院といった妻帯の僧侶が営む宿坊があったという。
 だからこそ、「碪(きぬた)打ちて我に聞かせよや坊が妻」の句がでてくるのである。
 碪とは洗った衣を打って柔らかくしたり、皺を伸ばしたりする道具。打つと音が聞こえてくる。砧とも書く。
 解説によると、このとき芭蕉の脳裏に浮かんでいたのは、世阿弥の能『砧』だったという。
 栗田はこう評する。

〈芭蕉が耳にしたのは、現実の砧の音ではない。詩的幻想に他ならない。和歌的叙情に対する芭蕉の俳諧としての新しい立場がある。現実の「坊が妻」を能のシテとして見、自己をワキ僧と観じることは、日常を超脱した風狂の立場である。〉

 芭蕉はきぬたの音を聞いたわけではない。この吉野の地で、坊さんの奥さんが洗いものをきぬたで打って、その音を聞かせてくれたら、なんとも風雅なのにと想像したのである。どことなく、おかしみもある。
 翌日、芭蕉は西行庵に向かった(現代語訳)。

〈西行上人の草庵跡は、奥の院から右に2町[約200メートル]ほど分け入り、山人しか通わない細い道を通り、険しい谷を下った場所にある。何とも尊い。とくとくと湧いている清水は昔から変わらないとみえ、いまもとくとくと雫(しずく)が落ちている。

  露とくとく試みに浮世すすがばや〉

 西行庵はいまも残っている。われわれ夫婦が2013年に吉野を訪れたときは水分(みまくり)神社までたどりついたものの、その奥にまで行く元気がなかった。いまからすれば惜しいことをしたものである。

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[西行庵。吉野町公式ホームページより]

 西行庵脇の清水は、いまも湧いており、「苔清水」と名づけられているようだ。
 観光客の多いいまとちがって、芭蕉が訪れたころは、さぞかし深山幽谷の趣だったにちがいない。
 芭蕉の句はくどくどしく説明するまでもない。とくとくと湧いてくる清水で、浮き世の塵をすすいでみたいものだと歌う。
 人の身も心もさわやかにする吉野は、やはりよみがえりの地にちがいなかった。人とは挫折をくり返しながら、また立ちあがり、ふたたび歩きだす存在なのだ。

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