SSブログ

『遅刻してくれて、ありがとう』を読む(4) [本]

 日本語版はここから下巻にはいる。第3部「イノベーティング」の途中、第9章「制御対混沌」以降を読んでいる。例によって、雑なダイジェストをつづけている。
 ポスト冷戦後の世界は制御された世界と混沌とした世界に分裂している、と著者はいう。冷戦後はアメリカの経済・政治システムが勝利を収めると思われていた。だが、アメリカは次第にパワーと自信を失い、アメリカ、ロシア、中国が競いあう時代がふたたびやってきた。ナショナリズムの勢いが強まっている。EUにも亀裂が走り、日本は弱体化している。いっぽう、中東やアフリカでは、多くの弱い国々のコントロールがきかなくなり、混沌状態がおとずれている。
 ポスト冷戦後の世界は、ソ連の封じ込めさえ考えていればよかった冷戦時代とちがって、はるかにやっかいだ、と著者はいう。国家間の抗争や無統治空間にどう対応したらいいか、簡単に答えが出せないからだ。
 第2次世界大戦からベルリンの壁崩壊までは、経済的には平穏で安定した時期だった。だが、それも終わりを告げると、多くの発展途上国が無秩序におちいり、四方に難民を放出している。
 マダガスカルの荒廃は目をおおうばかりだ。シリアでは政治腐敗と干魃、貧困、内戦によって、多くの難民がでている。アフリカ中央部はさらに砂漠化が進み、セネガル、ニジェール、ナイジェリア、ガンビア、エリトリアなどから、人びとがわずかの希望を求めて、大量に流出している。そのなかにはボコハラムなどの聖戦主義者に加わる者もでている。こうした地域では、国家もコミュニティも崩壊しつつある。
「地球全体で現在、122人に1人が難民か、強制退去させられるか、庇護を求めている」と著者はいう。地球の人口が現在74億人だとすれば、その数は6000万以上、イタリアの全人口に匹敵するほどだ。
 崩壊した国を立て直すのは容易ではない。ソーシャル・ネットワークは連絡や抗議活動には向いているが、政治秩序の安定には寄与しない。むしろ、それが間違った情報やうわさ、ヘイトスピーチを広げ、社会の分裂を招くことも多い。
 現在のソーシャル・メデイアは「関与より拡散、討論よりも投稿、深淵な会話よりも浅薄なコメント」へと向かいがちだ。それだけではない。意見が一致する人びととだけコミュニケーションをとり、それ以外の人間を排除する傾向もある。
 ネットワーク世界は瞬間的で移ろいやすい。インターネットはあくまでも道具にすぎず、それ自体が安定した政治秩序を築くわけではない。
 スーパーノバ[クラウド状のコンピュータ・ネットワーク]は、人間の思考や行動を増幅する。だが、個人はその力を創造にだけでなく、破壊にも使うことができるのだ。「未来のテクノロジーと過去の敵意」が組み合わさると、予測もしなかった事態も生じうる。携帯電話付き爆弾やドローン爆弾、サイバー恐喝や詐欺は、すでに現実のものとなっている。
 一匹狼のテロリストも増えている。かれらをテロに走らせるのは、具体的な組織の命令ではなく、過激なウェブサイトから生じた衝動だ。それを抑止するのはむずかしい。「テロ組織は、ソーシャル・ネットワークを通じて不満分子の怒りを煽り、そのあとは離れてショーを見物する」。これにたいし、国家は対応しきれない。
 ほとんどコストがかからない政治的なサイバー攻撃も盛んになっている。アメリカ大統領選でロシアがヒラリー・クリントン候補に打撃を与えるために利用したのもこの方法だ。いっぽうロシアや中国ではメデイアが規制されているために、情報は行き渡らず、逆にネットで指導者を批判する政敵が暗殺されたり逮捕されたりしている。
 現在、世界の勢力均衡を理解するには、軍事力や経済力について知るだけではじゅうぶんではない。もはやアメリカは世界の重みを支えきれなくなっている。だからといって、無秩序の世界を制御しなければ、自分たちのところへ無秩序がやってくるだろう、と著者はいう。じっさい、ヨーロッパにはアフリカと中東から難民が押し寄せ、EUの吸収能力では対応しきれなくなっているのだ。
 では、どうすればよいのか。
 著者は、無秩序になりかかっている地域に「良識をはぐくむ拠点」を広げるために資金を投入すべきだと考えている。学校や大学に資金を投入すると同時に、奨学金制度を充実させること。それは軍事援助より、よほど意味があるという。
 さらには人びとの生活基盤を安定化させること。それには基礎教育、基礎的インフラ、農業基盤、統治(社会秩序安定)基盤をつくることが欠かせない。ビル・ゲイツがアフリカの貧しい地域に勧めるのは、まずニワトリを飼うことだ。それだけでも生活基盤は強化されるという。
 アフリカ版のマーシャル・プランを唱える学者もいる。村から1人を選抜して「グリーン部隊」をつくり、土と水を維持しながら植物を植える方法を教え、その植物を育てるための手間代として、ひと月200ドルの給料を払うというものだ。それによって緑の壁をつくり、サハラ砂漠から砂が押し寄せるのを食い止められるなら、気候変動への対応策にもなる。アフリカのどの村にも高速ワイヤレス・ブロードバンドを導入するという計画もある。
 国際政治のうえで、抑止力がいまだに重要なツールであることは認めざるをえない、と著者はいう。その象徴が核抑止力だが、抑止力はそれだけにとどまらない。冷戦が終わったとしても、ロシアや中国、その他の国々の野望が衰えたわけではない。
「アメリカはこの2超大国[ロシア、中国]を片手で抑止しながら、もう一方の手では、拡大する無秩序の世界と超強力な破壊者を封じ込めるために、2超大国の支援を求めなければならない」。アメリカは、いまそういうジレンマにおちいっている。
 だが、アメリカにはまだ力が残っている。自由、民主主義、自由市場、多元的共存、法の秩序といった価値観を支えることが、いままで以上に重要になっている、と著者は主張する。

 テクノロジーとグローバリゼーション、環境が関連して同時に変化する時代においては、これまでの前提が崩れてしまっている。もはや、並みのスキルで仕事をしていれば、ミドルクラスにはいれない。無数の移民を無前提に受け入れるのは無理になっている。さらに、都市といなかとの亀裂が深まっている。
「安定した多元的共存を実現する民主主義国が数多くある世界を維持するためには、政治イノベーションを加速の時代と組み合わさなければならない」と、著者はいう。
 そのなかでも、とりわけ著者が重視するのが、テクノロジーとグローバリゼーション(市場)が加速度的に変化するなかで、「母なる自然」から何を学ぶかということだ。
 たとえば、自己給水システム搭載のウォーターボトルは、ナミブ砂漠のカブトムシの生態をモデルにしている。
 自然には耐久力や復元力、修正力がある。多様性をはぐくみ、全体のバランスを維持し、共に繁栄する力がある。さらに「自然はあらゆる生息場所のために生物を進化させている」。自然はちいさな微生物からはじまって大きな動物まで、いくつものネットワークを織りなして、巨大な生態系をかたちづくっている。「さまざまな種は自分たちに最適の場所や生息場所で共進化する」。そこに管理者はいない、と著者はいう。
 だが、自然システムはけっして停滞していない。絶え間なく変化しながら、持続している。それに適応できないものは絶滅し、適応できるものだけが生き残る。だが、そこから新しい生命が生まれてくるのだ。
 生態系は健全な相互依存システムのうえになりたっている。この相互依存システムが破壊されると、森が消滅し、地球温暖化が進み、海面が上昇する。
 著者は人間の政治や文化も、こうした「母なる自然」から学ぶことが多いはずだと考えている。よそ者の強者に対応する能力、多様性を受け入れる能力、当事者としての責任を引き受ける能力、中心と部分のバランスを保つ能力、加速の時代に前向きに対応する能力、そうした能力はすべて自然から学べるものだという。
 そして、よき政治指導者は、現実を直視し変化をおこすよう人びとに訴えかけなければならない。その一例として、著者はネルソン・マンデラのケースを挙げている。マンデラは、それまでの文化を変え、黒人と白人のあいだの壁を崩し、たがいの信頼を強めることに成功した。
 よそ者の強者をかたくなに拒むのではなく、よそ者から学ぼうとする意欲が、政治や文化の方向性に大きなちがいをもたらす。著者はその成功例が19世紀後半の日本なのだという。「明治維新は、日本のレジリエンス[しなやかな強さ]を強めただけでなく、国力も強めた」。中国もまた長い屈辱の時代をへて、鄧小平の時代から世界にたいし門戸を開くようになった。ロシアはソ連崩壊後も、相変わらず過去の栄光にとらわれ、停滞におちいっている。アラブ世界はいまだに聖戦へのこだわりを捨てていない、と著者はいう。
 多様性を受け入れることが不可欠になっている。「多元的共存を実現した多元的社会は、政治的な安定を享受する」。実際にはむずかしいことかもしれないが、これはたしかに理想だろう。
 地理的な開放性と文化の多様性と許容力が、経済発展をうながす。多様性と許容力は社会を維持・発展させる原動力だ、と著者はいう。
 また当事者意識がないと、社会は荒廃していく。上からの命令がないと動かない社会は不健全だ。著者は「世界市場、レンタカーを洗車した人間は1人もいなかった」という警句をもちだす。ここには、まだおカネの倫理がはたらいている。しかし、人が自分たちの国、自分たちの町という意識をもたなくなれば、社会はたちまち荒廃していくだろう。
 中央と地方のバランスもだいじだという。著者は20世紀におきた権力の中央集中を地方分権に向けて逆転させなければいけないという。国全体の経済や安全保障、医療、税制、社会保障などは中央政府の仕事だ。しかし、コミュニティの行政は、当事者意識をもつ地方自治体が中心になり、市民の協力を得ておこなうべきだ、と著者は主張する。
 著者は、これから取り組むべき課題として次のようなものを挙げる。消費税を財源とする国民皆保険制度、低所得者層と子供をもつ家庭への減税、より開放的な自由貿易協定、賃金保険制度の拡充、高校の授業料免除、生涯学習の支援、光ファイバー網の拡大、インフラの更新、銃規制、法人税減税、炭素税・金融取引税の導入、キャピタルゲイン優遇税の廃止、ファストフードの過剰摂取への警告、規制の見直し、選挙制度の見直し、サイバー攻撃やテロへの対応強化、平和部隊の拡大、ジェンダー平等の促進、デジタル・イノヴェーションの加速、健全な民主主義の拡大・維持などなど。
 要するに「ダイナミックでハイブリッドな政治」を実現することが求められているという。それはイノベーションを促進し、セーフティ・ネットを拡充し、開放された世界をめざす政治だ。いままでのように古い考え方にいつまでも固執していたら、世界の激しい動きに適応できない、と著者はいう。

「現在の世界では、サイバースペースほど神が人間に選択の自由を与えている場所はない」と、著者は書いている。
 多くの人が1日のかなりの時間をサイバースペースに割くようになっている。「空想し、信じ、渇望する物事に基づいて行動することが、より速く、深く、安く、幅広くできるようになった」。まるで人間が神に近づいたかのようだ。
 サイバースペースは破壊も創造もできる世界だ。ここでは悪意と善意が行き交っている。スマホはたしかに便利だが、それが性犯罪を含め、さまざまな問題をもたらしているのも事実だ。神のいない領域であるサイバー世界と、わたしたちはどう向きあえばよいのか、と著者は問う。
 グローバルなフローの接続には、フェイクニュースや誹謗中傷、ハッキング、コンピュータ・ウイルス、詐欺などがつきものだ。そのため接続にさいしては、少し立ち止まって考えてみること、記事を信用できるかどうか判断すること、つまりフリクション(摩擦)をつけてみることが必要だ、と著者はいう。警察による注意喚起やサイト運営会社による管理もだいじだし、親が子供を守るガードも欠かせない。もちろん、なによりも個々人の倫理観を高めることが求められる。
 倫理の進化が必要になっている。ネット上でも健全なコミュニティを育てなければならない。そのためにはコミュニティを拡張すること。思いやりや愛、助けあいこそが、世界を分断や対立から救う唯一の道なのだ、と著者は述べている。

nice!(9)  コメント(0) 

nice! 9

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント