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眠る本たち その7 [眠る本たち]

本の整理、なかなか進まない。目を通すだけでも。

(35)ローラ・インガルス・ワイルダー『大草原の小さな町』(鈴木哲子訳)1987年[1957年初版]、岩波書店[岩波少年文庫]
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昔、『大草原の小さな家』というテレビドラマを一家でよくみていた。NHKで放送されたのは1975年から82年にかけてのことだという。毎週土曜夕方6時からの放映だったという。長女は1975年生まれだから、再放送を見たのかもしれない。あのころはアメリカのドラマがいまよりもずっと多くテレビで流されていた。この番組は1870年代から80年代にかけての西部開拓時代のアメリカが舞台。原作はローラ・インガルス・ワイルダーの自叙伝で、その1冊がこの『大草原の小さな町』だ。ローラ役の少女がかわいかった。父さん、母さんもかっこよかった。

(36)入江隆則『文明論の現在』2003年、多摩川大学出版部
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カバー裏の案内に「保守派の論客が、文明論的状況からアメリカとは何か、激動するアジア、ナショナリズムについて、あるいは太平洋文明論など縦横に論じ、存亡の危機に立つ日本の進むべき路を考える」とある。著者いわく。「アメリカは今日世界で唯一の覇権国であって、世界の幸不幸は、この国の動静に懸かっているところが大きい。世俗的なものに形を変えて生き続けるその宗教的情熱と、独立戦争以来培われてきた矜持とが、独善的な方向に向かうと、世界全体の不幸になる。したがってそれをどうコントロールするかに、知恵をしぼらねばならない時期が来ていると思う」。著者は日本こそがアメリカをコントロールすべきだと訴えるのだが、現状は日本がますますアメリカの言いなりになっている。そこが悲しいところだ。

(37)皆川博子『死の泉』1997年、早川書房
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ナチスは金髪で青い目のアーリア人を増やすため、未婚女性の出産を支援するレーベンボルン(命の泉)という施設をつくった。ここには生まれてくる子どもだけではなく、さらわれてきた子どもも収容された。その多くがポーランド人だった。この小説はレーベンボルンを舞台にしたミステリー。レーベンボルンに収容されたポーランド人がナチス時代をふり返ってつづった手記を昔、編集したことがある。そのとき訳者から紹介されて買ったのだと思う。ポーランド語の原著タイトルは「ヤンチャルの学校」で、何のことかよくわからない、と訳者はいっていた。あとで、それはトルコでいうイェニチェリのことだと知った。

(38)長沢和俊『シルクロード・幻の王国』1980年[初版は1976年]、日本放送出版協会[NHKブックスジュニア]
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たぶんこれはシルクロードに行きたがっていた義父が買った本だ。このころ義父は心筋梗塞で倒れ、5年後に亡くなったから、シルクロードには行けなかった。中央アジア探検の歴史、シルクロードの町、それに砂漠に消えたローラン王国のことがつづられている。あのころNHKテレビでもシルクロードの大型企画番組が放映されていた。

(39)中山俊明『紀子妃の右手──[お髪直し]写真事件』1992年、情報センター出版局
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著者は将来を嘱望される共同通信の写真記者として、1988年に宮内庁嘱託カメラマンとなった。90年の秋篠宮結婚にさいして、偶然、紀子妃が右手で秋篠宮の髪を直そうとする一瞬を撮影した。宮内庁はこの写真を差し止めようとしたが、新聞はそれを掲載した。そのときから記者は非難の嵐にさらされ、ついには退社の道を選ぶ。皇室報道にはまだまだタブーがある。

(40)石山永一郞『フィリピン出稼ぎ労働者──夢を追い日本に生きて』1989年、柘植書房
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共同通信元マニラ支局長によるルポ。フィリピンから日本に出稼ぎにきた男たち、女たちを名古屋の栄、横浜の寿町、東京の六本木、沖縄の金武、そしてフィリピン・マニラで取材する。〈日本が真に国際化をするということは、日本社会が豊かな多様性を持つことであると私は思っている。多様な価値観を受け入れる社会の柔軟性を育み、少数者の痛みや悲しみへの想像力を増すことが本当の意味での国際化には不可欠である。〉フリーになった著者のこれからの活躍が注目される。

(41)西園寺一晃『青春の北京──北京留学の十年』1971年、中央公論社
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1958年から67年までの10年間、著者は北京で過ごした。15歳から25歳にかけての青春時代である。文革時代を含むその時代を、自らの思い出とともに描いたのが本書。あのころ文革は日本では何かあこがれをもって見られていた。ぼく自身は文革に幻想をいだいていなかった。文革は中国共産党のプロパガンダに彩られて、日本に伝えられていた。その実態を知る日本人は少なかったのだ。

(42)本多勝一『極限の民族』1971年[初版は1967年]、朝日新聞社
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カナダ・エスキモー、ニューギニア高地人、アラビア遊牧民のルポ。取材したのは1963年から65年にかけて。朝日新聞に連載された。本多勝一はその後、南ベトナムや中国も取材している。朝日の看板記者だった。その分、いまは風当たりが強い。でも、この探検ものは読みはじめると、意外とおもしろい。

(43)笹倉明『ニッポン流学』1991年、文藝春秋
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直木賞作家、待望の第一エッセイ集、とある。「揺れ動くニッポンの日常から、自作や隣人、そしてアジア世界に向けられた著者の深いまなざし」とある。高校時代の友人だ。いまはタイで僧侶の修行をしていると聞いた。久しぶりにゆっくり話したいものだ。

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krause

青春の北京は、中学生の頃、70年代に読みました。知識も情報もない田舎の中学生の私には、文革は輝いて見えました。
by krause (2017-11-08 06:39) 

だいだらぼっち

krauseさん。いつもお読みいただき、ありがとうございます。ふり返ってみれば、あのころも激動の時代でしたね。ぼけかかっている私ですが、今後ともよろしくお願いします。
by だいだらぼっち (2017-11-17 06:54) 

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