染め物でひともうけ──西鶴『日本永代蔵』をちょこっと(6) [商品世界論ノート]
[ほぼ3週間の旅行を終えて帰国しました。その旅行記はいずれ書くとして、帰ってから何かをするわけでもなく、のんべんだらりと暮らしているのは、相変わらずです。9月になると翻訳の仕事がはいるので、またこのブログから遠ざかるのが目に見えていますが、せっかくの乗りかかった船ですから、西鶴のつづきを読むことにしました。]
巻4にはいっている。
エピソード1は桔梗(ききょう)屋という京の染物屋の話だ。
正直一途に商売に励んできたが、そのかいもなく貧乏暮らしがつづいている。
あるとき、やけをおこして、わら人形で貧乏神をつくり、これを神棚に祭って、元旦から七草まで精一杯もてなすことにした。
貧乏神でも家の神さま。毎日、仕事があって、食べていけるのも、そのおかげ。
めったにないもてなしを受けた貧乏神は大喜び。七草の夜に、亭主の夢枕に立って、しきりに感謝を述べ、この家を繁盛させてやると約束した。
[貧乏神をもてなす]
しかし、あの貧乏神がこの家を繁盛させてやると告げたわけは何だろう。桔梗屋は考えた。染物屋として、何か工夫できることがあるのではないか。
染めといえば紅だ。紅染めは山形の紅花で染めた本染めがいちばんだが、値段が高い。もっと安くできないものか。
そこで桔梗屋はいろいろ工夫を重ね、蘇芳(すおう)で下染めして、それを酢で蒸し返すと、本染めと遜色のない中紅(なかもみ)ができあがった。
桔梗屋は染めあがった品物をみずから担いで江戸に下り、本町の呉服屋に売った。しかし、手ぶらでは帰らなかった。京に戻るさいには、奥州(おく)の絹と綿を仕入れて、それを京でさばいた。これをのこぎり商いというそうな。
いまでは桔梗屋は一家75人を指図する大旦那となり、長者町(いまの上京区仲之町)に大屋敷を構えるまでになった。桔梗屋甚兵衛は延宝9年(1681)に亡くなっている。西鶴の話は、どれも実際にあったことだ。
今回の標語。「金銀は回り持ち、その気になって稼げば、たまらぬものでもない」
暑さと時差ボケでどうも調子がでない。きょうはこのあたりで。
2018-08-26 06:33
nice!(9)
コメント(0)
コメント 0