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グラムシをめぐって──ホブズボーム『いかに世界を変革するか』を読む(4) [本]

 前回はホブズボームへの批判を記したが、今回はかれのグラムシ論をみておこう。
 アントニオ・グラムシ(1891-1937)はイタリアのサルデーニャ生まれ、生後まもなく背中にこぶができて身体不自由のまま育った。苦学して1911年にトリノ大学に入学、1913年に社会党員となり、まもなく社会党機関誌『前進』(編集長はムッソリーニ)の編集にたずさわる。1919年、トリアッティらとともに週刊紙『オルディネ・ヌオーヴォ(新秩序)』を発行、トリノの労働運動に積極的にかかわった。1921年、イタリア共産党の結成に参加、中央委員に。1922年から23年までモスクワに滞在。1924年、イタリア共産党書記長となり、下院議員に当選、ファシストとの対決姿勢を鮮明にするが、1926年に逮捕され、20年の禁固刑判決を受けたものの、獄中で思索を重ね、33冊のノートをつづった。1937年4月に釈放されたが、その直後に脳溢血で死亡した。
 ざっと略歴を記したが、こういう人物である。日本でもグラムシの著作が翻訳されているようだが、不勉強なぼくは読んでいない。
 ポール・ジョンソンは『現代史』でグラムシのことを皮肉っている。

〈……[グラムシの]知的背景はムッソリーニとまったく同じだった。マルクス主義、ソレル[『暴力論』の著者]、サンディカリズム。歴史的決定論を認めず、主意説を強調し、歴史を進める力を闘争と暴力に求め、加えてマキアヴェリ式実用主義者だった。グラムシはムッソリーニよりずっと独創性をもっていたが、ムッソリーニの沈着と自信を欠いていた。……自分が指導者に適しているとは思えなかったので、マキアヴェリを読んで引きだしたのが、ムッソリーニのような個人としての君主ではなく、集団としての君主だった。「現代の君主、すなわち神話としての君主は実在の人間、すなわち具体的一個人ではあり得ない。それは一つの組織でなければならない」〉

 グラムシのいう「現代の君主」がイタリア共産党であることはいうまでもない。
 ほかに、ぼくの手元にある資料では、1976年にイタリア共産党の幹部だったジョルジョ・ナポリターノ(のち2006-15年、イタリア大統領)が本書の著者でもあるホブズボームのインタビューに答えた新書がある(『イタリア共産党との対話』)。グラムシについて、こう語っている。

〈ええ、グラムシの教えた精神がわれわれを導いているのです。……グラムシほどりっぱに労働者階級の革命的役割についての建設的なヴィジョンを言い表した人はいないのです。それはすなわち、生産および経営管理の場所自体で、代わるべき対案をしめすのが労働運動にとっては必要だということなどがそれです。1924年にグラムシは、国家を掌握するということは、なによりもまず、労働者階級とその運動にとって、国の生産力の指導において資本家を上回る能力をもつことを意味すると書いています。これをグラムシは、労働者階級のヘゲモニーのための、それが新しい指導階級として確認されるための対決および闘争の基本的な土台だと考えているのです。〉

 残念ながら、ぼくはグラムシについて、この程度の知識しかもっていない。
 要するに、グラムシはイタリア共産党の理論的支柱であって、ファシズムと戦い、マキアヴェリやソレル、クローチェにもとづき、すぐれた政治的考察をくり広げ、労働者の革命的役割について新たなヴィジョンを打ちだした人物といってよいだろう。
 グラムシはイタリア共産党内部では早くから知られていたが、かれが国際的に名声を得るようになるのは、その著作が整理され刊行されるようになった1970年代からだ、とホブズボーム(以下、著者と表記)は書いている。
 そこで、本書を読んでみることにしよう。難解なので、よく理解できない部分もあるが、以下はぼくなりのまとめと感想にすぎない。
 まず、著者は、思想家の評価はその時代の歴史的政治的文脈を抜きにしては語れないと述べ、次のようにイタリアの特性を列記している。

(1)「イタリアは、一国のうちに大都市と植民地、先進地域と後進地域の双方を含んでいるがゆえに、世界資本主義のいわばミクロ宇宙であった」
(2)「イタリアの労働運動は、工業的であると同時に農業的であること、つまりプロレタリア的であると同時に、農業労働者に基礎をおいていた」
(3)「イタリアの国家統一は、一部は上から──カヴールによって──達成され、一部は下から──ガリバルディによって──達成された」。そのためイタリアの革命は未完成であり、一体感のある「イタリア国民」は形成されなかった。
(4)イタリアはカトリックの国である。カトリックの教会が、いわばイタリアという国の制度になっている。
(5)「イタリアは政治的経験の一種の実験室だった」。1917年以降、イタリアには革命の条件が整っているかにみえたが、実際はファシズムが権力の座についた。

 グラムシはこれらイタリアの特性や、みずからの党の挫折を踏まえて、マルクス主義政治理論を根本から練りなおさねばならなかった。これらの作業は獄中でなされた。
 グラムシにとって重要なのは政治戦略だった。加えて、社会主義社会をいかに構想するかというテーマが課されていた。
「彼にとり政治とは、社会主義を勝ち取るための戦略の核であるだけではなく、社会主義それ自体の核でもある」と、著者は書いている。
 その政治のあり方を、グラムシはマキアヴェリ(もっと正確に表記するとマキァヴェッリ)から学んだ。政治は単なる経済の上部構造ではなく、それ自体が自律的な活動なのだ。
 グラムシのつくった用語で、現在、多くの人に知られている「ヘゲモニー」ということばがある。
 グラムシによると、国家は政治機構だけでつくられているわけではない。市民社会とのバランスによって成り立っているのだ。社会は企業や組合、教会、学校など個別団体のヘゲモニー(権力、権威、指導力)によって組織され、動いている。もちろん、政治機構そのものにもヘゲモニーが形成される。つまり、政治機構は市民社会のヘゲモニーを統合しながら、それ自体、ひとつのヘゲモニーとして国全体を動かしていることがわかる。
 ファシズムとは、戦争を目的とする国家の全体意志のもとに、市民社会のヘゲモニーすべて、つまりは各ヘゲモニーに包摂されるすべての個人を国家に従属させる体制を指すといってよい。
 いっぽうのグラムシにとって、社会主義とは政治機構(狭い意味での国家)と市民社会のヘゲモニーを労働者が握る運動を意味していた。その道は容易ではなく、知謀と教育、訓練を必要とした。武力革命はできるかぎり避けるべきだった。
 知識人によって形成される党は、労働者階級を代表して、「現代の君主」となるために、政治の局面において国を導く指導力を発揮しなければならない。その戦いは、武力による正面攻撃のかたちをとるのではなく、長い「陣地戦」になるとグラムシは考えていた。
「グラムシの戦略の核心には、永続的に組織される階級運動がある」と著者はいう。とりわけ、党を担う革命家たちは、労働者階級を代表して、国民的にも国際的にも同意を得られるリーダーシップを発揮できるよう、たゆまず努力を重ねなければならない。
 グラムシは、社会主義とは、中央集権的な計画経済体制を意味するわけではないと考えていた。グラムシは単に物質的豊かさを備えた社会を創出しようとしたわけではない。重要なのは、市民社会において、労働者階級が、従属的(サバルタン)階級からヘゲモニー的階級に移行するため、力をつけていくことである。労働者はこれまでの「経済的─同業組合的」組織に甘んじることなく、ひとつの信頼に足る存在として、市民社会のさまざまな分野でヘゲモニーを握るよう努めねばならない。それにより、これまでの市民社会の支配─従属関係を変えていくというのが、グラムシの社会主義だった。
 グラムシは党と大衆運動との有機的な関連を強調している。グラムシにとって、社会主義の目的は、労働者を搾取から解放し、「社会を自由な人間たちからなる現実の共同体として構成する」ことにほかならなかった、と著者はいう。
 こうしたグラムシの考え方は、ファシズムやスターリニズムと、だいぶことなっている。人民大衆が政治過程から排除され、党の決定や命令に黙々と従うといった構図はまったく考えられていなかった。国民は公共的な問題に幅広く関心をもち、自由に意見を表明するいっぽう、党は国民の意見をとりいれ、国民の信頼を得るに足る政治的指導力を発揮することが求められていた。
 グラムシの考え方を著者は高く評価していた。そして、イタリア共産党を支えていたのも、こうしたグラムシの考え方だったにちがいない。だが、ソ連邦解体を受けて、1991年にはイタリア共産党も解党を余儀なくされている。そこには社会主義にたいする失望があった。なぜソ連型だけではなく、イタリア型の社会主義(グラムシ主義)も見捨てられたのか。そのことを深く考えてみる必要がある。ホブズボームと意見が異なるのは、そこのところだ。

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