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滝村国家論をめぐって(まとめ1) [思想・哲学]

  1 はじめに

 国家とは何かと問われて、簡単に答えられる人はいるだろうか。
 滝村隆一(1944-2016)は、アカデミズムに属することなく、生涯をかけて国家とは何かを考えつづけた世界的政治学者である。その思索が『国家論大綱』第1巻としてまとまったのは2003年のことだ。第2巻の歴史編は2014年に出版されたものの未完に終わった。第3巻の思想編は構想だけで終わった。
 ここでは『国家論大綱』を中心に、滝村国家論の概要をごく簡単に示すことにする。膨大な学説批判については省略した。あくまでも、ぼくが理解できるかぎりでのメモにすぎない。
 大雑把にわけて、「大綱」第1巻は3つの部分と補論から成り立っている。3つの部分のうち、最初のふたつは序論と総説であり、あくまでもメインは一般的な国家を論じることに置かれている。第2巻の歴史編は残念ながら、断片的なものしか残されていないが、これについては、また後日、紹介することにしよう。

 (1)政治とは何か
 (2)権力とは何か
 (3)国家とは何か

 これが3つの部分で、きわめてシンプルな構成といえよう。
 それに補論として、ファシズム国家論、社会主義国家論、マルクス主義による国家死滅論の批判、国家連合(とりわけEU)の問題などが論じられている。

「はじめに」のなかで、滝村はこう述べている。

〈厳密な学的・理論的方法という点からみれば、〈世界史〉の学的思想において、ヘーゲルとマルクスのみが、社会科学の正当な学的方法、つまり社会的事象の学的・理論的解明を可能にする、唯一の学的方法を確立した。〉

 ヘーゲルとマルクスの方法だけが、国家を解明する唯一のカギだというわけだ。ホッブズのように個人を原子として分解し、その衝突や対立から、国家を構成的に論じるやり方はまちがっている、と滝村はみる。
 ただし、滝村がヘーゲルやマルクスの国家論を正しいとみているかというと、まったくそうではない。

〈ちなみにヘーゲルは、いまだ憲法さえもたぬ悪名高き、かのプロイセン専制国家を神聖化する、国家主義的な立場から脱却できなかった。マルクスは、すべての階級対立を廃絶する、プロレタリア独裁をテコにして、〈国家が消滅した共産主義社会〉が実現できる、と夢想した。〉

 要するに、政治思想的にはヘーゲルもマルクスもまちがっているというわけだ。にもかかわらず、ふたりの国家をとらえる方法は、西洋のほかの学者とはまったく異質、異端であり、「それはまさに、〈正当ゆえの「異端」〉といっていい」と評価している。
 こうしたアプローチは、滝村が国家とは何かを考察するさいに生かされることになる。
 ここで、本論にはいる前に、滝村の学問的な歩みをふり返っておこう。
 滝村が執筆活動を開始したのは、1967年ごろから。大学闘争はなやかなりし時代だった。
 このころ、滝村はマルクスやエンゲルスの著作を読みとおし、国家と国家権力が異なること、そして国家権力は第三権力であることを明らかにした。
 そのころはやっていたのは、国家とは暴力装置だというレーニン流の考え方だった。そこでは、国家と国家権力は区別されず、むやみやたらに国家が暴力と結びつけられていた。
 しかし、滝村はそうではないという。国家権力とは、さまざまな勢力が抗争をくり広げる社会の上に立って、いわば第三者(第三権力)として、社会を統制するものだ。そのことを滝村は明らかにした。
 さらに、国家がもっぱら社会を抑圧する装置とかんがえられていたのにたいして、滝村は〈共同体─即─国家〉論を提唱する。すなわち〈内的国家〉にたいする〈外的国家〉論である。
 国家は共同体の内部にたいしてだけ存在するのではなく、同時に共同体の外部にたいしても存在する。つまり、国家は外部の国家にたいする存在でもあることを明らかにした。
 その後、滝村は国家の歴史の考察へと移った。当時は、いわゆる唯物史観がまだはやっていた。つまり、人間社会は原始的、古代的、中世的、近代的な発展段階をへて、共産主義社会にいたるのが世界史的必然だと考えられていたのだ。これはマルクスのというより、マルクス主義の公式だった。
 もともとこの歴史観はヘーゲルに由来している。近代の国家はそれ以前の国家とはあきらかにちがうかたちをしている。ヘーゲルは、国家がさまざまな段階をへて、近代国家へと流れこんでいったととらえていた。すると、たとえば古代国家やアジア的国家は、どういうかたちをしていたのか。こうして滝村は、典型的な歴史国家の具体像を描くことに取り組むことになった。
 そうした研鑽のなかから、滝村はマルクス主義史観でいう、世界史的必然として国家なき共産主義社会がやってくるといった発想がいかにたあいないものだったかということに気づく。
 滝村はソ連や中国などの社会主義国家が、近代的な三権分立さえ実現していないことを厳しく批判する。三権分立なきプロレタリア独裁は、純粋な専制国家に行き着くしかない。
 こうして、それまで信条としていたマルクス主義を捨てた滝村は、歴史理論的作業をつづけながら、国家とは何かを明らかにするために、より高度な研究に向かっていくことになった。
 これまでのあらゆる国家学説に検証が加えられ、ウェーバーやラスウェルなども批判された。中途半端に西洋の学説を切り貼りしている丸山真男の政治学も、徹底して解体されていった。
 国家論が経済学とはことなる理論的構成を必要とすることに気づいた滝村は、こう書いている。

〈〈国家〉は、最初から、〈社会〉総体の統一的な政治的組織として、歴史的に出現した。〈国家〉と各種社会的権力との共通性は、組織的権力としての一般性という点にしかない。同じく社会的事象に対する学的解明といっても、経済学と政治学とでは、このような資本制社会と〈国家〉とのちがいから、その学的展開・構成方法もまた、大きくことなってくる。〉

 要するに国家の歴史は、資本主義の歴史よりはるかに長いということだ。その国家を歴史的、構造的に解明する作業が、資本主義を分析する経済学と根本的にことなることはいうまでもない。
 人類史において、長い歴史をもつ国家が、これからいったいどこに向かうのか。東アジアの一体化はありうるのか。はたして世界共和国は成立しうるのか。それらもまた、この著書から浮かび上がる大きな研究テーマといえるだろう。

   2 政治とは何か

 いざ、政治とは何かというと、なかなか答えるのがむずかしい。
 滝村のいうように、政治とは国家にかかわる事象(動きやできごと)だというのが、いちばんシンプルな規定だろう。
 したがって、政治の広がりは国家の広がりと重なってくる。
 国家といえば、まず外交、軍事、治安を考える。社会全体を管轄する政治機構が国家だとすれば、国家の範囲はますます大きくなってくる。
 国家の機構は、それこそ社会にしっかりとかぶさっている。その仕組みは中央と地方とで二重になっている。警察や役所、議会、裁判所にしてもそうだ。そこでは、法の制定と執行、経済政策から社会保障にいたる行政、その他さまざまな社会的統制がなされている。
 そこで、政治とは国家による社会的統制を指すという見方がでてくる。
 だが、それはあまりにも一面的なとらえ方だ。
 新聞や週刊誌などでよく目にするのは、政権争いやら党内のゴタゴタ、その他さまざまなスキャンダル。利権癒着というのもよく聞く。
 与野党の攻防、さまざまな裏工作、日々流されるニュースや解説など、それこそ、わたしたちの毎日は政治にあふれているといってもいいくらいである。
 そのほか、原発再稼働や沖縄の基地新設にたいする反対運動、さらに政府打倒に向けてのデモだって、りっぱな政治だということができるだろう。
 こんなふうに、政治活動は日常のあらゆる場所で、ごくあたりまえにおこなわれている。
 政の意味は、もともと征服し支配するということで、それに、ことをおさめる治がともなう。
 いっぽう、会社でも政治はつきものではないか、と思ったりもする。実際、ぼくの会社員時代でも、社内政治が横行していた。役員改選の時期になると、次は誰が社長になり、誰が専務になるかに、社員の関心が集まったものだ。
 これは、人が集まる組織には、権力が発生し、政治が必要になってくるということなのだろうか。しかし、これはあくまでもたとえといわなければならない。
 組織のなかで発生する人間の行動のすべてを、政治と呼ぶわけにはいかない。そこには、ある程度厳密な区別を必要とする。
 政治はあくまでも国家と政治権力をめぐる動きととらえるべきだろう。
 水のないプールが無意味なように人民のいない国家もまた無意味である。社会があってこそ国家は存在しうるし、国家なくして社会も存続しえない。
 ことばの正確な意味で、国家の廃絶はありえない。もちろん、国家のかたちは、いくらでも変わりうる。専制的な国家が民主的な国家に変わるとか、連邦国家をつくるとか、あるいは逆にひとつの国家がいくつもに分裂することも考えられる。しかし、そのこと自体は国家の廃絶を意味するわけではない。
 国家がわたしたちにかかわっているように、わたしたちもまた国家にかかわっている。そのかかわりの総体を政治と呼ぶことができるだろう。政治は国家権力から発する場合もあるし、逆に社会(個人や組織)から国家権力に向かっていく場合もある。
 政治とは、わたしたちを取り囲みながら日々生起する国家現象ということができる。その源が国家権力にある以上、次に権力とは何かについて考えなければならない。

   3 権力とは何か

 この世に権力が存在することは否定できない事実である。
 権力とはいったいなんなのだろうか。
 滝村は権力を「人間主体に対する、外部的・客観的な〈支配力〉」と規定している。
 人間社会において、こうした支配力は、当初、「原初的な神的・宗教的権力」のかたちをとって出現した。神(自然)の力と、神の力を律する者が、人びとの生活を支配したのである。
 神的・宗教的権力は、次第に強力な政治的権力へと発展していく。その背景に、人間社会の歴史的発展があったことはいうまでもないだろう。
 権力は国家だけの現象ではない。職場においても、学校においても、支配−服従関係の発生する場においては、どこでも権力が発生する。
 権力が存在するところでは、権力者の指示・命令(支配者の意志)にしたがって人が行動する。逆に、そうした関係がまったくないところでは権力は成立していない。
 支配者の意志は単なる個人の考えではない。個人の考えなら、別にしたがっても、したがわなくてもいいことになる。ところが、それが「外部的・客観的な規範」となれば、そうはいかない。自分の意志がどうであれ、おおやけに示された規範にはしたがわなければならない。規範にみずからの意志をしたがわせるところに権力関係が発生する、と滝村は述べている。
 規範とは認められた取り決め、ないし約束のことを指す。認めたのだから、守らなくてはならない。たとえば、青信号は進めという交通ルール。おれは反対だからといって、このルールを守らなければ、交通事故をおこす可能性がある。
 こうした規範によって、人びとの実践と活動は社会的に規制されている。規範は社会のルールを指すといってもいいかもしれない。法律もこうした規範にあたる。もちろん、こうした規範は、社会の状況が変化するにつれて、変更されていく可能性がある。
 近代以降、支配者の意志は国家意志となり、その規範は法律のかたちをとり、それに違反した者を規定にもとづいて罰するようになる。そして、支配者自身もまた法律にしたがわなくてはならなくなるのが近代の特徴だといえる。
 そこで、滝村は、権力とは「規範にもとづいた観念的な支配力」にほかならないと規定することになる。
 ところで、服従はどのようなかたちで実現されるのだろうか。相手を服従させるには、命令(したがわない場合は処罰)、あるいは説得や教化、さらには利益誘導といったやり方が考えられるだろう。
 これにたいし、したがう側も、自己犠牲的献身から面従腹背、あるいは秘めた敵意まで、その態度はさまざまだと思われる。
 とはいえ、権力関係が成立しているときには、それが安定的な場合も、不安定な場合でも、いちおうは「規範としての意志」にたいし、被支配者による「意志の服従」がなされていることになる。もっとも、「意志の服従」がいつまでつづくかは、状況次第といえるだろう。
 権力が強い力をもつようになるのは、組織があってこそである。組織は個人の集まりにちがいないが、単なる集団ではない。滝村によると、「組織とは、規範にもとづいて結集し構成された特殊な人間集団」ということになる。つまり、組織は特別な目的をもつ集団を指している。
 したがって、組織の内部では、支配と従属からなる権力関係が築かれている。
 組織は目的をもつため、その意志は内部だけではなく、外部にも向けられている。とはいえ、組織が外部を支配する力は、他の組織との力関係による。これにたいし、組織の内部においては、規範としての組織的意志が貫徹される。これは企業をみればよくわかることだ。
 個人が組織に結集するのは、そこでの協同活動によって「倍加された強力な集団力」の獲得が可能になるからだ、と滝村はいう。戦争であれ土木工事であれ、それはけっして個人ではなしえない事業だ。こうした協同活動をおこなうには、組織としての「単一意志」(規範)のもとに全員が服従することが求められ、さらに、それをコントロールするための「指揮中枢」と組織内組織が必要になってくる。
 近代国家でいえば、そうした組織的規範は、憲法を基軸として、刑法・民法・商法、あるいは行政法によって定められることになる。企業でいえば、その規範は、社是・社訓、年間計画、定款によって定められるといってよいだろう。
 そして、こうした組織的規範に反対する意見をもっていても、現実的な行動として、それに違反しなければ、処罰されることはないというのが、近代の原理だといえる。
 権力は大きく分けて、経済権力と政治権力にわかれる。企業や労働組合などの経済権力が、おもに物質的な富の生産と分配にかかわるとすれば、政治権力は思想やイデオロギーなどの観念にかかわっている。ほかに思想やイデオロギーにかかわる権力としては、宗教組織(教団)などが挙げられる。マスメディア権力にも、たぶんにそうした側面がある。
 もちろん、経済権力、政治権力、宗教権力、思想権力といっても、その分類は画然としたものではない。たとえば宗教組織が、政治的・経済的役割をもつこともあり、経営者団体や労働組合などの経済権力が政治的性格を帯びることもある。
 国家権力には、とうぜん対抗権力が存在する。近代以前では、領主権力とそれにたいする農民反乱組織、近代以降では、議会政党(野党)と革命政党といった主流、反主流の組織がある。
 組織においては、意志決定がどのような形態でなされるかが問われる。
 滝村によれば、組織における意志決定の方式は、民主制か専制かの、どちらかしかないという。民主主義の場合は、直接民主主義か間接民主主義、専制の場合は、親裁か寡頭制のどちらかによって、意志決定がなされる。
 これまでの歴史においては、社会組織はたいていが専制で、民主主義はごく例外だったという。しばしば組織間で深刻な対立と抗争が発生することを考えれば、緊急事態に対応するために、往々にして専制的な意志決定をせざるをえなかったからである。
 たとえば古代ギリシアのアテナイでは、都市中枢の支配層のなかで直接民主制がとられていたといわれるが、そうした民主主義は被支配層や周辺の従属共同体にとっては、専制以外のなにものでもなかった、と滝村は指摘する。
 民主主義の登場は近代を待たねばならなかった。もともと専制化しがちな国家権力が大きくなるにつれて、それに一定の歯止めをかけることが求められたためである。
 国家組織を含め、一般に社会組織は専制形態をとる。その組織は拡大するにつれ、専門化して細かく分かれ、上級幹部層が生まれてくる。組織においては、その上級幹部層の意志をすりあわせて、意志の合意がなされ、組織としての一般的意志が形成されていくことになる。
 この調整と妥協はときにきわめて難航することがある。そんなときにワンマンのツルの一声が、組織の意志を決定する場合も少なくない。しかし、その意志決定には成功も失敗もあって、成功するならともかく、あまりにも失敗がつづくようだと、ワンマン追放のクーデターが発生しかねない状況となる。
 現代の議会主義には、国民主権と多数支配という原則がある。にもかかわらず、実際には「少数者支配の法則」がつらぬかれている、と政治評論家はしばしば憤慨する。民主主義は表看板だけで、政治はいつも少数者によって牛耳られており、ほんとうの民主主義を取り戻さねばならないという主張もでてくる。
 しかし、だからといって専制と民主制を混同してはならない、と滝村はいう。民主制のもとでは、国民から選ばれた議員は、国民各層の意志や利害をまったく無視して、みずからの意志を主張できるわけではない。専制体制とはことなり、民主体制のもとで、国民は市民権を与えられ、中央および地方の議会に代表者を送る権利をもっているからである。
ソ連の体制は民主主義とはかけ離れていた。レーニンやスターリンが主導した共産党は、みずからをプロレタリアートの代表と位置づけ、プロレタリアート独裁の名のもとで、寡頭支配をつづけた。そのツケはあまりにも大きく、その独善的思想によって、もっとも醜悪な「社会主義」専制国家が生まれたことを忘れてはならない、と滝村は述べている。


   4 権力と暴力

 暴力は人びとに強烈な本能的恐怖心を引き起こす。
 新聞やテレビをにぎわすさまざまな事件をはじめとして、家庭や学校でも、常にさまざまな暴力が発生している。
 しかし、ここで取りあげられるのは、権力と暴力の関係である。
 権力は社会的なものだ。
 社会的な権力には、さまざまなものがある。たとえば企業にしても、ひとつの権力にちがいない。
 企業がめざすのは利潤の追求だ。そのためには産業全体の支配をめざすこともあるだろう。しかし、そのために企業が暴力を用いることはまずない。
 社内の抑圧的体質からブラック企業のレッテルを貼られたりすると、企業の評判はたちまち落ちてしまう。
 革命的な政治組織や新興の宗教組織になると、どうだろう。
 こうした組織がめざすのは、世界を思想的・イデオロギー的・宗教的に支配することだといってよい。
 実際、革命組織や宗教組織が、国家権力を掌握した例も、史上、けっして少なくはない。
 社会的な権力に暴力はつきものだ。
 社会的な権力が物理的な強制・抹殺手段を用いることがあるのは、外部に対しても内部に対しても、その組織的意志を貫徹しようとするためである。
 もっとも革命的な政治・宗教組織が軍事的な武装化に成功するのは、国家的秩序が崩壊している時期といえるだろう。国家権力がしっかりしている場合は、武装化の動きがあれば、そうした組織はたちまちつぶされてしまう。
 政治的・宗教的組織は、国家権力の掌握をめざしている。そのさい、敵を倒すために暴力(武力)を発動することになるが、そうした力が勢いを増すのは、政治権力の弱体化がみられるときにかぎられる。
 やくざやマフィアは、まさに犯罪者の暴力組織である。その主な仕事は、賭博、麻薬の売買、港湾荷役などの手配と監督、債権の取り立て、恐喝やゆすり、たかり、嘱託殺人といったところだろうか。こうした暴力団も、いわば裏の社会的権力ということができる。ふだんは、やくざやマフィアの暴力が、日中から表に出てくることはない。
 これにたいし、国家はどうだろう。
 国家が生まれたのは、もともと外部との戦争に備えるためだった。
 国家は社会から生まれるが、社会が存続するために、あらゆる社会は国家として組織されることになる。
 そして、常に国家間の争いがあって、戦時体制が常態化してくると、国家のなかで軍事組織が強化されていく。
 それだけではない。国家は社会に対しても、予想される騒擾を防ぐために、警察や裁判機関、監獄といった治安手段を強化していくことになる。
 こうして、内外の危機に備えるため、社会は国家として組織され、国家の中枢に国家権力が生まれることになる。国家権力は国家を動かす力のことだ。
 したがって、国家にはそもそも暴力がひそんでいるといってよいだろう。暴力といって聞こえが悪ければ、物理的な強制力、あるいは武力といってもいいが、これは公認され、しかも訓練された暴力にほかならない。
 しかし、こうした公的暴力、あるいは物理的破壊活動は、国家権力中枢によって規制されねばならない。さもなければ、公的な暴力組織が一人歩きして、国家権力を転覆しかねないからである。
 近代以前の専制国家においては、専制的統治者が暴力(武力)によって、内外の敵対者と戦い、それを押しつぶそうとしてきた。
 とりわけ国家と戦争は切り離せなかった。
 戦争の目的は領土の拡大、あるいは領土の防衛である。
 しかし、政治的支配者が、卓越した軍事指導者であるとはかぎらない。そのため、支配者は軍事指導者の動向に常に目を光らせなければならなかった。
 中国の歴代王朝やローマ帝国の場合を例に挙げても、軍事的に利用していた遊牧民族や蛮族が、力をつけて、ついに帝国を乗っ取ったことは、だれもが知るところである。
 現代でも、アフリカなどで頻繁に軍事クーデターが発生していることをみても、政治が軍事をコントロールするのは、なかなかむずかしいことがわかる。
 政治と軍の関係を例にとっても、権力は暴力と密接に関連しているといえるだろう。
 社会主義国家においても、専制的支配者(あるいは支配者集団)が軍事的強制手段や治安維持手段などの暴力を縦横に駆使してきた。
 それでは政治権力は暴力にほかならないのだろうか。
 たしかに軍事組織や警察組織をもたない国家は存在しないといってよい。しかし、それは権力を暴力と言い換えただけで、そもそも権力とは何かを語っているわけではない。
 国家権力は、法的な規範への個人の服従を求める。物理的な強制手段としての暴力が発動されるのは、あくまでも国家の規範(法)に服従しない場合にかぎられる。
 近代国家においては、暴力が権力者によって恣意的に発動されるわけではない。暴力は憲法や行政諸法によって定められた規定により、公務員である軍人、警察官への指示や命令を通じて発動されるといってよいだろう。
 したがって、暴力が権力の一形態であるというのならともかく、権力が暴力であるというのはまちがいだ、と滝村はいう。
 とはいえ、戦争の場合は異常な事態が発生する。
 戦場においては、相手が敵と認められた場合は、敵を殺すことが、国家や組織に忠誠を尽くす行為として推奨される。
 敵を殺せというのは、汝殺すなかれという、ふだんの社会的規範とはまるで逆の規範である。しかし、敵を殺せもまた国家の規範にもとづく暴力の発動であって、人間の本能的な暴力にもとづくわけではない。
 しばしば、それは恐ろしい事態を招く。
 滝村国家論は、権力を「規範にもとづく意志的支配力」と規定している。
 権力といっても、さまざまな権力がある。
 とりわけ国家権力においては、政治意志が問題になってくることはいうまでもない。
 政治意志は社会全体の利害とかかわっている。つまり、政治意志のあり方が、国家すなわち社会全体の興廃や安定、発展を左右するといってよいだろう。
 ところで、あらゆる組織と同様、国家もまた面目や威信にこだわる。国の面目や威信がつぶされ、それが行くところまで行き着くと、戦争という事態に発展する。
 戦争には、社会全体の存亡と興廃がかかっている。防衛と侵略に画然たるちがいはない。すべての戦争は防衛からはじまるといってもいいくらいだ。
 たとえ甚大な被害と犠牲をともなっても、戦争に勝利すれば、その栄光は国に名誉と威信をもたらすだろう。そして、その結果、臣従した諸国からは、物資や金品が貢納され、基地や兵員すら提供されることもある。
 しかし、敗北した国、侵略された国にとって、敗戦や侵略への思いは格別だ。その記憶は、外国からの不当な侵害と、許しがたい蹂躙として深く心に刻みつけられることになる。
 民族的、宗教的な憎悪と怨念も、そこから生まれてくる。
 それがときに異常な敵意をもたらし、自滅覚悟の損得勘定ぬきの絶望的な戦いへと転化することもある。そうなると、ふたたび戦争がはじまる。
 政治の世界では、こうした非合理的な現象がしばしば発生する。
 戦争をもたらす政治意志には、よほどの監視が必要になってくる。

   5 支配と服従

 権力が支配力だとすれば、そこにはとうぜん支配と服従の関係が成立している。
 そのことは国家権力をはじめとする、あらゆる社会的な権力をみてもわかる。
 国家権力と政治権力(組織)は、いちおう区別されなければならない。政治組織が国家権力であるとはかぎらないからである。
 一般に、政治組織は宗教組織と同様、思想や信条によって支えられている。近代以前の専制国家においては、こうした政治組織や宗教組織はしばしば弾圧されてきた。
 それにたいし、近代以降は民主主義国家が誕生して、思想と信条の自由が認められるようになった。その結果、政治組織や宗教組織の活動も、法令に違反しないかぎり認められるようになっている。
 とはいえ、民主主義国家においても、国家権力は強制的な支配力をもっており、諸個人はこれにしたがわなければならない。徴税や徴兵をみても、国家に強制力があることが実感できるだろう。
 さらにいうと、国家権力はみずからの行動を正当化するために、特定の思想・イデオロギーを採用する。
 そのさい、近代以前の専制国家でよく持ちだされたのが神の名だった。広大なアジア的、オリエント的帝国においては、しばしば専制的支配者自身が現人神として神格化された。
 いっぽう西欧諸国では、ローマ法王が帝権や王権を裁可、承認する宗教的権利を担っていた。イスラム国家は、イスラム教組織が国家権力中枢を担う神聖国家だった。
 近代国家が特異なのは、支配層の思想やイデオロギーへの自由な批判が認められているところにある。ただし、それが政府を転覆する現実的な実践活動へと発展していく場合は、政府もまた何らかの対抗措置をとることになる。
 先に述べたように、国家権力にはさまざまな思想やイデオロギーがまつわりついている。
 それは神話や信仰のかたちをとることが多いといえるだろう。とりわけ、国家神話には、戦勝の記憶や、伝説の英雄の名が刻まれている。
 新たに登場する政治指導者が、みずからのイメージをかつての神話的英雄にだぶらせて、世論の支持をかちとろうとするのは、ごくありふれた政治手法である。
 政権の大義名分もまた、権力の正統性を保証するイデオロギーといえる。中世以降、日本ではすでに形式化していた天皇による承認が、新政権にとっては大義名分の後ろ盾となった。いっぽう西洋では、神の名のもとでの「法と正義」が権力の正統性を保証したといえるだろう。
 とはいえ、権力が存続するには、世論を無視するわけにはいかない。世論が重要な役割をはたすのは、近代の議会制民主主義が発展するようになってからだが、近代以前においても世間の評判といった意味での世論がなかったわけではない。
 たとえ神話によって補強されていたとしても、いかなる権力も、大義名分や世論の支えがなければ、その勢力を維持できないといえるだろう。
 ほかに権力に影響を与えるものとしては、一種の裏権力を想定することができる。裏権力のひとつが、政界の黒幕の存在である。かれらはやくざや暴力組織、秘密組織を背景に、さまざまな裏工作をおこなうことで、政界のトップと密接な関係を保っている。
 メディアによってつくられる世論も大きな影響力をもつようになる。そこには、体制派、反体制派を含む宗教家や思想家、学者などの思想や論説が流れこんでいる。それらはいわば観念的権力をかたちづくり、国家権力そのものに影響を与える、と滝村は論じる。
 ここで滝村は、権力と権威のちがいを説明している。
 組織または個人の規範的意志に、諸個人を服従させるという点で、権力と権威にちがいはない。
 しかし、権力が一般的な支配・服従関係を指すのにたいし、権威は特定の個人、特定の組織を前提としている。その意味で、権威は特別の権力ということもできるだろう。
 さらにいえば、組織的な権力にたいし超然として形式的・名目的なかたちで存立する超権力を権威と名づける場合もある。
 その点、天皇や教皇などが権威であることはいうまでもない。
 権力が即暴力でないことは、以前にも述べたが、それにたいし被治者の積極的な服従に権力成立の根拠をみる考え方がある、と滝村はいう。逆にいえば、この説では、被治者が服従を拒否する場合には、権力が成立しないことになる。
 この説を唱えたのはロックだが、ホッブズやルソーにもこうした考え方が流れこんでいる。しかし、ヒュームは被治者による服従が、権力との契約によって生じてくるという考え方に疑義を呈した。こうした服従は、契約によってではなく、歴史的に、長い時間をかけて形成されてきたというのだ。そこには一見、仕方がないというあきらめの姿勢が強くにじみでているように思える。
 というより、ヒュームの場合は、市民との契約によってではなく、征服や戦争によって国家が成立するという立場をとっているのかもしれない。
 権力を支配・服従の関係性によって説明するのは、ラスウェルの影響を強く受けた丸山真男の場合も同じだ、と著者はいう。丸山の場合もロックと同じように、市民の服従と承認があってはじめて政治権力が成立すると考えている。
 しかし、それはほんとうだろうか、と滝村は疑義をはさむ。それはあくまでも理念的なとらえ方で、現実の権力成立過程を説明していないというのだ。
 丸山の権力論は、政治世界で日々くり返される権力者の誕生と没落をうまく説明するようにみえる。だが、それは権力とは何かという根本問題に答えてはいない、と滝村は断言する。
 権力が「規範にもとづく意志的支配力」だとするなら、それが衰えるのは市民の支持を失った結果ではなく、あくまでも規範としての支配力が消滅していくからである。
 したがって、敗戦や占領の場合もしかり、統治能力を喪失した場合もしかりということになる。また、たとえ人気のある政権でも、法律によって定められた任期を満了すれば、その政権は支配力を失うのであって、逆にいくら人気がなくても、強大な軍事力などを背景にして、その政権がいつまでもつづくこともありうるのである。

   6 革命と専制

 政治には、いわば経験則というようなものがある。
『国家論大綱』では、こうした経験則がいくつか紹介されている。
 政治は秩序と無秩序のあいだを行き来するというのも、そうした経験則のひとつといえる。
 たとえば日本の歴史をふり返っても、戦国時代から江戸時代へ、大日本帝国から敗戦へというように、こうした循環法則が存在するようにみえる。
 また、ひとつの世界圏をとってみても、帝国的秩序が崩壊し、混乱がつづいたあと、新たな帝国的秩序が形成されることが、しばしばみられる。
 近代になってからは、何カ国かの大国が帝国的世界支配体制をつくって、後進国をその支配下に置いた。
帝国間の戦争が生じるのは、急速に台頭する新興国が既成の国際秩序を崩そうとする場合である。実際にはさまざまな事件が生じたり、駆け引きがなされたりするため、その経過は複雑な道筋をたどる。とはいえ、第1次世界大戦、第2次世界大戦をみても、戦争がくり広げられた結果、新たな国際秩序が生まれるという循環が生じたことはまちがいない。
 問題は、それがけっして安定したものとはならないことである。現在は中国が新興国として急速に台頭し、アメリカが相対的に弱体化するなかで、国際秩序があちこちできしみはじめており、またもや戦乱と無秩序が生じることが懸念される状態かもしれない、と滝村は懸念している。
 政治世界では、ごく少数の指導者に率いられた政治組織が、社会全体の支配をめざして、常に争っている。
 たとえば、ヨーロッパでも中国でも日本でもいいのだが、戦国時代を想定してみると、その渦中の政治組織はいうまでもなく強大化をめざしている。
 戦国時代においては、どうしても一強多弱の傾向が生じる。強国は硬軟とりまぜた外交をくり広げて、一部の弱国を取り込みつつ、多弱を次々に撃破し、最後は一強による政治世界の統一をめざすことになる。
 多弱が対抗できるとすれば、そのいくつかが同盟によって連携し、状況に対応する以外にない。
 だが、いずれにせよ、圧倒的な強大国が形成されれば、政治世界の統一は時間の問題となる。
 政治組織を強大にするのは、敵対勢力の圧倒が目的であって、いたずらに強大化のための強大化がなされるわけではない。
 敵を弱体化させるために、敵の勢力を分断するのも、よくおこなわれる方策である。そのためには敵内部の不和や軋轢を利用したり、諜報工作をしかけたりもする。
 こうしたやり方は、強い側だけでなく、弱い側も利用することができる。レーニン自身も「ずっと力の強い敵にうちかつことは、敵のあいだのあらゆる『ひび』をじょうずに利用して、はじめてなしとげることができる」と述べている。
 ちなみに、レーニンの最大の発明は、党組織論だといってよいだろう。
 レーニンの党は、大衆を政治的に組織化するだけでなく、支配するための機関でもあった。党は大衆に強力なプロパガンダを吹き込み、プロレタリア革命の実現に向けて大衆を扇動する。そして、その党自体は、専制的に一元化された中央集権的形態をとっていた。
「このレーニン的党組織は、専制的国家権力のすべての構成諸機関と、社会全体のすみずみまで張り巡らせられることによって、世界史上かつて存在したことのない、強力無比の監視・脅迫・密偵組織としても作動しつづける」と滝村は述べている。
 さて、戦国時代においては生き残りをかけた攻防がくり広げられているわけだが、弱小国にとっては、負け戦を避けることがだいじになってくる、と滝村はいう。しかし、食料、軍資金が底をついたり、敵の勢力がにわかに増強されたりして、座して死を待つしかなくなったときには、たとえ負けるとわかっていても、組織の存亡をかけた戦いが不可避となることもある。さもなければ、組織は自己解体するほかないからである。
 また、戦国時代に多くの国が二大勢力に分割されたときは、どちらにも属さない中間派が登場することもある。こうした国は往々にして中立政策を採用する。
 しかし、二大勢力がついに勝敗を決するにいたったときに、中立政策をそのまま維持するのは、きわめてむずかしいといえる。そのさいには、二大勢力のいずれが優勢であるかを冷静に分析し、どちらかの側に断固として参加しなければいけない、と滝村は述べている。そうしなければ、いざ決戦においては両勢力の草刈り場となって、中間派は雲散霧消してしまうことになる。
 両雄並び立たずというのも政治の経験則のひとつである。なぜなら、意志決定権は最終的には一元化されなくてはならないからである。
 なだれ現象も、政治の経験則だ。勝つか負けるかがはっきりしてきた段階で、自己の命運をかけて、政治主体が勝ち馬に乗ろうとするのは、とうぜんの動きといえる。
 こうして政治世界は、戦国のなかから覇者が躍り出て、統一的政治秩序へと向かっていくのである。
 統一的政治秩序は専制的支配者を生みだす。その下では側近層と武装部隊、情報組織が形成される。側近層がつくられるのは、同等の力をもつ実力者を排除するためでもある。
 専制的支配者は政治組織を強大化すると同時に、大衆にたいして、みずからを神格化させていく。当初は親裁によって政治が動かされるといってよいだろう。敵対的な政治組織はすべて解体されていく。
 こうした親裁体制が持続するには、支配者が配下の政治組織を掌握し、常に体制に敵対する可能性のある者を排除することが必要になってくる、と滝村はいう。さらに、支配者は、時折、政治組織の力を見せつけて、みずからの力を誇示することもだいじになってくる。
 専制体制下では、実際には権力中枢で苛烈な権力闘争がくり広げられている。みずからの権力を強固にするため、それまでの同盟者や功臣に対する粛清が開始されることもしばしばだ。
 権力闘争が、常に一族や近親のあいだでくり広げられるのは、誰が次の支配者になるかが問われるからだといえるだろう。
 しかし、専制的な支配体制が長期化すると、親裁は次第に寡頭専制体制へと移っていく。支配者は次第に形式化、名目化して、実質的な政治的意志決定権は公的な側近が握ることになる。日本でも天皇や将軍に代わって、藤原家や北条家が権力を動かしていたことはよく知られている。とはいっても、天皇や将軍は、支配者としての名目的地位を保ちつづけた。
 専制国家が瓦解の危機に見舞われるのは、ひとつに後継者の不在がある。こうした難題は何とか糊塗できるかもしれない。いかんともしがたいのは、内乱が発生したり、外敵に占領されたりした場合である。
 内乱においては、新旧の政治権力が国家の支配権をめぐって抗争し、ときに国家権力が真っ二つに分断される二重権力状態が発生する。しかし、たとえば一方が統治権、他方が行政権を掌握する、あるいは一方が議会、他方が軍隊を掌握する、あるいは一方が西、他方が東を掌握するといった事態はいつまでもつづくわけがない。
 最終的に、それは旧国家(あるいは帝国)の解体や分裂をへて、新国家の確立への道をたどる。
 一般に、革命とは専制国家の打倒を指している。革命から民主政権の樹立に向かうケースはごくわずかであり、多くが失敗の道筋をたどる。
 議会制民主主義のもとで、革命が起こることはまずないが、ありえないわけではない。近代において、それが成功した例としては、たとえばヒトラーがナチス・ドイツを樹立した場合が挙げられる。ヒトラーは機能不全におちいった議会制に代わる体制をと唱えて、ファシズムの専制体制を確立した。
 革命はしばしば強力な専制権力を生みだす。イギリスのピューリタン革命はクロムウェルの独裁を生み、フランス革命はロベスピエールの独裁をもたらし、ロシア革命と中国革命はスターリンや毛沢東の暴政に行き着いた。
 戦争もまた専制をもたらす。日ごろ、安定した議会制をとる国でも、いったん戦争がはじまり、国家総力戦となると、自由が制限され、言論が規制され、専制と経済統制が敷かれるようになる。
 最後に滝村は、社会主義革命の特異性についてふれている。
 社会主義革命は、生産手段の私的・資本家的な所有体制を根本から変革することをめざしている。そのためには、社会的な生産手段を国家的所有とし、それをプロレタリアート(実際には党官僚)が管理する体制がつくりだされねばならない。そうした課題を実現しようとすれば、社会主義体制は「過去のいかなる〈専制〉権力よりも、より強力な〈専制〉的国家権力をつくりあげる」以外に道がなくなる。

   7 方法としての世界史

 滝村によれば、人間社会は物質的生活と精神的生活、それに政治体制の3つの部分から成り立っている。経済、文化(宗教、思想)、政治の領域といってもよいが、この3者は密接にからんでいる。つまり、どれが欠けても人間社会は成り立たない。
 社会は人間相互の関係にもとづいている。同時にそれが歴史的に形成されたものであることは、いうまでもない。
 人間は社会的な存在である。そして、人間社会は他の人間社会とのたえざる対立と競合のなかに置かれている。
 社会を経済だけに還元し、政治の問題を無視したところに、世界革命思想というマルクスの誤りが生じた、と滝村は指摘する。
 とはいえ、社会を社会構成体としてとらえるのは、滝村がマルクスの考え方を引き継いだものである。その原型はヘーゲル哲学の考え方にある。
 滝村国家論が直接の考察対象とするのは、近代国民国家である。
 しかし、近代社会はとつぜん生じたわけではなく、世界史の発展のなかから生まれたものだ。
 やっかいなのは、近代を研究するだけでは、近代とはなにかという問いに答えられないということだ。
 つまり、近代を踏まえながら近代以前に遡行してみることで、はじめて近代とは何かが、よりはっきりしたかたちで把握できる、と滝村はいう。
 こうしたとらえ方を、滝村は「方法としての世界史」と名づけている。
 滝村の根源的な問いは、「人間社会の歴史的発展にともない、なにゆえ国家が成立し、今日にいたるまで存続してきたのか」ということにある。
 こうした問いは、本書のなかで随所にわたってくり返されることになるだろう。
 ただし、国家の歴史的起源をいくら追求しても、国家とは何かという問いには答えられない、と滝村は断言する。
 その問いに答えるには、まず国家の本質論的把握がなされねばならない。それをあいまいにしたまま、国家の始原を求めようとしても、その結果は惨憺たる失敗に終わってしまうだろうという。
 滝村が採用するのは、ヘーゲルによって開拓され、マルクスが継承した、世界史の発展史観である。
 それは人間社会を〈アジア的〉→〈古典古代的〉→〈中世的〉→〈近代的〉という世界史的な発展過程においてとらえようというものである。
 注意すべきは、この世界史の発展段階論が、個別の歴史にあてはまるわけではないということだ。それはあくまでも数世紀を一区切りとして、世界史の中心を巨視的なレベルでとらえた論理なのだということを忘れてはならない、と滝村はいう。
 ところが、マルクス後のマルクス主義においては、この発展史観が歪曲されてしまう。それによると、人間社会は原初的社会(無階級・原始社会)からはじまって、〈アジア的社会〉→〈古代・奴隷制社会〉→〈中世・農奴社会〉→〈近代・賃金奴隷制社会〉→〈無階級・共産主義社会〉にいたる「歴史的必然性」をもっているというのである。
 この考え方は、ばかげた宗教的予言以外のなにものでもなかった。
 これにたいし、滝村の採用した試みは、〈アジア的〉〈古典古代的〉〈中世的〉というように、世界史的に国家を把握し、構成しなおすことだった。その過程では、国家の歴史的起源にかかわる原初社会の研究も欠かせなかった。
 これはマルクス主義のとらえ方と似て非なるものだ。マルクス主義は個別の歴史に、この世界史的発展段階説をあてはめたが、滝村はそういうあてはめはイデオロギー的な党派思考にすぎないという。
 問題は、それぞれの世界史的国家の構造を論理的に構築することだった。
 アジア的国家、古典古代的国家、中世国家がそれぞれどういうものだったかについては、歴史的国家論の課題になるだろう。それを滝村は『国家論大綱』第2巻で追求しようとした。
 とはいえ、滝村の最終目的は、国家とは何か、とりわけ近代国家とは何かを明らかにすることに置かれていた。
「〈近代〉以前のいずれの〈世界史的〉国家も、〈近代〉以降において全的に開花する〈国家的支配〉を、いまだ完成させていない」と、滝村は書いている。
 しかし、近代以前においても、国家による支配がなされていたことはまちがいない。近代国家だけを研究していては、往々にして「国家の本質的把握と認識」を見落としてしまう、と滝村は考えていた。
 滝村は個別歴史国家の研究を否定しているわけではない。しかし、個別歴史国家は、それだけを見ていても把握できない。
 いっぽう、世界史の発展史観だけでも、じゅうぶんとはいえないだろう。
 国家一般(本質論)、世界史的国家の発展段階、個別国家の歴史を三段階において把握してこそ、はじめて歴史を構造的にとらえることができる、と滝村は考えていた。
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