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オウム6人のマル秘証言 [時事]

 きのうテレビ東京で、池上彰の「オウム6人のマル秘証言」とやらの緊急特番を見ていたら、時差ボケも加わって、何だか眠れなくなってしまった。
 麻原彰晃が獄中で信者あてに何百通もの指示を出していたことや、オウムの後継団体であるアレフ内部の映像、アレフから分裂した「ひかりの輪」代表、上祐史浩へのインタビュー、滝本太郎弁護士を後見人とする麻原4女の謝罪と恐怖、それに先日死刑を執行された中川智正の最後のことばなど、どれも生々しいものだった。
 麻原彰晃をはじめとする13人の死刑は7月に執行されたが、それ以来、オウムの話題は絶えることがない。死刑執行によって、安倍政権はそれまで封印していたパンドラの箱をあけてしまったのではないかと思えるほどだ。
 おそらく計算はあった。
 来年4月には平成が終わり、代替わりとなる。それまでにオウム関係の死刑執行をすませて、呪われた平成をしめくくり、あたらしい時代を迎える。政権側はそんなふうに考えていたのだろう。
 その計算はさらにこんなふうに読める。
 多少波風が立っても、7月、8月をすぎ、秋風が吹くころには、マスコミも騒がなくなる。それで、オウムの話題はおしまいとなり、だれもオウムのことなど思いださなくなり、めでたい正月がくれば、一気に初夏の代替わりに向けて世間の関心も動いていく。これが政権のねらいだったにちがいない。
 そのねらいは、たしかにあたるかもしれない。政府からの圧力もあって、9月になれば、新聞やテレビはオウムについてなど、いっさい触れなくなるはずだ。オウム事件関連の書籍が何冊か発売されるかもしれないが、いまの出版界の状況からみて、そんなものはたいして売れず、あっというまに消えていく。
十年ひと昔というが、もう20年以上前のできごとである。世間の記憶などあっというまに薄れ、何もかも忘れられていく。国家に背くような凶悪な犯罪をおこした者は、社会から抹殺されるという教訓だけを残して。
 それがたぶん政府の読みである。
 それでも、ぼくには13人の死刑執行はショックだった。極悪人を死刑にするのはとうぜんで、日本人の大半がそれに賛成しているのは知っている。しかし、江戸時代の鈴ヶ森や小塚原などとちがって、いま死刑執行の様子をテレビ中継したりしないのは、それがほんらい残酷なもので、お茶の間で実際にそんなものを見せられても、拍手喝采し快哉を叫ぶ人などいるはずもないからである。
 ぼく自身は死刑には反対だ。国民を守ることを前提とする国民国家には、国民を処刑する権利がないと思っている。
もちろん、国家は裁判によって事件の経緯をあきらかにするとともに、何らかの犯罪にあった被害者やその家族をケアする義務がある。国家の義務は犯罪を防止することである。
しかし、国民のひとりでもある犯罪者を処刑する権利はないのだ。日本もEUや大半のアメリカの州、それに(実質的に)韓国のように、早く死刑制度を廃止するよう願っている。
 7月にオウム関連の死刑が執行されたことで、きのうの緊急特番などで、ふだん忘れていたオウムのことを思いだしたのは、皮肉といえば皮肉である。
 オウム事件とは何だったのだろう。それは、あふれるほどの被害者意識と誇大妄想癖をもち、加えてまるで現実離れした麻原彰晃という奇妙奇天烈な教祖の妄想が引き起こした、迷惑きわまりない犯罪にほかならなかった。かれのなかで、その暴走は天皇をいただく日本国との戦争とみなされていた。
しかし、それは自己満足のための軽挙妄動にほかならず、マンガ的発想にもとづくばかげた行動でしかなかった。日本の戦後が生み落とした虚無が、オウムというゆがんだ熱塊を生み落としたことは事実である。そのまがまがしさには、あっけにとられるほかない。
 奇妙なことに、ここでぼくはとつぜん東京裁判史観という言い方を思い浮かべる。右派のもちだすその考え方は、戦勝国が敗戦国を裁くのは公平ではなく一方的だという発想にもとづいている。戦争するには戦争するだけの理由があったし、そのいっぽうで戦勝国もずいぶんあくどいまねをしてきたというわけだ。
 こうした史観を採用すれば、オウム裁判はどう位置づけられるのだろう。おそらく、麻原彰晃本人やオウム信者からすれば、オウム裁判はオウムのことなど何もわかっていない日本国による勝手な裁きとみなされていたのではないかと思われる。それが正しいというのではない。そう思っていただろうというにすぎない。かれらの頭のなかでは、オウムは日本国を超越する宗教帝国と考えられていたはずだからである。
 オウム裁判で、麻原はまるで大川周明のように狂人をよそおっていた。あるいは、本人は昭和天皇のように免責されるべきだと考えていたのかもしれない。
 オウム裁判がオウムのすべてをあきらかにしたとは思えない。あきらかになったのは、事件の概要と経緯だけである。麻原が事件の指示をだしたのはまちがいないと思われるが、たぶんそれを断定する実際の証拠は見つかっていない。
 いまもオウムの後継団体であるアレフやひかりの輪などには、1700人近い信者がいるという。かつて信者数は1万5000人(出家、在家を含めて)を超えていたとされる。それにくらべれば、その数は激減したようにみえるが、それがけっしてゼロにならないことをみれば、オウム的仏教による救済と解脱を求める人は、これから消滅に向かうとはとても思えない。
 いずれにせよ、オウムはまだ終わっていない。そのことを池上彰の緊急特番はまざまざと見せつけてくれた。
 無理やり頭までおかゆにつけられたような暑さのなかで、ぼくはますます憂鬱になる。
 眠れない夏がつづく。

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