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西鶴『日本永代蔵』をちょこっと(1) [商品世界論ノート]

 この9月で、10年つづけてきた書評の仕事をやめることにした。
 新刊を探して、読むのにくたびれてしまったからだ。
 いっても詮ないことながら、もう歳である。潮時である。だんだん時代についていけなくなっている。
 定年になったら読もうと思っていた本が、まだ山積みになったままだ。
 新刊の書評をしていると、たまっている本が読めない。それも書評の仕事をやめた理由だ。これからは、ときどき本をぱらぱらとめくりながら、のんびりすごしたいと思っている。
 そんなわけで、本棚を眺めていたら、井原西鶴の『日本永代蔵』が目についた。暉峻康隆の現代語訳だ。ぱらぱらとめくりはじめる。
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『日本永代蔵』が出版されたのは元禄元年(1688)年のことだという。
「大福新長者教」のサブタイトルがある。解説によると、昔、寛永4年(1627)に『長者教』という本が出ていて、西鶴の本はそれを引き継いで、新長者教を記したということになる。
 長者になるための教えということになる。
 昔の『長者教』は中世末期に流布していた写本を出版したもの。3人の長者が童子の問いに答えて、長者になる心構えを説いている。
 長者は金持ちとはかぎらなかった。しかし、西鶴の新長者は、明らかに金持ちを指している。その背景には貨幣経済の発達がある。
 全部で巻6まであり、合わせて30のエピソードからなる。どこからでも読めるが、とりとめがないといえば、そのとおりで、これが現代人に役立つとも思えない。
 全部おカネにまつわる話。カネが人を動かす時代がはじまっていた。西鶴はそれをときにユーモラスに、ときにあわれにえがく。
 まず巻1の最初のエピソード。「初午(はつうま)は乗ってくる仕合わせ」
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 おカネはあの世では役に立たないが、おカネがあればこの世でかなわぬことはまずない。残しておけば、子孫のためにもなる。だから、よく働いて、おカネをためよう。
 西鶴はそんなふうに書いている。このあたりは、いまの庶民の感覚も同じ。
 春の山遊びにもってこいの2月[いまの暦ではほんらい3月半ばごろ]、初午の日には、泉州の[現大阪府貝塚市にある]水間寺(みずまでら)に多くの貴賎男女が参詣にやってくる。
 この寺の人気は借銭(かりぜに)。その年、1文借りたら、明くる年2文にして返す。100文借りたら、200文にして返す。借りるといっても、いまでいえば何百円程度のごくわずかな金額だ。
 ところが、あるとき、遠方からきたと思われる二十歳そこそこの若者が「一貫文借ります」というので、僧はびっくりして国や名前を聞かないで、そのまま貸してしまった。
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[一貫文。ウィキペディアより。]
 一貫文は銭1000文のこと。いまの金額にすれば2万7000円ほどだというが、貨幣経済が発達していない当時は、おカネの希少性がちがう。
 ところが1年たっても、貸したおカネは戻ってこない。寺をだますとは、罰当たりなやつだと思うが、後の祭り。これからはあまり大きな金額を貸さないようにしよう、と寺僧たちが申し合わせた。
 それから13年。水間寺に銭を積んだ何十頭もの馬がやってきて、男があの節はお世話になりましたといって、大量の銭を寺に積み上げた。寺は喜んで、その寄進で立派な塔を建てることにした。
 その男は武蔵国江戸の小網町で、網屋という船問屋をしているという。硯箱と銭箱がいっしょになった掛硯(かけすずり)に仕合丸と書いて、そこに水間寺の銭を入れておいたら、船頭たちがその銭を借りたいといい、100文ずつ貸していたら、それがいつのまにか増えて、8192貫になっていた。こうして男は長者と呼ばれる大金持ちになっていたという次第。
(西鶴はあいまいな書き方をしていて、8192貫を寺に返したようにも受け取られるが、ぼくはそう思わない。)
 はたして、いったいこんなうまい話がほんとうにあったものだろうか。
 まゆつばだと思ってしまう。
 ちなみに8192貫という数字は、年利100%の複利で計算すれば、まさに13年後にそうなる。西鶴の計算はまちがっていない。
 岩井克人によれば、中世から近世にかけ、信者が寄進した金銭を寺が祠堂銭として貸し付ける習慣があったのは事実のようだ。おそらく、信者はそれを生活費として使うのではなく、縁起物として飾っておき、1年の息災を感謝して、利子をつけて寺に返却したのだろう。いわば前借り賽銭の循環である。
 ところが小網町網屋の発想はそうではなかった。船頭たちは、もちろんそれが水間寺の銭とありがたがり、縁起担ぎで、網屋から銭を借りたにちがいない。ここで、西鶴はあいまいにぼかしてしまっているが、おそらく網屋は水間寺の銭を元手、すなわち資本として、金融資本家に成長したのである。
 回転しはじめた銭に水間寺というしるしがついているはずもない。しかし、それを船頭たちは水間寺のお守りのように信じた。網屋が長者になったのは、おそらく寺から借りた元手から獲得した総利得をすべて寺に戻さず、自分の資本に組み入れるすべを知っていたからである。
 男は水間寺の祠堂銭を原資として、いわばみずから銀行を設立し、それで大もうけをし、長者となったわけだ。そのもうけをすべて寺に戻して、元のすっからかんになるほど、お人よしだったとは思えない。
 武家や寺社から独立して、商人が誕生しようとしていたことを、西鶴のエピソード1は示している。そして、それはちいさなお守りのようにはじまったカネが、だれにとっても、なくてはならぬものとして、どんどんと膨らんでいく過程を含んでいたはずである。
 一貫なら100銭ずつ借りて借り手は10人である。ところが、たとえば256人になると、借り手は2560人必要だ。まして8192貫となると、8万1920人が銭を借りてくれなければ、商売は成り立たない。
 そのあたりのむずかしさに西鶴はふれていない。とはいえ、カネの世界があれよあれよといううちに広がっていくさまには、西鶴もびっくり、読者もびっくりだったのではないか。エピソード1は、そんなおどろきをも伝えている。





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iisaka

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m.iisaka@sprix.jp
by iisaka (2018-09-06 18:48) 

だいだらぼっち

どうぞご自由に。
by だいだらぼっち (2018-09-07 17:32) 

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