SSブログ

地代と地価──マーシャル『経済学原理』を読む(15) [経済学]

 近代商品世界の特徴は、市場を通じて商品が貨幣によって売買されることである。市場の場所はかならずしも固定されているわけではない。商品のあるところ、商品の流れにおうじて現れ、消えていくものだ。いってみれば、商品のある場所が市場だといってもよい。
 とりわけ重要な現象は、商品世界においては、人間の能力(知力、労働力、サービス活動)と土地が商品の構造に組みこまれ(商品化され)、ランク分けされ、価値づけられていくことだといってよいだろう。人間能力も土地(自然)もほんらい商品たりえない存在である。商品化は、かならずしも搾取を意味するわけではないにせよ、商品世界においては、人間能力も土地(資源を含む)も、商品をつくる商品として機能するようになる。それを人材や労働力、農地や不動産、資源として評価し、商品の構造のなかに組みこんでいくことによって、商品世界は成り立っている。
 それはさておき、今回とりあげるのは、土地の問題である。土地からは地代が発生し、商品としての土地の価値は、地価によって表される。
 マーシャルはいちおう農村と都市を分けて考察しているが、かれが言いたいのは、リカード流の農地における差額地代論が、都市の地価にもそのまま延長して適用できるということである。
 農村においては、土地でつくられる農産物が売買されることによって、生産者の利潤と地主の取り分である地代が発生する。地主と生産者は同じ場合もあるが、20世紀初頭までイギリスではまだ大地主貴族やジェントリーの力が強く、大地主と借地農、農業労働者は分かれていたとみてよいだろう。
 最初に、農産物価格は一般の商品と同じく需要と供給の関係によって決まってくる、とマーシャルは述べている。需要を規制するのは、消費者人口と、人びとの欲求の度合い、そして支払い能力である。いっぽう供給を規制するのは、利用可能な土地の広さと肥沃度、耕作者の数と資力、生産費用である。もちろん、天候や災害は農産物の収穫に大きな影響をもたらす。
 ここでマーシャルは、何らかの事情(たとえば戦争)で、農産物の増産が必要になった場合を想定する。そのときはさらに化学肥料を投入したり、砕土機を導入したり、耕作者を増やしたりして、資本と労働が追加投入され、それによって収穫量の増加がこころみられるだろう。
 追加所得が得られるかぎり、投資は引きつづきなされるし、追加所得が得られなくなれば、投資はストップする。収穫逓減の法則がはたらくと考えてよい。したがって、農産物の供給価格は、限界生産経費(費用)によって規制されるということができる。追加費用によって生みだされる純所得は、じゅうぶんな正常利潤をもたらすものでなければならない。その正常利潤が得られなくなれば、追加投資はなされない。その正常利潤を、マーシャルは「準地代」と名づけている。
「資本および労働の収益性をともなう投入の限界における生産費こそ、需要と供給の全般的な状態の規制のもとで、全生産物の価格がそれに向かってひきよせられていくところのものにほかならない」と、マーシャルはいう。だが、もちろん、限界生産費だけが価格を決定するわけではない。需要側の要因もあるからである。
 耕作の限界は、農作物にたいする需要と供給によって規制される。地代が生じるのは、土地の肥沃度や土地の条件、生産物の価格に応じてである。言い換えれば、地代が生じるのは、土地の状況のちがいによるといっていいだろう。しかし、農産物価格を決めるのは地代ではなく、地代はあくまでも結果として(いわば差額地代として)もたらされるとみるのが正当だ。にもかかわらず、地代は当初から設定されていることが多い。
 自由市場においては、土地から得られる収入は地代の性格をもっている。無限に利用できる土地があり、しかも肥沃度もその他の条件も変わりがないのであれば、地代は発生しない。だが、土地が稀少になってくる時点がかならずあらわれてくる。いい土地と悪い土地(あるいは開拓地と未開拓地)の区別もかならず出てくる。そこから地代が発生する。
「土地は個別の生産者の視角からみれば、資本のひとつの特殊な形態にほかならない」と、マーシャルは書いている。生産者にとっては、そこからどれだけの生産物が生みだされるかが問題なのだ。その点は、農業者も製造業者、流通業者もなんら変わりはない。
 土地はたとえ改良が可能だとしても、その面積にはかぎりがあり、いわば「永続的で固定的なストック」である。そこからは、豊かな土地と貧しい土地、市場に近い土地と市場から遠い土地の区別が生じてくる。
 いま農産物に課税がなされると仮定しよう。その影響は消費者にとどまらず、生産者にもおよぶ。しかし、課税による影響は、市場に遠い貧しい土地と、市場に近い豊かな土地とではことなってくる。その打撃は遠方で貧しい土地の生産者のほうが大きい、とマーシャルは論じている。
 土地の所有者が地主であれば、農産物にたいする課税の影響は地代にもおよんでくる。地代そのものへの課税は、農産物価格に影響をおよぼさないが、地代に重い税が課されることになれば、土地所有者は土地改良への意欲を失っていくだろう、とマーシャルは弁ずる。
 次にマーシャルは同じ畑にホップとカラスムギが植えられている場合を想定して、ホップに課税がなされる場合、どのような事態が生じるかを推察している。農業者は税負担を軽減するために、おそらくホップの作付けを減らして、カラスムギを多く栽培しようとするだろう。しかし、ホップへの課税にともなってホップの収穫が減り、それにたいしてビール需要がさほど減らないとすれば、ホップの価格自体が上昇していくことになる。そうなると、ホップの減産に歯止めがかかり、作付面積は回復していくはずだ。
 人が常に必要とする農産物にしても、需給の変化によって、商品の動きは絶え間なく変わっていく。新しい作物が登場して、作物への需要が変化すれば、作付面積にも影響があらわれ、それにより作物の供給が調整されていく。そのプロセスをマーシャルはことこまかに説明している。
 地代は農地においてのみ発生するわけではない。
 農地では、資本と労働の追加投入にたいし、徐々に収穫が増えていかなくなるという「収穫逓減の法則」がはたらく。にもかかわらず、「耕作者は生産物を販売するよい市場と必需品を購入するよい市場とをもつことによって、いっそう高く売りいっそう安く買うことができ、社会生活の便益とたのしみにいっそうめぐまれるようになる」。それは「外部経済」(この場合は都市に近いという)がはたらくためだ、とマーシャルはいう。
「外部経済」は場所の有利性でもある。そこから場所価値が発生し、地価が生まれる。地価とは「建築用地の敷地価額」のことである。マーシャル流のもったいぶった言い方をするなら、「ある建築用地の敷地価額の集計額は、建造物をとりのぞいてその用地を自由市場で売れば取得しえたであろう地価を示すものにほかならない」ということになる。
 地価の大半は「公共的価値」によってはかられる。公共的価値といっても、役所が地価を決めるというわけではない。ほとんどだれもがここは高いと思う地所が高くなり、ここは安いと思う地所が安くなるといった意味合いである。
 ここでマーシャルは、企業が地方で新都市を開発するケースを持ちだしている。企業はその場所がいずれ高い場所価値をもつと見越して投資をおこなう。そこには工場なり商店なり住宅なりが立つことが見込まれており、企業は危険をともなう投資にみあう純収益を期待している。その純収益は土地から得られる所得といってよいだろう。
 だが、新都市の開発でなくても、何らかの事業投資が、既存の土地価格を上昇させることもある、とマーシャルはいう。たとえば、近くに新たな鉄道駅がつくられるとか、排水設備が改良されるとかいったことが、地価を上昇させるのだ。発展しつつある都市の近郊に広がる土地が、整備された住宅地として開発される場合も、その場所が公共的価値をもつようになると、地価が上昇して、元の地主と開発者には大きな報酬がもたらされることになる。
 住宅の賃貸費には、住宅建設費と地代が含まれている。住宅と土地の所有者は、そこに投資された費用を何十年かかけて回収し、収益を得ることになる。
 建築業の場合も農業と同じように、これ以上、資本と労働を追加投入しても収益が減少するという限界面が存在する。しかし、敷地が稀少価値をもっている場合は、敷地の拡張に追加用地費をかけるよりも、その場所での建築投資を増やしたほうがよいこともある、とマーシャルは述べている。
 ここでマーシャルが想定しているのは、稀少な土地にいわば高層マンションを建てようという場合である。用地費は節約できるだろう。しかし、高層マンションへの投資限界を定めるものは「需要供給の価値を規制する力のはたらき」にほかならない。はたして、建設コストに見合う需要があるかどうかが問題になってくる。
 ホテルや工場を建てる場合は、「地価が安ければ多くの土地を使うが、地価が高ければ土地は少なくし高層の建物をたてようとする」。そこでは、土地と建築にかける費用の組み合わせが選択されることになる。
 市街地の店舗やマンションにたいする需要が増大していくなら、地価が上昇しても、それはじゅうぶん見合うようになる。逆に、その場所に工場を構えていた製造業者が、地代の上昇で生産経費の負担が大きくなれば、それに耐えかねて、工場をいなかに移転するケースも発生するかもしれない。
 土地にたいする産業用の需要は、農業の場合と変わらない。地代が高くなって生産経費が上がり、需要に応じた価格では生産経費が回収できなくなれば、企業も農業者も、価格が高くても売れる新しい製品を開発するか、別の場所に移転するほかない。
 いずれの場合も、土地需要が上昇することで、収益を実現できる限界が移動することになる。この限界費用が地価の上昇を左右する要因になっていく、とマーシャルは考えている。
 市街地の便利な場所にあり、高い賃借料を払わなければならない店舗では、せまいスペースでも少ない売上高で高い収益率が得られるような高額商品が並べられる。これにたいし、多少不便な場所にあっても、安い賃借料で広いスペースが確保できる店では、低い価格で収益率が低くても数多く売れるような商品が並べられるだろう。いずれにせよ、商品とその価格にくらべて、より多くの顧客をつかむことができなければ、商店は生き残ることができない。そして、地価が上昇していくと、店舗用地が不足し、一般に店舗ではより高い価格の商品が扱われていくようになる、とマーシャルはいう。
 こんなふうに、マーシャルは農業や産業、商業と地代、地価の関係をことこまかに論じている。だが、これで地価の経済学が論じ尽くされたとは、だれも思わないだろう。とくに土地バブルとその崩壊をまのあたりにしたわれわれからすれば、地価の経済学はさらに掘り下げられるべきテーマなのである。

nice!(8)  コメント(0) 

nice! 8

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント