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ホブズボーム『いかに世界を変革するか』を読む(1) [本]

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 エリック・ホブズボーム(1917-2012)はイギリスの著名なマルクス主義史家で、多くの著書を残した。なかでも「長い19世紀」三部作(『革命の時代』[日本でのタイトルは『市民革命と産業革命』]、『資本の時代』、『帝国の時代』)と『20世紀の歴史──極端の時代』がよく知られている。本書はかれが95歳で亡くなる1年前に上梓された大著だ。
 サブタイトルに「マルクスとマルクス主義の200年」とある。マルクスは1818年にモーゼル川に面するドイツのトーリアで生まれた。来年は生誕200年になる。おそらくマルクスほど歴史に大きな影響を与えた知識人は、そうざらにはいないだろう。その思想は現在もさまざまなかたちで引き継がれている。
 マルクス以後の200年をどうとらえるかは歴史家の腕の見せ所である。といっても、本書は1956年から2009年までのあいだの著作や講演を集大成したもので、包括的なマルクス主義史としてはムラがあるかもしれない。『資本論』そのものについては言及されていないし、ソ連や東欧、中国でおこった現実についても具体的な記述は少ない。それでも、マルクスとマルクス主義にたいする、史家としての思い入れが深い本だといってもよい。
 全部で16章、日本語版の本文だけで、軽く500ページを超える大著である。しかも、学術的な記述にわたる部分も少なくない。この本を読むのは、ぼくのような素人には、はっきりいって骨が折れる。どうしても読者は専門の研究者に片寄るだろう。
 ところで、この本を紹介する前に、ぼく自身について述べておくと、ぼくがマルクスを読んだのは大学時代だけである。それも学問的な訓練を受けたわけではなく、一知半解レベルにとどまる。そのあとは長いサラリーマン時代で、苦しくも楽しい会社員生活を送り、定年になってから、またマルクス関係の解説書を読むようになった。
 資本主義もいろいろ問題はあるけれど、社会主義はひどい体制だと思っている。政党支持でいえば、無党派層に属する。政治は嫌いだ。だから、とてもマルクス主義者とはいえないだろう。それでもマルクスにはひかれる。マルクスは天才だと感じている。そんなうすぼんやりのぼくに、はたしてこの本の内容が理解できるだろうか。
 そんな思いをいだきながら、本書を読みはじめた。最初のページから最後のページまで気合いをいれて読むのはくたびれるので──最近は歳のせいで、本をめくりはじめると、たちまち頭に霧がかかって、睡魔に襲われてしまうのだ──おもしろそうな章を気の向くままに飛ばし読みすることにした。ブログに読書メモを残すのは、いつもいうようにボケ防止というより、少し前のことをすぐ忘れてしまうからだ。困ったものです。
 さて、第1章の「現代のマルクス」は2006年の講演を書きなおしたもので、マルクスとマルクス主義にたいする著者のとらえ方を示しているため、これをはずすわけにはいかないだろう。そのあとはいきなり飛ばして第14章の「マルクス主義の影響力──1945〜1983年」を読むつもりでいる。
 きょうはまず「現代のマルクス」を読む。
 マルクスがロンドンで亡くなったのは1883年のことだ。第14章で区切りとして示されている1983年は、マルクス死後100年にあたる。
 ホブズボームはマルクスが失意のうちに死んだわけではなかったと書いている。「彼はその生涯のなかば以上を亡命者として過ごしたイギリスで、政治においても知的生活においても、目立った地位を占めることがなかった」。しかし、その影響力は生前から少しずつ広がりはじめていた。
 マルクス死後70年のうちに、人類の3分の1が、マルクス主義を継承する共産党の体制下で暮らすようになっていた。その割合はソ連共産党の解体によって、現在は20%ほどに減るが、それにしても、これほど大きな影響を与えた思想家はほかにいない、と著者は書いている。
 古いレーニン主義(スターリン主義)的体制はソ連崩壊によって放棄された。逆に生のマルクス自体が見直されようとしているのが現在の状況だ、と著者はいう。たとえば『共産党宣言』は、現代のグローバル世界を予言していた。ジョージ・ソロスがマルクスを高く評価していることも、よく知られている。2008年のまさかの恐慌は、マルクスをよみがえらせる、ひとつのきっかけとなったという。
 20世紀になって、マルクスの思想は社会民主主義と(ソ連型)社会主義に分裂した。それはマルクス死後のさまざまな解釈と修正にもとづいている。マルクス自身は、そのどちらを唱えたわけでもなかった。
 マルクスは生産力の面で、社会主義が資本主義にまさると主張したことは一度もない。ただ、資本主義のもたらす周期的恐慌が、資本主義とは異なる体制の模索をうながすだろうと想定したにとどまる、と著者はいう。
 著者によれば、社会主義経済のプロジェクト、すなわち「無市場・国有・指令経済」を原理とする中央計画経済の考え方は、すこしもマルクス的ではなく、それは失敗に終わるのが、目に見えていた。マルクスは「生産手段の共同所有」を示唆していただけで、計画化については、何も語っていなかった。
 いっぽう、社会民主主義はマルクスの考え方を修正し、混合経済による資本主義の修正を打ちだした。それは、国富の公平な分配に重きをおいた。だが、社会民主主義はマルクスが本来想定していた「本質的に非市場的な社会」とは、はるかにことなるものだった、と著者はいう。
 さらに著者は、最近の「新自由主義」にも触れている。新自由主義とは「自由放任原理の病理学的退廃を経済的現実に転化させようとする企て」であり、いわばアダム・スミス流の考え方を悪用するものである。新自由主義は、国家は市場の規制から手を引くべきだと主張するどころではない。ぼくにいわせれば、それは、むしろ、国家の存在意義を市場主義の後押しに求める考え方だといってよいだろう。
 著者はあくまでもマルクス本来の立場を継承しようとする。

〈マルクスは、3つの点で巨大な力をもっていた。経済思想家として、歴史思想家として、分析者として、社会についての近代的思考の公認の創始者として(デュルケームとマックス・ウェーバーとともに)である。……間違いなく現代への関わりを決して失わないのは、資本主義は人間の経済生活の限られた一時期の様式だというマルクスの資本主義像と、絶えず拡大し集中し恐慌を生み、自己変容していく資本主義の運動様式についての彼の分析である。〉

 著者は「マルクスに立ち返る」ことを提唱する。
 いまやソヴィエト型モデルは消滅し、市場原理主義が世界をおおっている。そのいっぽうで、世界じゅうで富の格差が広がり、自然環境の破壊が深刻化している。
 マルクスの予言がいくつもはずれたことを著者も認めている。それでも21世紀を考えるうえで、マルクスに立ち返ることは有効だと主張する。
 ノーベル経済学賞受賞者のジョン・ヒックスはこういっていたそうだ。

〈歴史の全体の流れを見分けようとするたいていの人々にとっては、マルクス主義の範疇か、あるいはそれを少し修正したものを使うのがいいだろう。なぜなら、それに代わるものがなかなか手にはいらないからだ。〉

 本書はマルクス以降200年の歴史をふり返りながら、マルクスの思考法がいまもどれだけの意義をもっているかを確認するこころみだともいえる。

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